仕事をがんばりすぎず、定時になったらすぐに退勤するという若者は以前からいましたが、昨年あたりから、「残業キャンセル界隈」という言葉を主にSNSで目にするようになりました。
「定時を迎えた途端、どれだけ仕事が残っていても退勤する」「上司から仕事を振られても、無視して退社する」。そうした行為を「残業キャンセル」という言葉でSNSで報告する若者たちを見かけるようになったのです。
一方で、「残業を拒否し続ければ懲戒や解雇のリスクもある」との指摘も出ており、議論になっているようです。そもそも残業とは「キャンセル」できるものなのでしょうか。簡単に解説します。
●そもそも残業はないのが原則
労働基準法により、法定労働時間は1日8時間・週40時間と定められており(32条)、これを超える労働は原則として禁止されています。
「残業」には、上の法定労働時間内の場合と、法定労働時間外の場合がありますが、今回は実務上の多くを占めると考えられる後者、つまり上の法定労働時間を超えてしまう残業について検討してみます。
「残業キャンセル」という言葉は、主に残業しない(したくない)若者達がSNSで使っている言葉のようです。
この言葉は、若者自身にとって残業をするのが当然の前提となっており、それをあえて「キャンセル」するという感覚であるように感じられますが、実は会社が残業を命じることができるのは、一定の要件を満たした例外的な場合に限られるのです。
●残業命令が下されたからといって、すべて従う必要があるわけではない
残業命令を下すことができるための前提として、まず以下の2つが必要になります。
1)会社が労働者代表と36協定(時間外・休日労働に関する協定、労基法36条)を締結し、労働基準監督署に届け出ていること
2)就業規則か雇用契約に残業を命じることができる旨の規定があること
これらの要件を満たさなければ、残業命令の法的根拠がないこととなりますから、拒否できます。
また、上の1)2)が満たされていても、全ての残業命令に従わなければならないわけではありません。
たしかに、上の1)2)の内容が合理的であり、それを満たしたうえで残業命令を下した場合には、労働契約上の義務が具体化したものとして、労働者側に正当な理由がない限り残業命令に従わなければならないといえそうです(最高裁平成3年(1991年)11月28日など参照)。
しかし、業務上の必要性がない場合や、不当な動機・目的でなされた場合、または労働者に著しい不利益を負わせるなどの事情が認められる場合には、残業命令を拒否できる可能性があります。
また、36協定を締結し、労基署に届け出た場合でも、時間外労働には上限が設けられています。
まず、原則として1か月45時間以内、かつ、1年で360時間以内となっています。
次に、特別条項を設けた場合でも年720時間以内、時間外労働と休日労働の合計が月100時間未満におさまる必要があります。 また、複数月(2〜6カ月の月平均)のすべてにおいて、平均80時間を超えることはできません。
これらの上限に違反する残業命令は労働基準法違反となり、刑事罰の対象となる可能性があります。
さらに、使用者は労働契約法第5条に基づく安全配慮義務を負います。
労働時間が長くなるほど過労死との関連性が強まるため、月100時間または2か月から6か月平均で80時間を超える時間外・休日労働は、業務と脳・心臓疾患の発症との関連性が強いとされています。
このような長時間労働を命じることは、たとえ36協定の範囲内であっても、安全配慮義務違反となる可能性があります。
残業時間の上限ルール(弁護士ドットコムニュース編集部作成)※作成には生成AIを使用しています
●残業命令に応じる必要がある場合
正当な残業命令であれば、従業員は残業命令に応じる義務があります。
「残業キャンセル界隈」の若者のケースでも、正当な残業命令に対し、単に「定時だから帰りたい」という理由のみでは、拒否は困難です。
この場合の「残業キャンセル」は、単なる業務命令違反になってしまいます。
しかし、前述のように、本人の体調に問題がある場合や、家庭の事情(育児や介護など)がある場合、既に長時間労働が累積している場合、嫌がらせ目的の残業命令である場合、などは、拒否が認められる可能性が高いと考えられます。
●残業拒否で懲戒処分や解雇などをされることはあるのか
では、従業員が残業を拒否した場合、会社は懲戒処分(戒告、減給、出勤停止や解雇など)を行うことができるのでしょうか。
適法な残業命令を正当な理由もなく拒否した場合には、業務命令違反として懲戒処分の対象になり得ます。
ただし、実際に懲戒処分が有効となるハードルは低くありません。労働契約法15条では、懲戒処分が有効となるために「客観的に合理的な理由」と「社会通念上の相当性」が必要であると定めています。
少し難しい言葉ですが、簡単にいえば以下のようなものです。
1)処分の理由となる事実と根拠があるか(合理性) 就業規則に懲戒の根拠があるか、本当に業務命令違反といえる事実があったのか、などの点です。
2)行為と処分のバランスが取れているか(相当性) 仮に違反があったとしても、やったことに対して処分が重すぎないか、という点です。これを「相当性」といいます。 過去の勤務態度や、反省の態度、過去の同種事例との均衡なども考慮されます。
たとえば、適法な残業命令を、1度だけ正当な理由もなくキャンセルした、という事実があったとしても、それだけで最も重い「懲戒解雇」を選択することは、行為に対して処分が重すぎるため「相当性」を欠き、無効となると考えられます。
一方で、会社からの注意指導を無視して何度も拒否を続けたり、他の従業員の業務を妨害したりするなど悪質性が高い場合には、減給や出勤停止、さらには懲戒解雇といった重い処分であっても、その有効性が認められる可能性が高まっていきます。
●企業側に問題がある場合も
ごくごく個人的な意見ですが、「残業キャンセル」イコール「やる気のない従業員」、という図式は(そういう場合もあるのでしょうが)ちょっと単純化しすぎであるように思います。
最初に書きましたが、本来残業は例外的に認められるものです。残業しなければ終わらない業務量が常態となっているのであれば、それは業務量の設定がおかしいのであって、企業側が改善すべきです。
また、会社全体の業務量が多く、処理しきれないことがあるのはたしかですが、常に慢性的な人手不足に陥っているのであれば人員を補充するなり、非効率的な業務を改善するなりすべきです。
企業側がそういった労働環境の改善のための努力を何らせず、「人が足りないから」「業務が回らないから」などとして漫然と残業を命じ続けることは大いに問題だと考えます。
「残業キャンセル界隈」という言葉が、労働環境に関する問題を労働者個人の問題に矮小化してしまわないように注意すべきだと思います。
小倉匡洋(弁護士ドットコムニュース編集部記者・弁護士)