佐賀県伊万里市の円通寺に放火したとして、現住建造物等放火の疑いで、この寺の僧侶見習いの20代男性が7月6日、県警に逮捕された。
RKB毎日放送(7月6日配信)によると、男性は6月30日、寺の生活スペースである「庫裏」の2階に火をつけ、本堂や庫裏を全焼させた疑いが持たれている。
取り調べに対し「人生のすべてが嫌になって放火した」「掃除や事務作業、生活指導が嫌だった」「警策で肩や背中を叩かれるのがほかの見習いに比べて多いと感じていた」「修行の量に不満があった」などと話し、容疑を認めているという。
この事件を受けて、SNSでは「令和の金閣寺じゃん」「金閣寺放火事件を彷彿とさせる」といった投稿も相次いだ。修行僧による寺院放火という構図が、1950年に起きた金閣寺放火事件や、それを題材にした三島由紀夫の小説『金閣寺』を連想させたようだ。
もちろん、放火は決して許される行為ではないし、指導の実態が実際にどうだったのかは現時点で明らかになっていないことには留意が必要だろう。一方、今回の事件は、現代の寺院における僧侶の修行や指導のあり方について、改めて考えさせる出来事となった。
一般社会では、若手への厳しい指導がハラスメントと受け止められる場面も少なくない。宗教界・仏教界でも、修行や指導のあり方は変わりつつあるのか。
自身も僧侶で、宗教法人や寺に関する事案を数多く手がける本間久雄弁護士に聞いた。
●「どこかで思いとどまる機会があったのでは」
──僧侶でもある本間弁護士は、「修行への不満から住み込む先の寺に放火した」とされる今回の事件をどのように受けとめましたか。
まず、被害に遭われた寺院にお見舞い申し上げます。
放火した僧侶見習いも、何らかの志を持って修行に入ったはずです。その人が、このような事件を起こしてしまったことは残念でなりません。
放火という重大犯罪に至るまでに、どこかで思いとどまる機会があったのではないかと思案に暮れています。
──「現住建造物等放火罪」とは、どのような罪でしょうか。
現に人が住居として使用している建物や、現に人がいる建造物などを放火して焼損させる犯罪です。
法定刑は、死刑または無期、もしくは5年以上の拘禁刑です。放火によって火が燃え広がり、人の生命や身体、財産に重大な危険を及ぼすため、非常に重い刑罰が定められています。
●厳しい修行に耐えられず辞める人は昔からいた
──若手や見習いの僧侶が、昔ながらの厳しい修行に耐えられなくなってきているという実感はありますか。
厳しい修行に耐えられず、途中で辞める若手僧侶は、どの宗派にも一定数いるのではないかと思います。
私自身も、修行を途中で断念した僧侶の話を聞いたことがあります。
ただ、そのような人は、昭和の時代にもいたと聞いています。令和になって急激に増えたというわけではないはずです。
●宗教界でもハラスメントへの意識は高まっている
──一般社会では、厳しい指導がハラスメントと受け止められるケースも増えています。宗教界・仏教界でも、修行や指導のあり方を見直す動きはあるのでしょうか。
一般社会と同様に、宗教界・仏教界でもコンプライアンスの意識は高まり、ハラスメントへの対応が求められるようになっています。
これまでは業界の“内輪”で処理されていたような事案もあったと思いますが、近年は寺院での性暴力や、僧侶が修行する「僧堂」で起きた暴行事件なども積極的に報じられるようになりました。
さらに、SNSの普及によって、問題は瞬く間に世間へ拡散します。
寺社仏閣の不祥事は特に耳目を集めやすく、炎上にもつながりやすい傾向があります。そのため、修行機関に携わる宗教者は、ハラスメントを防ぐことについて以前よりも相当センシティブになっているのではないでしょうか。
●「修行」と「人権」は両立できる
──僧侶や寺院関係者もハラスメント研修を受ける機会はありますか。
宗派や寺院によってハラスメントの防止に対する姿勢はまちまちですが、大きな傾向としては、宗派が中心となってハラスメント防止のガイドラインを策定したり、ハラスメント防止研修を実施する動きが広がっています。
──修行の意義と、現代的な人権意識やハラスメント防止の考え方は、どのように両立させるべきでしょうか。
修行とは、自分自身の内面と向き合い、人格的な成長を目指す宗教的な実践行為です。
その過程で、指導者から厳しい指導を受けたり、修行者同士の真剣なぶつかり合いが必要な場面もあるでしょう。
しかし、指導者と修行者の双方が、「何のために修行をするのか」という原点に常に立ち返っていれば、ハラスメントが起こることはないと思います。
修行と現代的な人権感覚は、必ずしも矛盾するものではなく、むしろ十分に両立できるものだと考えています。