警視庁が扱う事件について、報道機関の独自取材による「前打ち報道」のタイミングが各社でそろう現象が確認されている。
なぜこのようなことが起きるのか。現場の記者に話を聞くと、捜査当局に激しい取材競争を利用される報道機関の実情の一端が見えてきた。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)
●独自取材の前打ち報道、各社が23時でそろう
弁護士ドットコムニュースは10月26日、「『再逮捕へ』23時ちょうどに何故、新聞テレビ各社は報じたのか? 台東区4歳児殺害事件“前打ち”報道のナゾ」というタイトルの記事を配信した。
東京都台東区の夫婦が娘らを殺害した疑いの事件や品川区の住宅で母子4人の遺体が見つかった事件などの警視庁が扱う事件のニュースで、各新聞やテレビが「警視庁が再逮捕する方針を固めたことが捜査関係者への取材で判明した」という表現で再逮捕の前日夜に一斉にネット上で記事を配信しているケースがある、という内容だ。
これらのニュースは当局が発表する前の情報を独自取材によって発表前に把握して報じたもので、「前打ち報道」と呼ばれることがある。
不可解なのは、独自取材に基づく報道であるにもかかわらず記事の配信時刻が各社で一致していることが珍しくない点だ。
警視庁ならではの報道ルールがあるのかもしれないと思い警視庁広報課に問い合わせたが、「報道機関が行う報道の内容については、当庁としてお答えする立場にありません」とのことだった。
新聞社や通信社が独自に報じた「再逮捕へ」の記事。配信のタイミングがなぜか10月24日23時にそろっている。共同通信と東京新聞はその数分後に配信している
●元警視庁担当記者「時間単位で設定されることはなかった」
そこで、警視庁の取材経験がある記者たちに現場の事情を聞いてみることにした。
殺人事件などを捜査する警視庁・捜査1課を担当したことがある男性記者によると、以前から紙の新聞上では前打ち報道の記事掲載の解禁日を警視庁から設定されることがあったという。
ただ、インターネット上の記事配信のタイミングを時間単位で設定されることはなかったといい、「経緯はわからないが、各社が記事を紙面や放送よりも先にウェブに出すことを優先するようになったここ数年の変化ではないか」と話す。
この記者によると、社会の注目を集める事件の「再逮捕へ」といった前打ち報道は各社とも当然に狙いながら取材しているといい、各社の担当記者がそろった場で警視庁の発表を聞きながら「捜査関係者によると〜」と表現をぼかして書いている、というわけではないようだ。
複数の記者から聞いた話を総合すると、各社が独自に取材して得た情報の裏付けを取るために警視庁の幹部に確認する際に、解禁のタイミングを指定されることがあるという。
確かに、今年1月から警視庁が扱う事件のニュースをネット上でチェックしていると、各社の報道のタイミングが一致している記事の多くは「再逮捕する方針を固めた」という内容だった。
写真はイメージ(Ystudio / PIXTA)
●解禁付きで報道各社も省力化?
こうした状況が生まれる背景について、前出の記者は推測を交えながら次のように説明する。
「当局側が解禁日時を設定する理屈として想定できるのは、例えば『再逮捕へ』という前打ち記事を記者が好きな時に書いていいよとなったら、各社どんどんタイミングを早めて報じるようになる。そうすると、被疑者の代理人弁護士から苦情が入るなど当局にとって嫌なことが生じる。
なので、各社とも把握している可能性が高い話であれば、『何時に合わせて』と言われても、各社もそこで争わなくてもいいという思いがあるので当局の要求を飲むことが常態化しているのではないか」
警視庁を担当する記者たちは事件現場や周辺の聞き込み、事件や捜査に関係する人の自宅や通勤路への突撃など、早朝から深夜まで取材にかけずり回っており、マスコミの中でも特に激務の担当だ。
そうした仕事柄、「再逮捕へ」などといったある程度事前に予測される手続き上の捜査当局の動きを前打ち報道することにはあまり価値が置かれず、それ以上の他社が把握していない情報を求めて日々激しい競争をしているという。
また、事件の細かい話を追う中で捜査の問題点が見えてくることもあるため、そうした警察取材の競争が悪いとは一概に言えないと話す記者もいた。
警視庁(iLand / PIXTA)
●当局から記者への「有形無形の圧力」
一方で、一般の読者や視聴者からすると、各社とも把握している情報だからといって捜査当局による報道解禁指定の要求に従うことが報道機関の中で半ば当たり前のことになっているとすれば、「馴れ合い」という疑問も浮かんでくる。
記者からは次のような話も聞かれた。
「警視庁は日本の警察で一番大きな組織なので、不祥事の数も一番多いはず。それがあまり出てこないというのは当局にグリップされているということだと思う。警視庁担当は各社間の争いがし烈なゆえに警視庁に情報をグリップされてしまっている。いくつかの都道府県で警察取材を担当したことがあるが、警視庁は群を抜いてグリップされている」
この記者によると、ある時に書いた記事が警視庁幹部の機嫌を損ねたようで、「しばらく個別取材を受けない」と言われたことがあるという。
今も続いているかは不明だが、警視庁の捜査1課では課長が毎日、各社の個別取材に応じる時間があったといい、各社の記者は独自取材で得た情報の裏付けをその場で取ろうとすることもあったという。
個別取材を受けてもらえなくなると、他社が報じたニュースの裏付けをすぐに取ることが難しくなるなど、日々の事件報道の継続に支障が出ることになる。
警視庁はメディア同士の競争原理を理解した上で、各社の記者に対してこうした手法を日常的に使い分けて情報管理を行っているようだ。この記者はそれを「有形無形の圧力」と表現する。
大川原化工機の冤罪事件をめぐる国賠訴訟で判決後に記者会見を開く代理人弁護士や原告たち(2023年12月、弁護士ドットコムニュース撮影)
●「警視庁の記者はコントロールされている」
警視庁には、汚職事件などを担当する課や特殊詐欺の捜査に当たる課などさまざまな部署が存在するが、当局から報道機関への圧力は捜査1課に限った話ではないとみられる。
記者たちの話を聞いて気になったのが、大川原化工機の冤罪事件をめぐる報道だ。
同社が起こした国家賠償請求訴訟で、1審の東京地裁から賠償を命じられた国と東京都が控訴することを決めた際、報道機関3社が今年1月10日午後1時ぴったりに、「関係者への取材でわかった」などと独自取材の結果として「控訴へ」という記事を配信した。
この冤罪事件では警視庁公安部の捜査手法に強い疑惑の目が向けられており、賠償を命じられた国と東京都が控訴すること自体に社会から批判が集まる可能性があった。
そのような事件でも3社で報道のタイミングが一致したのを見ると、当局に都合の悪いことを報じる際にも警視庁の圧力に報道側が屈しているのではないかという疑念が生じる。
実際、事件取材の経験が長いある記者は「警視庁の記者はかなりコントロールされている。今までみてきた記者クラブで一番やばい」と危機感を隠さない。
冒頭の記者は「当局に対して勝負すべきところで勝負できているのか。大川原化工機の冤罪事件の報道を見れば明らか。その見極めの仕方が世間とずれてしまっている。警視庁担当の記者はしんどいと思うが、視野狭窄になってしまっている」と明かす。
そのうえで、「今の取材、報道のあり方に問題意識を持っている記者も多いと思う。ただ、組織、チームで取材しているので、記者個人ではこの現状をなかなか打開できない」と語った。