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大川小津波訴訟「事前の安全対策」に不備はなかったのか…控訴審の争点と一審まとめ
第1回口頭弁論後の記者会見

大川小津波訴訟「事前の安全対策」に不備はなかったのか…控訴審の争点と一審まとめ

東日本大震災の津波で、学校管理下にいた児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校。犠牲になった児童23人の遺族たちが、石巻市と宮城県に対して計23億円の損害賠償を求めた「大川小津波訴訟」の控訴審が始まり、3月29日に仙台高裁で第1回口頭弁論が開かれた。これまでの経緯を改めて振り返り、控訴審のポイントを紹介する。(フリーランス編集者・渡部真)

(遺族の思いを紹介する記事はこちら「『山さ逃げっぺ』大ちゃんの正しさを信じた遺族の6年…大川小津波訴訟、控訴審始まる」https://www.bengo4.com/saiban/n_5918/

昨年10月の一審判決では、原告である遺族側の主張に沿う形で、学校側の過失を一部認め、被告である石巻市と宮城県に対して総額約14億3000万円の支払いを命じた。一審で争点となったのは、教員たちが当日に「津波襲来の予見可能性」を持てたかどうかと、教員たちの避難行動に重大な過失があったかどうかであり、その点で概ね遺族側の主張が認められた。

一方で遺族らは、当日の教員らの責任だけでなく、市教委や学校に対して「事前の安全対策の不備」「事故後の対応の落ち度」についても訴えたが、一審では退けられた。

控訴審の第1回口頭弁論によって明らかになったのは、裁判官らが、予見可能性や避難行動だけでなく「事前の安全対策の不備」に関しても論点を広げて審理する姿勢を見せたことだった。まずは、第三者検証委員会の最終報告書や一審判決、筆者の独自取材などに基づき、事故の概要から振り返ってみたい。

●事故の概要

2011年3月11日、14時46分に発生した大きな地震のあと、揺れが続いていた大川小学校では校舎倒壊の危険を回避するために、すぐに児童を校庭に避難させた。学校にはスクールバスもあったが、児童をバスに乗せることはなかったため、津波襲来時には雪が舞うような寒さで、校庭には強く冷たい風が吹いていたが、学校は校庭で児童を待機させ続けた。

津波に備えて避難を開始したのは、地震が発生してからおよそ50分が経過してからだった。当時、学校は校長が不在で、教頭と教員10人が対応を協議。校舎は北上川からほど近くに建っているが、河口からは約4キロ離れており、震災前のハザードマップでは津波浸水の予測はなかった。

その間、一部の保護者らが児童を迎えにきて引き渡しをしている。近隣住民も学校へと避難して来ており、教員らはそれらの対応をしながら、ラジオなどで情報を収集した。15時10分過ぎには大津波警報が10メートルに引き上げられ、迎えにいった保護者らから、大津波が来ている事を学校側も知らされており、防災無線やラジオからも津波の情報を得ていたと考えられる。

目撃者のなかからは、一部の児童や教員らも体育館の裏にある山への避難を呼びかけていたという証言が残っている。遅くとも15時30分頃までには、石巻市の広報車が、北上川の河口付近の松林を津波が超えた事を告げ、高台への避難を拡声器で呼びかけて学校前の県道を通過している。

15時35分頃、校舎から直線距離で西に約150メートル離れている橋のたもとの高台(いわゆる「三角地帯」)を目指して避難を開始した。しかし、その数分後、裏道などを通って「三角地帯」へと向かう途中で、北上川や富士川から遡上し堤防を超えた津波が、児童・教師らの列に向かってきた。慌てて引き返したところで津波にのまれ、津波に流されながら生き残った児童4人と裏山に逃げた教員1人をのぞき、児童74人と教員10人が死亡・行方不明となった(現在も児童4人が行方不明)。

●提訴までの経緯

事故後、学校が開いた説明会で、校長の軽率な発言や、唯一大人で生き残った教員の矛盾した証言などによって、遺族たちが反発した。遺族たちが子供の遺体と対面し、行方不明の子供を必死で探し続けるなかで、校長が被災した校舎を訪れたのが震災から6日後だったことも、遺族の反発を買うものだった。また、市がおこなった聞き取り調査で、担当した市職員が聞き取りメモを廃棄したり、生き残った児童からの証言の一部を報告書からカットしたりした事もあり、「学校や市は情報を隠蔽している」と不信感を抱かせたのだった。

こうした反発もあり、遺族のなかから「自分の子供たちが、なぜ死ななければならなかったのか。学校では何が起きていたのか」と真相を追及する人たちが集まるようになった。

震災から2年後の2013年、真相を追求する遺族グループの求めもあり、文部科学省のあっせんで第三者検証委員会が設置されたが、1年におよぶ検証報告書に新たな事実はほとんど示されなかった。検証委の委員長を努めた室崎益輝・兵庫県立大学防災教育研究センター長も「ようやく遺族の皆さんの知識に追いついた程度という指摘は否定できない」「(検証には)限界があった」と認めざるを得ない内容で、遺族たちは失望させられた。

2014年3月、この検証委員会の最終報告を待って、犠牲になった23人の児童の遺族19家族が、石巻市と宮城県に対して、計23億円の損害賠償請求訴訟を仙台地方裁判所で起こした。

遺族たちの主張は、主に次の点だった。(1)学校は危機管理マニュアルも不十分で、事前の安全対策を怠った。(2)児童を迎えにきた保護者などの情報、ラジオや防災無線などの情報から、津波襲来の可能性を予見できた。(3)スクールバスを活用したり、歩いて1~2分程度でたどり着ける裏山の斜面から高台へ向かったり、被災を回避する手段があったにもかかわらず、児童らを校庭に長時間待機させ、すみやかに安全な避難をしなかった。(4)最終的に避難先として選択した「三角地帯」に向かったのは、教職員らの重大な過失である。(5)事故後、学校側や石巻市の不誠実な対応によって遺族たちは精神的な苦痛を負った。

●一審の争点と判決

一審で最大の争点となったのは「予見可能性」、つまり津波が大川小にくる事が予想できたかどうかであった。市や県は、過去に大川地区への津波襲来の記録がなかったことや、当時の津波浸水予想図では大川小学校までこないと予測されていたことから、当日の教員には津波襲来を予見する事は不可能だったと主張した。

また、当日の教員らが、児童たちを校庭に長時間待機させ、「三角地帯」へ避難しようとした事について、市・県側は、「裏山は崩壊や倒木の危険がある」「情報収集は怠っておらず、地域住民らとの協議した上での避難先の判断であり、合理的で過失とは言えない」と主張し、児童らが犠牲となった結果は回避できないと反論した。

提訴から約2年半をかけて公判が続き、その間、3人の裁判官が被災現場を訪れ視察をし、児童たちの避難ルートなどを自らの目で確認した。

2016年10月26日、仙台地裁(高宮健二裁判長)は、学校側の過失を一部認め、総額約14億3000万円の支払いを命じる判決を石巻市と宮城県に言い渡した。

判決のポイントは次の通り。

(1)教員らは、市の広報車の避難の呼びかけを聞いた段階で、津波が襲来すると予見し、認識した。教員らは遅くとも15時30頃の時点で、可能な限り津波を回避できる場所に児童を避難させる注意義務を負った。

(2)広報車による避難呼びかけを聞いてから津波襲来まで7分以上あり、児童を避難させる時間的余裕はあり、津波による被害を回避できた可能性が高い。

(3)避難先として目指した「三角地帯」は、標高が7メートル程度しかなく、津波到達時にさらなる避難場所もないため、不適当な判断だった。小走りで1分程度の距離にある裏山は、津波から逃れるために十分な高さがある上、児童らは過去にシイタケ栽培の学習で登っており、避難の支障は認められない。被災が回避できる可能性が高い裏山ではなく、「三角地帯」に避難した結果、児童らが死亡したのは、教員らの過失である。

一方で、遺族側が主張した「事前の安全対策の不備」「市による事故後の対応の落ち度」については、退けられた。

判決後の市議会で亀山紘・石巻市長は、津波を予見してから襲来までの7分間で「すべての児童が裏山に登って避難できたか疑問」と述べ、具体的な予見は極めて困難で一審の判決は受け入れられないとし、市議会の賛成多数で控訴を決定した。村井嘉浩・宮城県知事は、記者会見で「判決は、教員の責任を重くしており残念。安全に避難させようとした教員の努力を否定している」「今なら裏山に行けば良かったと言えるが、あの時点では『三角地帯』への避難がベストな選択だった」と批判し、一方的な判決に納得できないとして、知事の専権事項で控訴を決めた。

原告である遺族たちは、市や県が控訴した事で新たな失望を感じながらも控訴を決断。「津波襲来の7分前よりもずっと以前、遅くとも15時10分頃までには津波は予見できた」と主張し、「事前の安全対策の不備」と「事故後の対応の落ち度」についても、再び問い質したいとした。

●控訴審の第1回口頭弁論から見えてきた論点

今年3月29日、控訴審の第1回口頭弁論が仙台高等裁判所で行われ、遺族6人が意見陳述し、原告・被告双方の主張が確認された。市と県は、「広報車が呼びかけた内容を校庭にいる教員らが聞き取ったかは不明である」「裏山は崩壊や倒木の危険性があり、避難先としては不適当だった」と主張。遺族側は、2011年3月9日に発生した前震の際、校長ら幹部が、津波到来の可能性を予想し裏山への避難を検討していた事から、「防災無線が大津波警報を発令した14時52分の時点で津波襲来を予見できた」と主張した。

この第1回口頭弁論で仙台高裁の小川浩裁判長は求釈明を出し、遺族側には「平常時のリスクマネジメントについて、文部科学省が具体的にどのように考えていたかを示すように」、市・県に対しては「市教委が震災前に各学校へ通達していたという危機管理マニュアルの作成について、いつどのように指示を出し、各校のマニュアルをどのようにチェック・管理してきたか、その具体的な事実経過を示すように」と、双方に今後の回答を求めた。また、非公開の進行協議では「学校長・教頭をはじめとした公立学校の幹部らが、職務上の観点からどのような権限を持ち、どのような義務違反があったのかを検討する必要がある」と、裁判官から今後の争点が示されたという。

「学校保健安全法」の第29条(記事末尾に条文を紹介)は、危機管理マニュアルの作成や訓練の実施を定めているが、遺族側はこの点から「事前の安全対策の不備」についての責任を追及していたものの、仙台地裁は退けていた。控訴審では、その点が重要な論点として位置づけられたとみられ、市教委や学校の事前の対応が適切だったかも判断される可能性が出てきた。

原告団代理人の吉岡和弘弁護士は、「我々は一審から、事前の安全対策の不備について訴え続けてきた。一人一人の教師に津波の予見可能性があったのか、あるいは当日の避難行動がどうだったのかだけでなく、平時の学校の危機管理についても裁判所が問おうとしているのだろう。これから、被告側が裁判所からの釈明にどう応えるのか注視したい」と、前向きに評価している。

公判後の遺族たちからも、「事前の安全対策の不備は、我々がずっと訴えていた事。そこを裁判所が問い質しくれるものだと理解している」と期待の声があがった。一方で、もう一人の代理人である斎藤雅弘弁護士は、「これから裁判所の釈明について十分に精査し、被告側の反応を見てから対応を検討したい」と慎重な姿勢を見せた。

また、市・県側は、唯一の生存教員の書面尋問を申請する意向を示したが、吉岡弁護士は「反対尋問をおこなえない書面尋問は、被告側の一方的な主張となりかねず、信用できない」と会見で話し、生存教員の証人申請は検討したいが、書面による尋問は拒否する方針を示した。心的外傷ストレス(PTSD)の治療中とされ、震災直後を除いて一切の証言を控えている生存教員が、裁判で証言台に立つのかも注目される。

この裁判の行方に関して、吉岡弁護士は、安易な和解には応じるつもりがないという。先日、地元新聞に「裁判所は和解案を示し、原告・被告は和解する事を検討すべきだ」という社説が掲載されたが、吉岡弁護士は、現段階で和解は机上の空論であると反論した。

「具体的に和解案を示して『これで和解しろ』というなら分かるが、抽象的に和解を勧めるだけでは無責任。遺族側と、市・県側の双方が納得できる和解案を示せるなら、示してほしい。どんな和解案があるというのだろうか」

●命懸けの覚悟で挑む遺族たち

原告団長の今野浩行さん(55歳)は、一審が終わって団長の立場から解放されると思っていたが、すぐに市・県から控訴され一度は心が折れそうになったという。

「(一審判決直後は)ようやく裁判が終わって疲れてた。(原告団の中には)いろいろと肉体的に病気を発症した人もいる。自分も精神的にかなり辛かったし、原告団長という立場のプレッシャーから逃げ出したい気持ちもあった。でも、『学校には命を守る責任がある』ということを問うという点で、一審の判決は不十分だった。いまは最後までやる気モードになっている」と現在の心境を語った。

この日、意見陳述で「わが子を失った悲しみや苦しみなどを二度と味わうことのないような学校にしてほしい」と語った狩野正子さん(44歳)は、大川小学校に通っていた2人の子どもを失い、一度は生きる望みを失ったが、「もう一度、お父さんお母さんになるために」と2年間の辛い不妊治療の末、懐妊した。しかし、42歳での妊娠は7か月の早期出産となり、生まれてきた子供は935グラムの超低体重児だった。今は、医療的なフォローを受ける子供の育児をしながら裁判を続けている。

裁判後の会見で「学校長や教職員は、一般市民より高い危機意識が求められる」と発言した佐藤美広さん(55歳)は、一審提訴の直後に大腸がんが発見され、放射線治療や手術を受けるなど病気と闘いながら裁判も闘っている。

今野浩行さんが、「肉体的に」と言ったのは、そうした仲間たちの事を思いやっての事だった。原告の遺族たちは、「子供の命で金儲けをしている」などという心ない言葉を浴びせられる事もある。また、本件は行政の責任を問うための国家賠償訴訟であるため、公務員の過失を追及して立証する事になり、児童たちを管理していた教員らの一義的な責任を問うことになるが、「一所懸命に子供たちを守ろうとした先生たちも犠牲になっているのに、裁判で訴えるなんて酷い仕打ちだ」と法制度に無理解な批判も、原告の遺族たちの耳に入ってくる。今野さんは、そうした批判の矢面に立って受ける覚悟で原告団長を務めてきた。

しかし、実際には今野さん自身も、昨年から心臓疾患を抱える身となり、好きな酒も今は控えている。震災の津波で3人の子供を失い、酒に酔えば「早く死にたい」と繰り返し口にしてきた今野さんが、今は「裁判が終わるまでは死んでも死に切れない」と、肉体的にも精神的にも追いつめられながら、生き抜こうとしている。

そんな今野さんは、この裁判への思いを改めて語った。

「人は判断ミスをするもの。だからこそ、判断ミスをしても最低限、児童の命だけは守られるような学校システムを求めていきたい。学校だけでなく、職場でもどこであっても、社会全体が『命は失ったら二度と戻らない』という命の大切さを真剣に考えるようになってほしい。しかし、亀山市長や村井知事の最近の発言を見ていても、命を最優先に守らなければならないという決意が感じられない」

遺族らは、文字通り命懸けで裁判を闘う覚悟をしている。

次回の公判は、5月16日の予定だ。

参考「学校保健安全法」

第二十九条 (危険等発生時対処要領の作成等)学校においては、児童生徒等の安全の確保を図るため、当該学校の実情に応じて、危険等発生時において当該学校の職員がとるべき措置の具体的内容及び手順を定めた対処要領(次項において「危険等発生時対処要領」という。)を作成するものとする。

2  校長は、危険等発生時対処要領の職員に対する周知、訓練の実施その他の危険等発生時において職員が適切に対処するために必要な措置を講ずるものとする。

3  学校においては、事故等により児童生徒等に危害が生じた場合において、当該児童生徒等及び当該事故等により心理的外傷その他の心身の健康に対する影響を受けた児童生徒等その他の関係者の心身の健康を回復させるため、これらの者に対して必要な支援を行うものとする。この場合においては、第十条の規定を準用する。

(弁護士ドットコムニュース)

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