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高校時代にアルコール依存症の父を支えた娘「私もしんどかった」…気持ち話せる場所を求めて
(取材に応じたナナさん(仮名)/ナナさんの知人提供)

高校時代にアルコール依存症の父を支えた娘「私もしんどかった」…気持ち話せる場所を求めて

依存症で苦しんでいるのは当事者だけではない。家族も辛さや葛藤を抱えている。

高校時代に、アルコール依存症の父親を支えたナナさん(仮名・30代女性・関西在住)が弁護士ドットコムニュースの取材に応じ、「私もしんどかった」と心境を打ち明けた。

●酔って倒れる父親「恥ずかしかった」

ナナさんは、自営業の父親と専業主婦の母親との間に生まれた。幼少期の記憶の中の父親は、ウイスキーを片手にテレビを見る「お酒が大好きなお父さん」。酒を飲んで暴力や暴言に走ることはなかったが、父親に常に振り回される母親の姿を見てきた。

「父は外で飲んで倒れて警察のお世話になったり、財布をなくしたりすることが何度もありました。友人の結婚式の帰り道、酔っぱらって『おお〜』と愉快な声を上げながら、道路に転がっていたこともあります。母がフラフラの父を迎えに行き、救急車を呼んだこともありました。何かあるたびに対応している母はしんどそうでした」

父親がますます酒を飲むようになったのは、ナナさんが中学3年生のころ。会社の経営が傾き始めたことがきっかけだった。母親は仕事中も酒を飲み続ける父親を心配し、会社を手伝うようになった。ナナさんは酔っ払った父親の姿を「恥ずかしい」と感じるようになった。

「塾の先生に家まで送ってもらっている途中、酔っ払った父がいたんです。通りがかりの女性に『自分の家がどこかわからへん』と言っていたため、慌てて父を連れて帰りました。後日、塾の先生に『お父さん、お酒好きなん? あそこまで飲んだらあかんから、気をつけさせな』と言われて。本当に恥ずかしかったです」

ナナさんが高校1年生の夏、通っている高校の野球部が甲子園に出場することになった。野球好きな父親は「試合を見に行きたい」と言ったが、ナナさんは「来ないで」と断った。酔っ払った父親を誰にも見られたくなかったためだ。

その年の冬、会社を手伝っていたナナさんの母親が事故で亡くなった。父親は、ますます酒を飲むようになった。

●断酒会に親子で参加「娘扱い」されず

父親の酒が止まらない日々は1カ月ほど続いた。駆けつけた叔母(父親の妹)が保健所に相談し、父親はアルコール依存症の専門医療機関に3カ月間入院することになった。

「父からは『入院生活が楽しい』という電話がかかってきたこともあります。病院で出会ったアルコール依存症の仲間は、これまで真面目に仕事をしてきた人が多かったそうです。社交的で仕事好きな父は、すぐに打ち解けたと話していました」

画像タイトル 写真はイメージです(マハロ / PIXTA)

しかし、父親は外泊時も飲酒し、退院後も酒をやめることはできなかった。自力で3日間はやめられるものの、4日目には飲酒してしまう日々が約1カ月続いた。

ある日、ナナさんは通院から帰宅した父親に「断酒会(アルコール依存症の自助グループ)についてきてほしい」と言われた。親子で断酒会に通うことは、主治医の提案だった。

「中学時代から心理や福祉関連の道に進みたいと思っていたこともあり、父と一緒に行くことに抵抗はありませんでした。『アルコール依存症の回復のためには、家族の協力が必要』と書かれたサイトなどを見たこともあったので、参加することにしました」

ナナさんは約5年間、毎週土曜日、学校が終わったあと、断酒会に参加し続けた。父親は土曜日のほかに、平日も毎日仕事の合間に断酒会に通った。日曜日も時間があるときは足を運び、断酒に成功した。しかし、ナナさん自身は、徐々に断酒会に行くことを「つらい」と感じるようになっていった。

「断酒会では、当事者である夫の横で、自分の思いをありのままに話す『妻の立場』の人たちなどを見てきました。でも、私は親の横で、親の酒害について語ることはできませんでした。常に差し支えのない話をして『いい子』でいたと思います。父は、ほかの人たちに『理解があって、心理・福祉の勉強をしている娘がいてすごいね』と言われて、うれしそうでした。

父に、断酒会に行きたくない気分だと伝えたことはありますが、父は『行って笑っておけばいいんだから』と納得してくれなくて。だんだん、私は父の『お飾り』なのではないか、『娘扱い』されていないのではないかと感じるようになったんです」

大学進学後、ナナさんは学生相談室に足を運び、相談員につらい気持ちを打ち明けていた。そして、大学3回生になったとき、「就職活動が忙しい」と父に話し、断酒会へは足が遠のいた。

●父と初めて大ゲンカ「私もしんどかった」

大学卒業後、ナナさんは福祉関連の仕事に就き、精神保健福祉士(PSW)の資格を取得。父親とは、20代後半になった2018年まで同居を続けた。しかし、父親が脳梗塞を発症し、失語症の後遺症を負ったことを機に、経済的な理由などから別居に踏み切った。

会社は自己破産手続きをとり、父親は生活保護を受けるようになった。

画像タイトル 写真はイメージです(マハロ / PIXTA)

別居後も父親とは月に1度食事に出かけたり、電話をしたりしていた。ある日、父親が断酒会に参加し続けていると信じていたナナさんは「今日は私も行こうと思うけど、やっているかな」と電話した。ところが、父親から返ってきたのは、思わぬ答えだった。

「『断酒会はもうやめた』と言われたんです。私には自分から一緒に行こうと誘ったのに、なんの申し出もなく、勝手にやめていたことに怒りと悲しみが湧き上がりました。父には、泣きながら『納得できない』と伝えました」

母親を亡くした直後に、父親のアルコール依存症の問題を抱えることになったナナさんには「反抗期」がなかった。自分の気持ちをぶつけたのは、生まれて初めてのことだった。

父親との「冷戦」は約8カ月続いた。父親から電話がかかってきても、そっけない態度で返答した。ナナさんが一人暮らししている家のポストに、父親が外出先で買ってきたお土産などが入っていることもあったが、すべて無視した。ナナさんからは、自分の気持ちを綴った手紙を送ったのみだ。

2020年春、ナナさんは盲腸の手術をするため、入院することになった。父親に連絡しないわけにはいかず、電話で事情を伝えると、すぐに駆けつけてくれた。退院後、親子は久しぶりに食事をして、言葉をかわした。

「父には、何も言わずに断酒会をやめたことがつらかったと改めて伝えました。また、私も自分のために医療機関の家族教室に参加し始めたことを話しました。父を責めたいわけではなく、私もしんどかったことを父に知ってほしいと思ったんです。父は断酒してから15年経ちましたが、家族としては『もう気にしていない』とはならないので」

●同じ「子ども」の立場の人との出会い

ナナさんは、自分の気持ちを語れる場を求めて、医療機関の家族教室のほか、断酒会の家族会にも足を運んだ。2021年からはオンラインの自助グループにつながり、過去の体験や自分の気持ちを話すことで癒しを得ている。語っているうちに、これまで忘れていたことを思い出したり、抑え込んでいた「怒り」などの感情に気づいたりすることもあるという。

画像タイトル 写真はイメージです(webweb / PIXTA)

「断酒会の家族会では『父の娘』と見られてしまい、なかなか自分を出すことができませんでした。医療機関の家族教室は『親の立場』の方がほとんどだったので、立場が違うために共感しづらいこともありました。

オンライン自助グループでは、初めて同じ『子どもの立場』の人に出会うことができました。若い世代はネットのやりとりに慣れているということもあり、オンラインのほうが参加しやすいのかもしれません。高校生の参加者もいると聞いています」

オンライン自助グループにいる「子どもの立場」の参加者は、親と参加している人もいれば、一人で参加している人もいるという。その場で自分の気持ちや体験を話さなくても、あとからSNSなどを通じて、ナナさんに個別にメッセージをくれた「仲間」もいるそうだ。

親のアルコール依存症で悩んだり、傷ついたりし、自分の気持ちを語れる場を求めている人たちがいる。家族にも、こころを癒すための「居場所」や「つながり」が必要だ。

(※取材は12月10日、オンラインでおこなった)

【家族が参加できる主なオンライン自助グループ等】
<依存症オンラインルーム>
https://www.ask.or.jp/adviser/online-room.html

<ソーバーねっと(断酒会系オンラインミーティング一覧)>
https://addiction-peer.net/onlinemtg_result.html

<アラノン>
http://www.al-anon.or.jp/

<【家】アルコール依存症家族のグループ>
https://www.facebook.com/groups/543356579703360

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