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「90歳母の遺体」と1年9カ月暮らした60代女性、「あの日」から書き始めた日記に残された苦悩
岐阜地裁(天空のジュピター / PIXTA)

「90歳母の遺体」と1年9カ月暮らした60代女性、「あの日」から書き始めた日記に残された苦悩

自宅で同居していた90歳の母親が死亡したあと、役所にも誰にも知らせることなく、約1年9カ月にわたって遺体を自宅に置き続けた──。

そんな事件で、死体遺棄罪に問われた60代女性の初公判が7月17日、岐阜地裁で開かれた。検察が拘禁刑1年を求刑して結審した。

同居する家族の遺体を放置する事件は、年金の不正受給や、犯罪の隠蔽などが背景にあるケースも少なくない。

しかし、この裁判で浮かび上がったのは、それとは異なる姿だった。

母の死を受け入れられず、時間だけが過ぎていく日々。そして、母が亡くなったその日から書き始めた日記には、「あの日」から止まった時間と苦悩が記されていた。(裁判ライター・普通)

●「母は夕方…」日記につづられた死亡時期

身柄を拘束された被告人は小柄で細身。髪は腰近くまで伸びていた。

起訴状によると、被告人は2024年8月初旬、岐阜県内の自宅にて90歳の母親が死亡したことを知りながら、葬祭の手続きをせず、2026年4月末まで遺体を放置していたとされる。被告人は起訴内容を認めた。

検察官の冒頭陳述などによると、被告人は高校卒業後、複数の仕事を転々としていたが、約20年前から無職となり、母親との二人暮らしだった。妹は若い頃に家を出ており、父親は30年以上前に亡くなっている。

2021年に母親は要介護認定を受けたが、翌年には更新手続きをせず、その約1年半後に亡くなった。

事件が発覚したのは、役場が約3年間母親の安否を確認できず、警察へ相談したことがきっかけだった。警察官が母親との面談を求めると、被告人は当初拒んだが、最終的には「亡くなっている」と打ち明けた。

ベッドには、ミイラ化した母親の遺体が横たわっていた。

その後、押収されたスマートフォンから、事件の全容を知る重要な手がかりが見つかる。

死亡当日とみられる日に記された「母は夕方…」というメモ。そして1年後には「あの日から1年です。1人で1年過ごしました」と書かれていた。

この日記が、母親の死亡時期を大まかに裏付けるものとなった。

●「昼間までは元気だった」突然訪れた母の死

法廷で、被告人は当時の状況を静かに語った。

介護認定は受けていたものの、母親は元気だったという。

認定更新には医者の診断が必要だったが、母親自身が拒み、コロナ禍で病院にも行きづらかったことから更新はしなかった。役所の月1回の訪問で事足りると思っていた。

母親が亡くなった日も、昼過ぎまでは「いつもと変わらなかった」。

被告人が庭の草むしりを終えて家に戻ると、母親はベッドの上で息をしていなかった。時間を置いて呼吸を確かめたが、変わることはなかった。

突然、一人になった。20年近く母親と暮らしてきた被告人は、何も考えられないまま数日を過ごしたという。

少し落ち着いた頃には、今度は「遺体を数日そのままにした」という事実を言い出せなくなった。母親の年金は振り込まれ続けたが、生活費は貯蓄でまかない、その金には手を付けなかったという。

●「私も消えたい」日記につづられた苦悩

被告人は、母親が亡くなった日から日記を書き始めた。

弁護人:あなたの日記には自殺を伺わせるものもありましたが、どういうことでしょう
被告人:私自身も消えたい気持ちで…起きたらそのまま私もいなくなってたらなと。

弁護人:この状況はどうなると思ってましたか。
被告人:どうにかなるとかは考えてませんでした。ただ、母にごめんなさいと。

日記には「お母さんにお茶を届ける」といった記載もあった。母の好物を枕元に供え、定期的に服を着替えさせるなど、被告人なりの弔いだったのだろう。

一方、時間を経つほど、周囲へ打ち明けることは難しくなった。

役場の職員が自宅を訪ねてきた際には、母親が生きているようにふるまった。近所の人が食べ物を差し入れてくれたことも日記には記されていたが、それでも母親の死を誰にも伝えることはできなかった。

●社会復帰後も「一人」

検察側は、約1年9カ月という放置期間の長さや、役場との面談を拒否したことなどを重視し「相応に悪質」として拘禁刑1年を求刑した。

一方、弁護人は、年金を不正受給する目的はなく、死者の尊厳をことさらに害した態様もないとして、寛大な判決を求めた。

被告人には頼れる親族がおらず、社会復帰後も帰る場所は母親と暮らした家しかない。法廷では「今後困ったことがあれば、行政を頼る」と話した。その背中はとても小さく見えた。

弁護人は、そんな被告人に向かって「本当に大丈夫?」と声をかけた。

この事件で裁かれるのは死体遺棄罪だ。しかし、裁判を傍聴していると、法廷の外にはもう一つの問いが残されているように感じられた。

役場職員も捜査機関への取調べで「支援先でこのような事件が起きて残念」「もっと頼ってほしかった」と悔やんでいた。

司法で一区切りがついたあとも、この事件が投げかけた課題は、行政や地域社会が向き合うべき問題として残り続ける。

この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいています。

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