上司や同僚がどのくらいの給与をもらっているのか、気になる人は多いだろう。米紙ウォール・ストリート・ジャーナルの日本版が1月、「全従業員の給与額公開は是か否かー米で増加中」と題する記事を掲載した。記事によれば「現在、全従業員の給与に関する情報を社内で公開する雇用主が増えつつある」という。
狙いは「給与とパフォーマンスに関する問題を話し合いのテーブルに乗せ、給与の不公平さを排除して、より良いパフォーマンスを引き出すことにある」そうだ。
「全従業員の給与公開」制度が、日本でも広がる可能性はあるのだろうか? このような制度のメリットとデメリットは何だろうか? 今井俊裕弁護士に聞いた。
●企業側にとってもデメリットがある
「給与公開制度の導入は、従業員と企業者側の双方または一方にでも、具体的なメリットがあるのか、我が国では未だ十分な検証がなされているとは言えない思います。この制度が日本でにわかに広がる可能性が高いとまでは言えないでしょう」
今井弁護士はこう結論から述べた。
「公開制度はまず、企業側にとっても、経営上、様々な支障が生じることが想定されます。
昨今のネット社会では、企業外に容易に情報が漏洩することから、競合する企業間での人材の奪い合いが起こることが考えられます。給与を公開したA社の従業員に、競合のB社が、より高給の条件を提示して引き抜くようなケースです。
また、給与情報の公開が、業務へのモチベーション向上に生かされるのではなく、賃上げ交渉などで、労働者同士の団結強化へと作用するケースも想定されるのではないでしょうか。そうすれば使用者側にとっては、労働者側からの賃上げ要求等の労使交渉の場で、足かせになることも考えられます。
さらには、公開を前提にすると、処遇に対する従業員一人一人の不公平感への、よりいっそうのきめ細かな配慮が必要となります。その結果、使用者が人事査定や賞与査定をする上で、非常に窮屈になることも考えられるでしょう」
●日本では「給与公開制度」は現実的でない
いっぽうで、すでに導入した米国の企業は、給与と個人業績についてオープンな議論をすることのメリットがあると考えているようだ。
「日本においては、その点がメリットになるのか、十分な検証がなされていません。我が国では、自らの職歴をもとにした頻繁な転職も、外国と比較して多いとは言えず、また、賃金額などの労働条件の個別的な交渉の土壌が広範にあるとも言い難いです。
米国のような流動性が高い市場であれば、オープンな議論にも相応の意味があるかもしれません。しかし、日本ではこのような背景から、従業員の賃金額の公開は、現時点では未だ現実的ではないと考える企業が多いのではないでしょうか」
今井弁護士は、最後に次のように指摘した。
「賃金額は、従業員の個人情報やプライバシー情報です。たとえ企業内であっても、それらを公開することは、従業員の権利や利益の侵害ととられる可能性もあります。何らの措置なく公開すれば、使用者の配慮義務違反や不法行為として、従業員に対して慰謝料等の賠償責任を負う可能性もあります。
仮に公開するにあたっても、社内の規則変更を検討しなければなりませんが、前述したようなプライバシーなどへの配慮から、変更の有効性も問題となるでしょう。
この制度がにわかに日本で広がる現実的な可能性は低いでしょう」