新人ライターにとって、本の出版はひとつの大きな目標であることが多い。だが出版不況といわれ、紙の本が売れづらい現代において、本を出すハードルは低くない。著者が新人ライターで、本のテーマがニッチであればなおさらだ。
そんななか、ライターの五十嵐メイさんはチャンスをつかみ、大好きなフットサルを題材にした著書を2022年10月末に刊行予定だった。しかし発売直前にプロモーションを兼ねて、刊行予定の出版社の社長との対談をSNSで配信したところ、社長はパワハラや暴言を繰り返し、視聴者から批判が殺到。五十嵐さんも、同社からの刊行を取り下げた。
後日、出版社の社長はHPで謝罪した上で、「別の会社から出版する機会などがありましたら、原稿の引き渡し、資料や進行状況の引き継ぎなどをした上で、最大限協力することを約束しました」とした。
念願だった書籍デビューを断念するに至った経緯や思いを、五十嵐さんに聞いた。(ジャーナリスト・肥沼和之)
●1年かけて、本の制作を進めてきた
――まず五十嵐さんのご経歴を教えてください。
大学卒業後、新卒で芸能事務所のマネージャーになり、27歳でライターに転向しました。小さいころから好きだったサッカーに、何かしら関われる仕事がしたかったのですが、どの職業であれば活躍できるか思いつかなかった。
そんなとき、とあるサッカーの記事に出会い、私もライターをしてみたいと編集部に連絡したんです。その先に、本を刊行する予定だった出版社の社長がいらっしゃって、未経験から育ててもらいました。現在は主にサッカーやスポーツ関連の記事を書いています。
――刊行予定だった書籍の企画は、いつ立ち上がったのですか?
2021年9月ころです。私はフットサルが好きで、ワールドカップを開催国のリトアニアまで観に行っていたので、「その体験記を本にしてみないか?」と社長に声をかけていただいたんです。
ただ、リトアニアという国も、フットサルのワールドカップも、あまり知られていないですよね。本は出したいけれど、売れるかわからないから迷惑をかけるかもしれない、とお返事したときに、「それでもいいから、本当に読みたい人に刺さる本をつくりましょう」と言ってもらえたので、ぜひお願いしますと。そこから約1年かけて、本の制作を進めていきました。
●パワハラをされている自覚はなかったが
――制作過程ではトラブルや衝突はなかったのですか?
本の内容についてはしょっちゅうぶつかっていました。ただ、どちらも言いたいことをはっきり伝えていたので、一晩経ったらお互い納得して、解決してきました。関係性は健全だったと思います。
――そこまでまったく問題なかったのに、配信で社長からパワハラや暴言があったとのこと。出版を取り下げたのはそれが理由だったのですか?
私へのパワハラは、多分あったと思うんです。ただ、社長には恩もあるし、愛情や熱量もあっての厳しさだと思っていたので、パワハラをされているという自覚が無かった。それに、苦しいことがあっても、本のためであればと我慢できていたので、パワハラが取り下げの理由ではありません。
一番大きかったのは、フットサルリーグの関係者や本の制作に携わってきたクリエイター、出版を楽しみにしていた支援者の方たちを、侮辱しているとも取れる発言が飛び交ったことです。先輩ライターたちからは、「本を出したら世界が変わるから頑張って!」と言われていましたが、私個人のキャリアよりも、みんなの思いのほうが大事だと考え、本を出すことはできないなと思いました。
――社長は居酒屋から生配信に参加していたとのことですが、酔っぱらって口が滑ったわけではなかった?
1~2杯は飲んでいたのかもしれませんが、泥酔はしていないと思います。後日謝罪していただいたときも、「酔っていたからああいうことを言ってしまった」という言葉はなかったですし。企画や制作の段階では、「フットサル界のために意味のある一冊にしよう」と言ってくれていたので、「どうして?」っていう気持ちが大きいです。
●視聴者からの「パワハラではないか?」に感謝
――出版を取り下げたことで、失ってしまったものはありましたか?
失ったものは、本です。「本を出すと景色が変わる」と言われていたので、その景色が見えなくなったのはちょっと残念です。
ただ、取り下げという決断を支持してくれた方がすごく多かったんです。いろいろな人が声を上げて、励ましてくれて。表紙を担当してくれた、イラストレーターの「りおた」さんもそのひとりです。表紙のオファーをしたときも、とても忙しい方なので無理かなと思っていたのですが、「絶対に受けます」「ギャラもいくらでもいい」と。そういった方や支援者やフットサルファンの皆さんの思いなど、失わずにすんだもののほうがたくさんありました。
――パワハラを受けていた自覚は無かったとのことですが、音声という形で多くの視聴者が聞いていて、「パワハラではないか?」と声を上げたことについてはどう思いますか?
とても感謝しています。声を上げてくれた人たちに対して、「関係ない奴が口を出すな」「騒ぎ立てるから出版が無くなってしまった」など、ネガティブなことを言う人もいましたが、そこで声を上げてもらえなかったら、パワハラがあったことに気づけなかったと思います。
ただ、今回は音源があったので、私は運が良かった。見えないところで行われているハラスメントに対して、周りが声を上げることはすごく難しいと思います。
●新人ライターはどう立ち回るべき?
――新人ライターは立場が弱いことが多いですが、ハラスメントに直面したとき、声を上げると仕事やチャンスや失うリスクがあります。どう立ち回るべきでしょう?
その葛藤が一番大きかったのは、芸能マネージャーをしていたときです。お酒の席で仕事が決まることがあるので、業界人の飲み会にはできる限り顔を出していたのですが、番組プロデューサーなどから「(お持ち帰りができる)軽い友達を集めてよ」とよく言われて。
私は女性タレントを担当していたのですが、断ると彼女たちの仕事がなくなってしまうかもしれないんです。人生をかけて頑張っているのに、私の気持ちだけで決めていいのか、と考えてすごく病みました。
――芸能事務所を退社されたのも、そういったハラスメントが理由だったのでしょうか?
そうですね。新卒で社会のこともあまり知らなかったので、私がうまく立ち回れなかったのも大きいですが、あるとき事務所に相談したら「合コンを開いて仕事もらえるならやってこい」と言われて、辞めようと決めました。
今でも付き合いのあるタレントに、辞めた理由を話したら、「そういうのは断ってもいいんだよ!」と言ってくれましたが、(タレント活動には実際問題として)年齢の壁もあるし、難しかったですね。
その経験があるからこそ、今はすべての結果が自分に返ってくる、ライターをしているのかもしれないです。嫌だからと断っても、自分の仕事がなくなるだけなので、いろいろなものを天秤にかけて計算しつつも、露骨なものに対してはNoと言いやすいです。
――今回、出版取り下げの声を上げたのも、自分の気持ちを最優先した結果だったのですね。
そうですね。もしクライアントから「仕事をあげるから一緒に帰ろう」と言われて、断って仕事がなくなったとしたら、その仕事は自分にふさわしくなかったということです。応じたところで、自分はそれでしか仕事をもらえないんだな、と思ってしまうでしょうから。ライターである限り、嫌なら嫌だと言い続けると思います。もしそれでお仕事が完全になくなってしまったら、業界自体がダメなんだと見限るのではないでしょうか。
●最後に
「出版の取り下げによって、失わずにすんだものがたくさんあった」と五十嵐さんは振り返った。しかし、出版という貴重な機会を手放すことになってしまったのもまた事実だ。
生配信で突然、なぜ今回のようなことが起こったのかは知る由もないが、会社員やフリーランス問わず、誰にとっても他人事ではないだろう。もしライター側として、同じような場面に直面したらどうするか? 自分を見つめ直す意味で、この機会に考えてみてはどうだろう。
【筆者プロフィール】 肥沼和之:1980年東京都生まれ。ジャーナリスト。人物ルポや社会問題のほか、歌舞伎町や夜の酒場を舞台にしたルポルタージュなどを手掛ける。東京・新宿ゴールデン街のプチ文壇バー「月に吠える」のマスターという顔ももつ。