人間が置き忘れたカメラで「自撮り」をしたサルの写真について、アメリカの動物愛護団体が、「サルが自撮りした写真の著作権はサルにある」と主張していた裁判で、米サンフランシスコの連邦地裁は1月7日までに、サルに著作権はないとする判決を言い渡した。
2011年、インドネシアの島を訪問していたカメラマンのデイビッド・スレイター氏のカメラが、好奇心旺盛なサルに奪われ、サルがシャッターを押しているうちに、偶然「自撮り写真」がとれた。
スレイター氏は自身の著作権を主張する一方、アメリカの著名な動物愛護団体「動物の倫理的扱いを求める人々の会」(PETA)は「著作権は写真を撮ったサルにある」と、サルに著作権を認めるよう訴えていた。今回の判決をどうみればいいのか。著作権の問題に詳しい冨宅恵弁護士に聞いた。
●「著作物」とは、どういうものか?
「今回の問題を考える上で、著作権で保護される著作物が、どういうものか確認しておきましょう。
著作物とは、『思想又は感情を創作的に表現したもの』をいい、思想又は感情を抱く主体としては『人』を予定しています」
冨宅弁護士はこのように切り出した。具体的には、どうやって区別すればいいのだろうか。
「たとえば、幼少なお子さんが制作した作文であれば、個性が表現(独自性と言い換えてもいいです)されている限り、著作物であると判断されます。
一方で、ネット上に存在する文書を、機械が一定のルールに従って切り貼りして完成した物語は、出来栄えがよいものであったとしても、『人』の思想や感情に基づくものではありませんので、著作物には該当しません。
また、『人』であれば、幼児が書いた絵であっても個性が表現されていれば著作物であると判断されますが、『サル』が描いた絵は、『人』の思想や感情に基づいて制作されたものではありません。
仮に幼児が描いたものより整った絵ができあがったとしても、著作物とは認められません」
●サルが撮った写真は「著作物」なのか?
写真については、どう考えればいいだろうか。
「写真は、被写体の選択、組合せ、配置、構図、カメラアングルの設定、シャッターチャンスの補足、被写体と光線との関係、陰影の付け方、色彩の配合、部分の強調・省略、背景等について、程度の差はあるものの『人』である撮影者の個性が表現されて、著作物と評価されるようになります。
したがって、完全に機械が自動的に撮影したために、人の個性が入る余地のない写真はもちろん、動物が撮影した写真についても、著作物であると評価される余地はありません」
すると、今回の写真も、著作権上の保護を受けないということだろうか。
「そうですね。『サル』が撮影した写真については、著作物に該当することがありませんので、著作権法によって保護されることはありません。一方で、カメラの持ち主も、自分で撮影したわけではありませんから、著作権を主張することはできません。誰でも自由に使用することができます。
画像がデータ形式で公表され、誰も自由に使用しうる状況にある以上、その使用を差止めすることはできません。このことは、アメリカと日本で差異はありません」
日本でも、同様のことが裁判で争われたことがあったのだろうか。
「著作権に関してではありませんが、環境保護の観点から奄美の『クロウサギ』、水戸の『オオヒシクイ』が原告となって訴訟が提起されたことがあります。
いずれの事件においても、訴訟を提起することができるのが『人』に限定されているとの理由で、原告として認められない判断されています。
そもそも、法律は『人』を対象としたものであり、法律の世界では動物は原則として『物』として取り扱われています。法律の世界では『物』として扱われる『サル』の著作権が認められるということは、日本でもアメリカでもありません」
冨宅弁護士はこのように述べていた。