外国人観光客が日本に戻ってきた。2022年秋、新型コロナウイルスの水際対策が大幅に緩和され、インバウンドは急回復している。迎え入れるホテルや旅館は、多言語での接客など対応に忙しそうに見える。
だが、ホテルや旅館を取材してみると、多くの関係者が「外国人より日本人の対応のほうが大変」と言う。なぜだろう。背景には日本独特のおもてなしが生み出す「お客さまは神様」というカルチャーがあった。おもてなしの功罪を追った。(文・取材=国分瑠衣子、企画=新志有裕)
●無料の夜食サービス、駐車場まで荷物を持つ「手厚いケア」
「too much(過度)だと感じるサービスはありますよ」
雪国にある温泉旅館のマネージャー、伊藤隆さん(仮名)が言う。
伊藤さんが勤める旅館は、源泉かけ流しの温泉と地元産の食材を使った料理、そして手厚いおもてなしで人気の宿だ。日本風情がある外観が人気で、アジアを中心に海外からの観光客も訪れる。
旅館が行うおもてなしサービスはこうだ。無料の夜食サービスを客室まで運び、雪が降れば宿泊客の車の雪下ろしをして、傘をさして荷物を持って客を車まで送る。車が去るまで客を見送る。
伊藤さんは以前、外資系ホテルに勤めており、ここまでお客様ファーストのサービスは提供していなかったという。それだけに客を家族のように大事にする、旅館のきめ細かなサービスに驚き、「おもてなしへの概念が変わった」と話す。「1人1人のお客さんに対するケアがものすごく深いんです」
和風旅館では、おもてなしへの期待も強い(ドングリ / PIXTA)
●おもてなしを喜ぶのは外国人ではなく日本人
ただし、こうしたおもてなしを喜ぶのは日本人が大半で、外国人に必ずしも深く刺さるわけではない。外国人客は過剰なサービスにいぶかしむことすらある。
伊藤さんは海外で働いた経験がある。海外では客とサービス提供側はいい意味でドライな関係だったこともあり、伊藤さんは「外国のお客さまの接客のほうが楽」と言う。
「対等な立場で接客できるというか…。チェックインの時も部屋や施設の説明をして、ではこれでよろしく。みたいな感じで。もちろん外国の方にもおもてなしは同じようにします。でも、やっぱり日本人のお客さまのほうが(おもてなしが)当たり前で、求めるものが大きいですね」
日本人客のおもてなしへの過度な期待が、時としてクレームにつながる場合もある。
クレームがあった時にお詫びの手紙を書くため、伊藤さんの旅館の事務所には便箋が用意されており、手紙と一緒に菓子折りを送るなどの対応をとっている。
当然、旅館側の不手際で謝罪する場合もあるが、「チェックアウト後、新幹線に乗り遅れた」など、過失がないケースの謝罪について「本当にここまでやるべきか」と思うこともあると話す。
●「too much」を担うスタッフの確保に苦戦
旅館・ホテル業界は慢性的な人手不足にあえいでいる。帝国データバンクの2022年10月の調査によると、正社員の人手が不足していると回答した旅館・ホテルは、65.4%にのぼる(非正社員については75.0%)。伊藤さんの旅館も例外ではなくギリギリの状態だ。入社数年で退職してしまう若手も少なくない。
夜食サービスも、車の雪下ろしも客にとっては嬉しいサービスなのかもしれない。旅館にとっては、他の旅館との差別化になり、実際に集客につながっているので簡単にはやめられない。しかし、現場のスタッフに特別なインセンティブがあるわけではなく、負担は増す。
過剰なおもてなしをやめれば、離職者は減るのではないだろうか。伊藤さんはこう答えた。「そこは課題だと思っています。でも、too muchな感じを目指さざるを得ない雰囲気はあります。(過度な期待を寄せる)そういう方たちがいるから全体がtoo muchになっているのかなと」。どうすればいいのか、答えは出ていない。
インバウンドも増え、再びにぎわうようになった箱根湯本の駅前
●悪質クレーマーと戦うホテルのスタッフも
悪質クレームなどのカスタマーハラスメント問題を研究している関西大学の池内裕美教授によると、日本人に根強く残る顧客第一主義の精神と、おもてなしの美徳が、悪質クレーマーがはびこる土壌になっているという。そのような風土を変えようと、毅然とした対応をとるホテルもある。
国内有数の観光地にあるホテルの副支配人・河野理恵さん(仮名)はスタッフが宿泊客に対してすぐに「すみません」と謝ることが気にかかっている。「ホテルに過失がない場合でも『すみません』『申し訳ありません』と言うんです」
例えば客室からの景色の見え方。ホテルのサイトでは、各部屋の窓から見える景色を写真で載せている。納得して予約するはずなのに、「山が見えなかった」と言われた時にスタッフは「申し訳ございません」と答える。「天気が悪くて観光を楽しめなかった」と言われれば「すみません」と返す。
河野さんは若いスタッフに「悪くない時は謝る必要はないんだよ。『それは残念でした。雪が降るこの町も素敵なんですよ』でいいんじゃない?」と、客に共感しポジティブな言葉で返すことを提案している。
「過失がない時も下手に出るこの構造こそが、悪質クレーマーを生んでいるのではないか」。河野さんはこう考える。
ホテルのフロントには客からのクレームも寄せられる(Ushico / PIXTA)
●延々と続くクレーム、警察官が来るとトーンダウン
悪質クレームに対し、河野さんは警察に通報することもためらわない。
数年前、宿泊した高齢の男性客から「浴室が臭う」とフロントへ連絡があった。時間は午前零時をまわっていた。仕事を終え帰宅していた河野さんは、すぐにホテルへと向かった。
「臭いは確かにしました。すぐに謝罪し、別の部屋を用意しました」。だが、男性客の怒りは収まらずヒートアップした。「こんな時間に移動させるのか」と部屋の中で大声で怒鳴り出した。
「臭いがしたのは事実で、完全にホテルの不手際です。ただ、何度も謝罪しても怒鳴る状態が数十分にわたって続きました。午前1時をすぎ、他のお客様の迷惑になると判断して、お客様に通報することを伝えた上で、110番通報しました」(河野さん)。
警察官が到着すると男性客は急にトーンダウンし、最初の部屋に泊まった。翌日には何事もなかったかのようにホテルを出て行った。
長時間に及ぶクレームはこの一件だけではない。浴室に髪の毛が数本落ちていると1時間近く叱責され続けたことも何度かある。「女のお前に何ができる。もっと上を出せ」と言われたことは一度や二度ではない。河野さんは堂々巡りのやり取りに「いっそのこと叩いてくれないかな」と思うことさえある。客が暴力をふるえば警察を呼べるからだ。
●客に対して法的措置をとる考え方は希薄
おもてなし文化や「お客様は神様」という考えが根強いからだろうか。旅館・ホテル業界では悪質クレームやトラブルに関して弁護士に相談したり、法的措置をとったりする考え方が希薄だ。
全国の旅館やホテルの法的トラブルに詳しい佐山洸二郎弁護士は「訴訟や大きなトラブルに発展する前に、弁護士に相談して対処できることを知らない事業者はまだまだ多いです」と話す。
佐山弁護士によると、宿泊施設をめぐる宿泊客とのトラブルで最も多いのが宿泊料の不払いや過剰要求だ。「こうしたトラブルは警察への事前相談や通報、法的措置に関する警告、弁護士に相談の上、内容証明郵便を送るなど宿泊施設側がとれる対策はあります」。しかし、対策をとらずに泣き寝入りをする事業者も少なくない。
外国人に人気の箱根・大涌谷
●おもてなしの本当の意味をどれだけの日本人が理解しているか
本来あるべき「おもてなし」とは何だろうか。「おもてなし」を中心に旅館・ホテルのマネジメントを研究する九州産業大学の森下俊一郎准教授は、おもてなしの特徴についてこう説明する。
「おもてなしは茶道が源流です。見返りを求めない無償性と、サービスの提供側と受ける側に上下関係はない『主客対等』の上に成り立ちます。お客さんが、女将や主人のおもてなしの価値を感じ、両者が切磋琢磨することで『場』がつくられていくものだと考えます」
おもてなしは際限ないサービスではない。私たちはおもてなしの本当の意味を理解せずに、旅館やホテルに過度な期待を抱き、期待値とサービスのギャップに失望したり、過度な要求をしたりしていないだろうか。これから再び人の交流が活発化する時を迎え、「外国人より日本人の方が大変」と言われることの意味をあらためて考えるべき時がきている。
※この記事は、弁護士ドットコムとYahoo!ニュースによる共同連携企画です