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「眠いからゆっくり行く」てんかん発作で意識失い交通事故 医師は「運転しないように」と伝えていたが…
画像はイメージです(プラナ / PIXTA)

「眠いからゆっくり行く」てんかん発作で意識失い交通事故 医師は「運転しないように」と伝えていたが…

大阪地裁は2024年3月、自動車運転死傷行為処罰法違反(危険運転致傷)で起訴された40代の女性に対して懲役1年2月、執行猶予3年(求刑:懲役1年2月)の判決を下した。危険運転致死傷罪は、飲酒して正常運転が困難な状態で自動車を走行させた場合や赤信号を無視して猛スピードで運転した場合などで死傷事故を起こした際に適用される罪名だ。

今回の事故は、持病として「てんかん」を持つ被告人が、担当医から運転の危険性を指摘されていたにも関わらず自動車を運転した際に意識障害を起こして発生したものだ。

被告人が乗っていた車は派手に潰れ、誰かが死亡してもまったくおかしくなかったと指摘される事故状況だった。(裁判ライター・普通)

●助手席の娘に「眠いからゆっくり行く」と伝えていた

被告人は、髪をショートカットで綺麗に整え、姿勢よく裁判の審理に参加。質問に対してハキハキと答えている印象を受けた。

起訴状によると、被告人は持病のてんかんによる意識障害が起こる可能性を認識していたにも関わらず、普通自動車を運転。その結果、時速54キロメートルで走行中に意識障害を起こし、大型貨物自動車に衝突して玉突き事故を発生させた。負傷した2名が1週間程度の捻挫で済んだことは不幸中の幸いだった。

検察官の冒頭陳述などによると、被告人は小学生のときに初めててんかん症状を起こした。治療を続けることで、15年ほど発作は出なかった。しかし、事件の1カ月半ほど前に過労、睡眠不足などが原因として発作が出た。

診察した医師からは少なくとも2年間発作が出なくなるまで「運転しないように」と伝えられたが、被告人は「運転を極力控えるように」と受け取った。この点、弁護人は、担当医が事故後に被告人に対して「伝え方が十分でなかった」と述べた、と主張している。

事故が起きたのは、被告人の娘を助手席に乗せ、娘が通っている高校へ向かう途中だった。被告人は「発作のときは急に眠気が来る」と認識していたが、当日も眠気を感じていた。娘に「眠いから、ゆっくり行く」などと伝えており、あらかじめブレーキやサイドブレーキの位置を伝えていた。

助手席に座った娘は、被告人から「話しかけ続けて欲しい」と言われていたが、事故現場付近で反応がなくなったことに気付いた。運転席を見ると、被告人は腕がだらんと下がった状態であり、必死にブレーキに手を伸ばしたが間に合わなかった。娘に怪我はなかった。

●「娘さんが亡くなっていたら悔やみきれないですよね」

被告人は、弁護人からの被告人質問で、運転免許はすでに返納しており、今後は絶対運転しない意向を示した。てんかんの治療も継続しており、仕事の疲労が溜まらないようコントロールも行えている。事故を起こしてしまったが、眠気は意識していたので慎重に運転していたなどハキハキと答えていく。

しかし、弁護人の最後の質問には、言うべき言葉が見つからない様子を見せた。

弁護人「乗っていた車は派手に潰れましたね」  
被告人「はい」

弁護人「誰かが大怪我したり、亡くなってもおかしくない事故ですよね」  
被告人「はい」

弁護人「もし、娘さんが亡くなったら悔やんでも悔やみきれないですよね」  
被告人「・・・(下を向いて答えが出ない)」

改めて最後に、被告人から運転しない意思を確認した。

●医師からの指示にも「極力運転を避ければいいと思っていた」

検察官は医師とのやりとりから運転に至るまでの判断過程を厳しく問い詰めた。

検察官「医師からは『運転を控えるように』と言われたと」  
被告人「そうです」

検察官「それは、乗ってもいいことだと思ったのですか」  
被告人「極力避ければいいと思っていました」

しかし、家を出る際に眠気はあった。途中、コーヒーを2度飲んだが眠気は取れなかった。車中でも娘に話しかけ続けるよう依頼した。被告人は「眠気がすなわち発作ではない」と主張したものの、いつ発作が出てもおかしくない危険な状況下での運転だったことに変わりはない。

検察官「娘さんとの待ち合わせは駅だったので、電車で行けばよかったのではないですか」  
被告人「そのときは車の生活が普通だったので」

検察官「それで『慎重に運転していた』と言えるのですか」  
被告人「自覚のなさだったと思っています」

●「死亡事故になるおそれもあった」

検察官は論告において、事故時は意識を完全に失っており、死亡事故になるおそれもあったと当日の被告人が運転することの危険性を指摘した。

弁護人は、てんかんを認識していたものの、それまで服薬でコントロールできており、事故当日も服薬をし、家で仮眠をするなど可能な対策は取っていたと主張事故現場は下り坂のためスピードが出ていたものの、娘に「ゆっくり行く」と伝えるなど、慎重な運転を心がけていたなどと訴えた。

被告人の最終陳述では、被害者をはじめとして、事故に関わった人への謝罪の言葉を述べた。そして最後に、幼少期より治療に付き添い、被告人が家を出た以降も身体を心配し続け、裁判当日も傍聴席で見守っていた親に対しても深く謝罪の言葉を述べ、二度と運転を行わないことを誓った。

判決は懲役1年2月・執行猶予3年(求刑:1年2月)だった。

この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいています。

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