新天皇の即位儀式が5月1日に行われ、同日、令和に改元される。国全体が祝賀ムードに包まれる中、一部で注目されているのが恩赦。今年10月の「即位礼正殿の儀」を受けて行われるという報道もされているが、改元の時期になると話題になる恩赦とは、どのような制度なのだろうか。(ジャーナリスト・松田隆)
●恩赦が存在する理由は4つ、最後の救済手段
恩赦は天皇の国事行為として憲法7条6号、内閣の職務として同73条7号に規定されている。内容、手続き等は恩赦法、恩赦法施行規則に定められているが、実は法令内に「恩赦」の定義はない。
月刊誌「更生保護」(日本更生保護協会発行)1972年7月号の記事「個別恩赦と保護観察」(法務省保護局恩赦課)の中で「恩赦は、行政権の権限によって犯罪者をゆう(宥)免する制度であり、それは国家の刑罰権を消滅させ、又はその効力を減殺する特異な行政作用」とされており、それが一般的な理解であろう。
恩赦は方法によって2つに分けられる。政令によって一律に行われる「政令恩赦」と、特定の者に対して個別的な審査の上で行う「個別恩赦」で、さらにその内容は5種類に分類される。
(1)大赦:政令で罪の種類を定め、特定の犯罪者全体について一般的に刑罰執行権を消滅 (2)特赦:特定の者に対し有罪の言渡しの効力を消滅 (3)減刑:刑を減軽、または執行を減軽 (4)刑の執行の免除:刑の執行のみを免除 (5)復権:有罪の言渡しで資格を喪失または停止された者の資格を回復
裁判所が決めた刑罰を内閣が変更することへの批判は少なくない。それなのに実施する理由として前出の「個別恩赦と保護観察」では4つの点を挙げている。
(1)法の画一性に基づく具体的不妥当の矯正 (2)事情変更による裁判の事後変更 (3)他の方法では救えない誤判の救済 (4)受刑者の事後の行状等によって刑事政策的な裁判の変更等
恩赦は奈良時代から存在していると言われ、当時は為政者が国民を懐柔する1つの方法として行われていたと思われる。しかし、現代ではその意義も変容した。
刑事司法システムの中で出された結論が時代の変化等で妥当性を欠くものになり、かつ、修復が困難である場合に、最後の執行の部分で救済するのが恩赦の存在意義。極めて抽象的に表現すれば「刑事政策のジョーカー」のようなものであろう。
特に執行を待つだけの確定死刑囚にとっては、国がジョーカーを切ってくれることに一縷の望みを託すしかない。
●恩赦を期待して控訴取り下げた死刑囚夫婦、その結末は
日本国憲法下(1947(昭和22)年5月3日施行)で、政令恩赦または特別基準恩赦(個別恩赦の一種)はこれまでに9回実施された。皇室の慶弔以外にも、サンフランシスコ平和条約発効(1952年)や国際連合加盟(1956年)、沖縄本土復帰(1972年)の際に行われている。
直近は1993年の「皇太子殿下(徳仁親王)御結婚恩赦」。この時、対象となったのは、1277人だった。
昭和から平成に替わる際は、「大喪の礼」(1989年2月)、「即位礼正殿の儀」(1990年11月)にあわせて2度、実施されている。
今上天皇の即位恩赦では政令による恩赦での復権が約250万人、特赦267人、減刑77人、刑の執行の免除10人、個別の恩赦による復権25人。
しかし、昭和天皇の病状悪化が報じられたあたりから、新天皇の即位による恩赦を期待し、受刑者や被告人の動きが活発になったとされる。
「恩赦にらむ動き、徐々に 上訴取り下げ目立つ」(朝日新聞1988年12月6日付け朝刊)という記事もあり、恩赦の対象になろうと下級審での判決を確定させる動きをレポートしている。
●死刑→無期懲役に減刑された事例も
その例として有名なのは「夕張保険金殺人事件」の死刑囚。1984年に暴力団組長とその妻が炭鉱作業員宿舎に放火し、従業員ら6人を死亡させた事件である。
1審の札幌地裁で2人は死刑を言い渡されたが、控訴審係属中の1988年10月までに控訴を取り下げて1審判決を確定させた。昭和天皇が1989年1月7日に崩御し、今上天皇が即位したが、期待された恩赦はなし。
後に「恩赦があると誤信して控訴を取り下げた」と控訴審の再開を求めて特別抗告したが、1997年6月までに最高裁に棄却された。この夫婦は同年8月1日に死刑を執行されている。なお、朝日新聞によると戦後、恩赦で死刑が無期懲役に減刑された例は1988年時点で合計24人。
令和への改元にあたっては、恩赦狙いの上訴取り下げという話題は目立っていない。ただ、平成の時と同様に祝賀ムードの世間と異なり、生きるか死ぬかの思いで新天皇の即位を待つ人々がいることは間違いない。
【プロフィール】 松田隆(まつだ・たかし) 1961年、埼玉県生まれ。青山学院大学大学院法務研究科卒業。ジャーナリスト、駿台法律経済&ビジネス専門学校講師。主な作品に「奪われた旭日旗」(月刊Voice 2017年7月号)ジャーナリスト松田隆 公式サイト:http://t-matsuda14.com/