新型コロナウイルスの水際対策の大幅緩和によって、訪日外国人の増加が期待されている。そのため、「おもてなし」の強化に向けた研修などが活発化している。
日本の「おもてなし」は、東京五輪招致に向けた2013年のIOC総会での滝川クリステルさんのプレゼンテーションで話題になったように、高い価値をもつものと考えられている。
一方で、悪質クレーマーなどに従業員が苦しむ「カスタマーハラスメント」(カスハラ)を誘発するとの指摘もある。関西大学の池内裕美教授は弁護士ドットコムニュースのインタビュー記事で、「もともと日本は『おもてなし』が美徳とされ、『顧客第一主義』が根強い」ことを指摘している。
これまで、飲食店や介護サービス、コールセンター、自治体窓口などで暴言を吐くなどのカスハラを多数取り上げてきたが、「おもてなし」を貫いても、サービス業の生産性を下げているだけにも思えてくる。本当に「おもてなし」は必要なのだろうか。(編集部:新志有裕)
●茶道を源流とする「おもてなし」、本来の姿は「主客対等」
「おもてなし」を軸にした旅館などのマネジメントについて研究している九州産業大学の森下俊一郎准教授によると、日本のおもてなしについては研究者の中でも定義が割れているものの、いくつかの特徴があるという。
1つは、茶道を源流としていて、見返りを求めない無償性だ。場の状況から客が求めていることを推察して、さりげなく提供する点に特徴がある。
滝川クリステルさんもIOC総会で「訪れる人を慈しみ、見返りを求めない深い意味があります」と語っていた。しかし、無償性が強いため、そもそも経営やマネジメントにそぐわない難しさもある。
これをカスハラの文脈で考えると、提供側が「見返りを求めない」がゆえに、客の要求がどんどんエスカレートしていくことが考えられる。
もう1つの重要なポイントがある。茶道では「主客対等」「主客一体」ということだ。サービスを提供する側と受ける側との間に上下関係はなく、両者がその場を作り上げていく。
この考え方からすると、悪質なクレームをつけるような客は、そもそも「おもてなし」を受ける資格のない客と言っていいだろう。
森下氏は次のように説明する。
「例えば、京都に存在する『一見さんお断り』の店は、そのおもてなしの価値がわからない客は来なくていい、というスタンスです。これには、クレームをつけられても困るので、客を選ぶという側面もあります」
●低価格のサービスにも「おもてなしの精神」は宿っている
では、「おもてなし」を受ける価値のない客をシャットアウトする、もしくは、そういう客しかいない店では「おもてなし」は必要ない、と考えることはできないのか。
例えば、低価格のサービスでは、充実した「おもてなし」をやめて、高価格のサービスで、「おもてなし」を理解できる客を対象に商売をするということだ。
ところが、簡単ではない可能性がある。
森下氏は、日本の場合、低価格のサービスも含めて、すべてのサービスで「おもてなしの精神」が入っているのではないかと指摘する。
「例えば、ユニクロやGUは安い品揃えと言っていいでしょうけれども、お客さんが商品を放っておけば、従業員が畳んでいる場面を見たことがある人もいるでしょう。海外企業の店舗ではそこまで丁寧にやらずに、放置されたものが山積みになっているだけ、ということです。 背景には、安いものであっても、ちゃんとしたサービスを求める日本人のメンタリティと、店のスタッフ側も、できるだけお客さんにやってあげたいという精神があるのではないかと思います。これがサービス産業の生産性を悪くしている面もあります」
「おもてなし」の特徴である「見返りを求めない精神」をベースに、店と客の双方にしみついたメンタリティがあるとするならば、カスハラまがいの行為が起きたとしても、「あなたに客の資格はない」と言って、簡単に切り捨てることは難しい。また、競合する企業同士で「おもてなし」競争が起きてしまうと、なおさらやめにくい。
しかも、森下氏は「サービスはタダ」という誤解が日本人にあることも指摘する。
「家電量販店の1年間無料保証のように、日本のサービスでは、本来はかかっているはずのお金がみえにくくなっているように感じます。 例えば、欧米のホテルだと、サービスチャージだということで、10%付加されてもお客さんには請求書を見ればわかるようになっています。アメリカのチップもまさにそうですよね。払っている感覚が客側にあります。ところが、日本だと曖昧になりがちです」
そうすると、何にお金を払っているのかがわからず、低価格のサービスも含めて、すべてに高いレベルの「おもてなし」を求めてしまいそうだ。
●「おもてなしの精神」を外国人にどこまで売り込めるか
だからこそ、森下氏は、今後再び増加が見込まれる「インバウンド」で外国人向けの「おもてなし」が効果を発揮することを期待している。
「『おもてなし』の異文化体験をしたいという外国人の中には、高いお金を払って高級旅館に泊まりたいという人もいます。高級旅館で抹茶を立ててもらって、『こんなまずいものを』と思う人がいる一方で、『なかなかいい経験をした』と満足してくれる人もいるわけです。 必ずしも外国人が日本人の価値観を共有しているわけではない中で、どう『おもてなし』を提供するのか、というマネジメントが重要になります。 コロナ前から、外国人に人気だった旅館は規模を問わず各地方にありました。観光地全体としてインバウンドに対応すれば、もっと可能性は広がります」
ただ、その際に「おもてなしの精神」は属人的な色合いが濃く、その人だからできるものであり、なかなかマニュアル化にはなじみにくい点がネックだという。森下氏も、熊本県の黒川温泉の旅館の女将から、「あえてマニュアルは作らない。マニュアルばかりになると『おもてなし』ではなくなる」という話を聞いたことが印象に残っている。
森下氏は、その主張に一理あると感じつつも、「おもてなし」の工業化として、ある日本の有名リゾートホテルの例を紹介する。
事前に客の情報を共有して、例えば、客の誕生日祝いであれば、しっかりと演出を用意するなど、高単価、高レベルのサービスを提供する。ただ、均一化の色合いも濃いため、どこまで「おもてなしの精神」と言っていいのか異論もある。
「それでも、『おもてなし』をビジネスとして成り立たせようとしています。地域独自の良さを生かしつつも、サービスマネジメントを統一化して、権限移譲もシステム化しています。その枠の中で柔軟に動くわけです。 外国人からの評価も高く、『おもてなし』は『主客一体』なのだから、客が満足すれば、それでいいと考えることができます」
このような工業化された「おもてなし」のトップランナーと言えるのが、コロナ禍でも新たな施設の開業を続け、拡大を遂げる星野リゾートだろう。インバウンドが再び活発化した際に、どこまで外国人に受け入れられるか、一つの注目点だ。
●「自動化」で「おもてなし」のない世界も
日本人でも、外国人でも、「おもてなし」に価値を見出して、高価なサービスにお金をだしてくれるのであれば、経済活動に大きな意味をもたらしそうだが、悪質クレーマーも含めて、「おもてなしの精神」を理解できない人とどう向き合えばいいのか。
森下氏は「今後、一般的な店舗では、セルフレジのような自動化がますます進んでいくことになります。そこに変化の兆しが見えるかもしれません」と語る。
今は、「セルフレジの使い方がわからない」と店員にクレームをつける、新たなカスハラが生まれている皮肉な状況だが、使い方が浸透して、無人化が進めば、店に文句を言いたくても、周りにスタッフはほとんどおらず、「おもてなし」が存在しない世界も実現できる。
また、森下氏は、石川県のある高級温泉旅館で、サービスレベルに応じた複数のブランドと価格帯を用意していることを例に、客層に応じて、「おもてなし」のレベルの使い分けをすることも有効ではないかと指摘する。
テクノロジーの力やビジネスの工夫、場合によっては法規制などを通じて、悪質クレーマーのような客を「おもてなし」の世界から遠ざけ、その価値を理解してくれる客と本当の「おもてなし」の世界を築く。簡単ではないかもしれないが、そこまで実現できれば、「おもてなし」は日本のサービス業のもっと大きな強みになるのではないだろうか。