「冤罪の被害者は、刑の軽重に関係なく、社会的にも『死刑』同然なんです」
20年以上前に執行猶予付きの有罪判決を受けた林肇輝(はやし・けいき)さん(85)は、今も無実を訴え続けている。
国会では、「再審」制度の見直し議論が続いているが、注目を集めるのは死刑や殺人事件など重大事件が中心だ。
その陰で、声を上げることすらできず、社会から忘れられたまま、老い、病み、そして死んでいく人たちがいる。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)
●狙われたのは日中共同で開発した「抗がん剤」
林さんは2001年夏、薬事法違反の疑いで逮捕された。
岡山大学医学部の助教授だった林さんが、JICAの専門家として中国・大連医科大学に派遣されていた1990年代後半、日中共同で開発した抗がん剤「ヘプリピン」を、当時の厚生大臣や岡山県知事の許可なく製造、販売、広告したとされた。
林さんは一貫して容疑を否認し、裁判でも全面的に争った。
林さんの自宅には、膨大な裁判資料がファイルに閉じて整理されている(2026年1月6日、岡山市で、弁護士ドットコムニュース撮影)
しかし、岡山地裁(榎本巧裁判長)は2004年12月、共犯者とされた男性の供述などを根拠に、林さんに懲役1年6カ月、執行猶予4年、罰金50万円の有罪判決を言い渡した。
●裁判中に浮上した「おとり捜査」の疑い
裁判では、捜査の端緒そのものをめぐって異例の展開もあった。
当時の報道によると、林さんへの捜査は、倉敷市に住む人物がヘプリピンを購入した後、警察署に通報したことがきっかけだった。
この人物は法廷で「母親ががんだと思い込み、抗がん剤を購入した」などと証言した。
しかし、林さんの弁護人が病院に照会したところ、カルテには「(母親の体調は)問題ない」という趣旨の記載があったという。
「有罪か無罪かは警察が決める」。取り調べ中にそう言われたと振り返る林さん(2026年1月6日、岡山市で、弁護士ドットコムニュース撮影)
さらに林さんによると、この人物が営んでいた喫茶店には警察官が頻繁に出入りしていたことから、弁護側は「おとり捜査の疑いがある」と主張。一度は判決の言い渡しが延期される異例の経緯をたどった。
●「有罪か無罪かは警察が決める」脳裏に焼きつく言葉
「捜査機関は、これが僕を首謀者とする日中合作の巨大組織犯罪で、林が巨万の金を隠しているという筋書きで捜査を始めました」
林さんは、自身が中華系であることに触れながら、大学内での派閥争いや人種差別も事件の背景にあったという見方を示す。
取り調べ中、岡山県警のある警部補から、こんな言葉を投げかけられたという。
「ジジイ、お前は何も知らん。警察が仕事をやらないと検察は仕事がない。裁判官は無知、無能、無責任の人。だから、有罪か無罪かは警察が決める」
取材中、林さんはこの言葉を繰り返し語った。
林さんが勤めていた岡山大学のキャンパス入り口(2026年1月7日、岡山市で、弁護士ドットコムニュース撮影)
●共犯とされた男性が供述覆すも、有罪が確定
共犯者とされた男性は逮捕後、20日以上の身柄拘束を経て、検察官に対して「林さんの指示でやった」と供述した。
しかし、公判では供述を覆した。
弁護側は捜査段階の供述の信用性を争ったが、裁判所は伝聞証拠の例外規定を根拠に供述調書を採用し、公判証言は退けた。
林さんは「あの警察官の言葉どおりになった」と振り返る。
控訴、上告も退けられ、2007年7月に有罪判決が確定した。
●「軽い事件」に埋もれる冤罪、「ほとんどは泣き寝入り」
執行猶予付き判決は、刑務所に入らずに済むことから「軽い処罰」と受け止められがちだ。
しかし、一度有罪判決が確定すると、それを覆すことは極めて難しい。
殺人事件などであれば、事件そのものが社会的な関心を集め続けることもあるが、比較的軽い事件は、ニュースになっても裁判が終われば忘れられてしまう。
一方、それが冤罪だったとしても、無実を訴え続ければ、再び事件を蒸し返し、偏見にさらされるリスクを負うことになる。
裁判のやり直しを求めようにも、多くの場合、日弁連などの組織の支援を受けられず、個人で関わってくれる弁護士や支援者を見つけることも相当困難だ。
林さんによると、ほとんどの人は現実的な負担を考えて、泣き寝入りせざるを得ないという。
林さんが事件の経緯や関連資料をまとめたファイル(2026年1月6日、岡山市で、弁護士ドットコムニュース撮影)
「冤罪というと、新聞やテレビは重大犯罪しか扱いませんが、軽い事件を含めると相当の数が眠っているはずです。冤罪の被害者は死ぬまで牢獄に入れられているのと一緒です」
林さんはそう語気を強める。
●再審法改正案に問題多く、「このままでは検察独裁の制度に」
事件をきっかけに、林さんは日本の刑事司法そのものに強い危機感を抱くようになった。
日々、冤罪や違法捜査、人質司法に関するニュースを読み、気になった新聞記事は切り抜いて、線を引きながら読み込む。
自宅2階には、テーマごとに綴じた膨大な裁判資料のファイルがずらりと並んでいる。
林さんは日々気になった、冤罪や人質司法など刑事司法に関する記事をスクラップしている(2026年1月6日、岡山市で、弁護士ドットコムニュース撮影)
国会では再審法改正の審議が進むが、「証拠の全面開示」規定が盛り込まれず、開示された証拠の目的外使用を禁止する規定が入るなど、冤罪被害者から「救済につながらない」との懸念が上がっている。
「事件後、僕は冤罪研究を始めました。なんでこんなバカなことが起きるんでしょうか。このまま法案が通れば、冤罪被害者のためなのか、検察独裁のためなのかわかりません」
林さんは、冤罪を早期に救済するためには、再審を専門に扱う第三者機関の設立が必要だとうったえる。
●2度目の再審請求へ「子孫に汚名を残したくない」
2009年、林さんは再審を請求した。
しかし、新たな証拠が開示されることはなく、請求は退けられた。
「(共犯者とされた男性の)供述調書が開示されたら、供述の変遷がわかる形で出てくると思うので、全調書の開示を求めたいです」
「死ぬまでに冤罪を晴らしたい」と語る林さん林さん(2026年1月6日、岡山市で、弁護士ドットコムニュース撮影)
現在、林さんは2度目の再審請求に向けた準備を進めている。
「僕は悪いことを何一つしていません。子孫に犯罪者の汚名を残したくない。死ぬまでには必ず冤罪を晴らしたいです」