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「キャリア権」が浸透すれば「働かないおじさん」は生まれない? 働いて幸せになる権利の必要性
諏訪康雄・法政大学名誉教授(提供写真)

「キャリア権」が浸透すれば「働かないおじさん」は生まれない? 働いて幸せになる権利の必要性

キャリアシートにキャリアコンサルティング、キャリアプラン、キャリア自律。世の中にキャリアという言葉がはびこっています。そうしたなか、「キャリア権」という言葉をご存知でしょうか。キャリアと法律は一見水と油のように思えますが、そうではありません。提唱者である労働法学者の諏訪康雄氏(認定NPO法人キャリア権推進ネットワーク理事長、法政大学名誉教授)に聞きました。(ライター・荻野進介)

●キャリア権=職業を通じて幸福を追求する権利

――ここ20年あまり、キャリア権という概念を提唱されています。改めてその中身を教えてください。

人々が、職業生活において、各自の能力、意欲、適性に応じ、希望する仕事を準備、選択、展開することにより、幸福を追求する権利、をいいます。短くまとめると、「職業を通じて幸福を追求する権利」となります。

私が発案、提唱した概念であるものの、実は以前から、日本国憲法にはあれこれの関連規定が存在しています。

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最も基底にあるのは、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利、つまり、憲法25条1項がいうところの生存権で、その上に、同13条が述べる個人の尊重と幸福追求権が、さらにその上に、同26条1項が規定する教育を受ける権利が位置し、最後、一番上に同22条1項の職業選択の自由および同27条1項に記載された勤労の権利と義務がくると考えられます。

もちろん、憲法14条の法の下の平等、同18条の奴隷的拘束・苦役からの自由など、基本的人権をめぐる規定は、どれもキャリアに関係してきますが、基本となる軸は上の図にあるものでしょう。   個人の生命および幸福がまず尊重される。その上で、しかるべき教育を受け、ふさわしい職業を選択し、実際の就業を通じて、かけがえのない人生を送る。それを保障していこうとするのが、キャリア権という概念なのではないかということです。

――キャリア権が認められると、社員のキャリア構築にふさわしい仕事や待遇を企業が用意するべきで、それに反する異動や配転は直ちに拒否できるようなイメージがあります。

憲法に規定された人権事項には、その実現が国のいわば必達義務であるものと、そこまでは求められない努力義務でいいものとがあります。後者をプログラム規定といいます。

たとえば、憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」が規定する生存権が代表的なプログラム規定です。国はその実現に向けた政治的な責務を負いますが、だからといって国民が国に対し、「自分は健康で文化的な最低限度の生活を営めていないから、改善せよ」という訴訟を起こして直ちに具体的な措置を要求できる権利ではないとされています。

キャリア権も生存権、労働権(勤労の権利)といったプログラム規定や市民的自由である職業選択の自由などを基本にしており、具体的な立法化がなされないかぎり、労働者が企業に対して直ちに、具体的な請求権を保有できるわけではありません。

●キャリア権は法令や裁判に浸透してきている

――そうしますと、キャリア権にはどんな意味があるのでしょうか。プログラム、つまり理念に過ぎないとしたら、それを普及させても大きな意味はないと思うのですが。

ふたつの面で意味があります。まず労働法政策を企画・立案する際の欠かせない理念としての意義です。現に21世紀に入ってから、キャリア、すなわち日本語化された法令用語の「職業生活」という言葉が文言として入った法令が続々と制定されています。

嚆矢となったのが、2001年に改正された雇用対策法3条では、同法の基本理念として「労働者は、その職業生活の設計が適切に行われ、並びにその設計に即した能力の開発及び向上並びに転職に当たつての円滑な再就職の促進その他の措置が効果的に実施されることにより、職業生活の全期間を通じて、その職業の安定が図られるように配慮されるものとする」という規定が入ったこと。また、同年改正の職業能力開発促進法3条に類似の規定がおかれました。2015年には法律の名称にも職業生活が入りました。「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律」というものです。

上述の雇用対策法が名称変更されて現行の「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」(略称は労働施策総合推進法)となった際にも、法律の名称に「職業生活」の語が入りました。

こうして2022年2月現在、「職業生活」という文言が入った法令は108にまで増えました。2011年は31、2017年は49でしたから、長足の伸びといえるでしょう(総務省法令データ提供システムによる)。 

法令ばかりではありません。裁判においても、キャリアあるいは職業生活という言葉を用い、その重要性を意識した判決が少しずつ増えてきました。配置転換命令権などの濫用を判断する枠組みに、キャリアに留意する解釈を入れるような形をとってです。キャリア権はプログラム規定であり、新たな法的理念だとしても、法令(プラスそれに付随した行政文書)や裁判例という形で、着実に世の中へ浸透してきていると私はみています。

●「働かないおじさん」をキャリア権から分析すると…

――キャリア権の構造図に即して、いくつかお聞かせください。最近、結構な額の給料をもらいながら、業績への貢献が少ない「働かないおじさん」が話題になっています。この図でいいますと、基層の生存権だけは発揮できているものの、その上の3つのレイヤーがないがしろにされているがゆえに生まれた「不幸な人」というとらえ方ができると思うのです。

それは面白い見方ですね。職場に所属し、しかるべき給与をもらう権利は保証されているものの、能力や経験に見合った仕事が与えられないため、職場では精彩を欠き、裏で陰口を叩かれている。先ほどの図でいいますと、個人として尊重されず、仕事を通じた幸福追求権も阻害され、新たな教育訓練の機会も与えられない。新たな職業選択が可能な、つまり転職してやっていけるような力もない。職場には来ているものの、さして働いてもいないので、最上層の労働権も毀損されていると。現実にそういう「おじさん」が目につくから、45歳定年説のような提案が一部上場企業のトップからなされてしまうのでしょう。

とはいえ、そうした事態は、日本型の雇用慣行には人口構成の変化やデジタル化などの動向とうまくマッチしなくなっている面があること、大量採用時代の人材の育成や処遇にしかるべき対処ができないできたこと、社会人が年齢とともに学びの姿勢を弱めていく実態など、複合的な要因によっており、キャリア権の考え方が世の中に広まっていないからだと即断すると、ちょっと我田引水が過ぎますね。

――こうした不幸なおじさんを生まないようにするために、どうすればいいでしょうか。

鍵を握るのは人材への投資、図でいうところの教育および学習権の大切さを社会人についてもより認識することだと思います。

最近、『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』(東洋経済新報社)という本がベストセラーになりました。100歳まで生きる時代を前提とし、学校を出て企業に入り60半ばで引退するという、3ステージの人生モデルに代わって、学び直しや副業、フリーランス、ボランティアなど、マルチステージのモデルを提唱しています。

このモデルをうまく実践するには、社会人になった後も必要に応じて学び直すリカレント教育や自分に足りないスキルを集中的に身に付けるリスキリングなどが必須となります。副業や兼業を通じて新しい仕事に仮に就いてみる機会も必要になるかもしれません。社会人インターンシップというわけです。

こうしたさまざまな学習機会を仕事と仕事の間にはさんでいき、スキルや能力を高めることで、キャリアを豊かにしていく。人材の質を時代変化に対応させていく。デンマークやスウェーデン、フィンランドといった北欧諸国ではこれが目指されており、日本も参考にすべきでしょう。

●キャリア権と企業の人事権は衝突するのか

――生存権から幸福追求権、教育・学習権と、ピラミッドの下から来たところで、一番上にある職業選択の自由について伺います。日本企業はジョブ型(仕事に人を当てはめるやり方)ではなく、メンバーシップ型(人に仕事を当てはめるやり方)であることも手伝い、人事異動が頻繁に行われます。その結果、自分が経験したことがなく、特に希望もしていない仕事を命じられる人もいます。それを称して、日本企業には強力な人事権があると言われるわけですが、キャリア権とこの人事権が衝突する可能性はないのでしょうか。

人事権というのは、労働契約に基づく合意や指揮命令権などに起因するもので、企業組織にとっては欠かせない各種権限の総称です。メンバーシップ型もジョブ型も日本の雇用を全面的に覆いつくしてはいませんし、業界や企業によって、また正規雇用かそうでないかなどの違いによって、多種多様な事情が生じます。当然、組織と個人との間に思惑の違いが生まれることもあります。

ですから、組織がもつ人事権と、個人に認められるべきキャリア権との間で、相互に調整をする必要があります。人事制度や慣行、雇用形態などで労働契約の合意内容が明確になっていれば、その範囲内で人事権の行使が優越するでしょう。従来の日本型雇用がまさにそうでした。でも、それが曖昧だったり、時代の流れや個々の事情によって格別であったりする場合、キャリアへの配慮がもっと求められましょう。

その点、ここ最近、およそ社員のキャリアへの配慮を欠くような人事権の行使である場合、それを権利濫用に当たるという形で制約する裁判例が地裁や高裁の下級審レベルで散見されるようになりました。雇用慣行や当事者の意識の変化が生じているのに応じて、裁判官にもキャリア形成、キャリア展開などへの配慮意識がより強まってきているのではないかと思われます。

直近の例が2021年11月7日、名古屋高等裁判所で判決が下された安藤運輸事件です。運行管理者の資格と経験を持ち、当該業務や配車業務に従事していた労働者を、倉庫業務に鞍替えする人事異動がなされ、その有効性が争われた事案です。

こうした場合、給料の引き下げや勤務地が遠隔化することによる不都合がよく問題になるのですが、この事例では引き下げはなく、休日手当が支給されなくなったくらいで、職場も少し離れただけ。つまり、配置転換による生活上での不利益は大きなものではありませんでした。

地裁も高裁も判決は、配転命令を無効、としました。業務上の必要性が低いうえに、運行管理者の資格を活かし、運行管理業務や配車業務に当たっていくことができるだろうという労働者の期待に大きく反し、その能力や経験が活きない倉庫業務に漫然と配転させたことは、労働者に通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであり、権利の濫用になると判断したのです。

――キャリア権という概念がこれからますます大切になるであろうことはよくわかりました。ただ、特に若い人がキャリアという言葉を狭くとらえ、仕事をえり好みする言い訳として使われてしまうと、逆に自身のキャリアの可能性を狭めてしまうという危惧も感じます。

それはおっしゃる通りです。20代から30代前半くらいの若い頃は、職業経験が浅い段階であまりキャリア意識に凝り固まらず、多少意に沿わない仕事でも、とりあえずやってみるのがいい場合は少なくないと思われます。

しかし、一定段階からは、キャリア形成をしっかり意識することが望ましいです。企業側も、社員がキャリア自律を意識することの意義は組織にとっても大切だと理解し、育成や処遇に配慮をする。働く人と企業を結びつけ、対話を促す手立てとしてキャリア権の理念をぜひ活用していただきたいですね。

キャリアを尊重し、その形成を促進することは、企業と個人のどちらかだけが得をすることではなく、お互いのためになることなのですから。ひいては、社会経済の活性化にも寄与をすることですから。

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