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4歳児誘拐殺人「吉展ちゃん事件」死刑囚の素顔と新事実 弁護人が半世紀ぶりに明かす
白井正明弁護士

4歳児誘拐殺人「吉展ちゃん事件」死刑囚の素顔と新事実 弁護人が半世紀ぶりに明かす

前回の東京五輪前年、1963年に台東区の村越吉展ちゃん(4歳)が身代金目的で誘拐、殺害された「吉展ちゃん事件」は、何度もドラマや映画になった有名な事件だ。が、注目されてきたのは主に捜査段階の話で、死刑判決を受けた犯人の時計修理工・小原保(1971年死刑執行)の裁判にはあまり光が当てられてこなかった。

小原はどんな人間で、裁判ではどう裁かれたのか。最高裁の上告審で弁護人を務めた白井正明弁護士(80歳)に、当時の話を聞いた。(ルポライター・片岡健)

●前任者の解任で突然、国選弁護人に

1967年の春のこと。弁護士になって3年目の若手だった白井弁護士が東京弁護士会の会員控室に立ち寄った時、何やら大騒ぎになっていた。聞けば、小原の上告審を担当した高齢の国選弁護人が解任され、弁護人を至急選任せねばならないとのことだった。

「この時に一緒にいたボス(所属事務所の経営者弁護士)は、『復讐するは我にあり』という小説や映画になった連続殺人事件の被告人を弁護した経験がある人でした。私にも『こういう重大事件を担当し、刑事弁護の経験にしてみては』と勧めてきたのです」

白井弁護士は当時から刑事弁護が好きで、とくに事実認定を争う事件が好きだった。が、この時は受任を躊躇したという。死刑事件だったためだ。

「死刑事件でも被告人を救える可能性があれば、死刑から救うために受任しようと思えます。しかし小原の場合、上告審でしたからね」

日本の裁判は三審制だが、最高裁の上告審で二審までの結果が覆ることはほとんどないのが現実だ。小原は一審で死刑、二審で控訴棄却の判決を受けており、救える見込みはないと思ったのだ。

それでも結局受任したのは、小原に縁を感じたためだった。

「その少し前、検察官が一審の無期懲役判決を不服とし、死刑判決を求めて控訴した強盗殺人事件の二審で弁護を担当したのですが、一審判決が維持され、被告人を救うことができました。この被告人は逮捕された時、同じ日に小原が自白したためにそのほうが大きく報道され、報道の扱いが比較的小さくなった。そのために救われたのではないかという思いがあったのです」

●上告審で自白を覆していた小原

白井弁護士は受任すると、東京拘置所に通い、小原と接見を重ねた。金に困って重大な事件を起こしたが、小原はおとなしい人物だったという。

身の上話も色々聞いた。福島県石川町で貧しい農家の五男として生まれた小原は、子供の頃に患った病気のために正常な歩行ができず、いじめにも遭っていた。不遇な少年期は山に登り、山並みを眺めている時が唯一、気分が安らいだと語っていたという。

「私も子供の頃、母親の実家がある福島県の会津に疎開していて、当時はよく山に登っていました。その話をしたら、小原は心を開いたようでした」

そして小原は、一、二審では認めていた捜査段階の自白が「事実と違う」と言い出したという。

「自白では、小原は被害者を誘拐した後、殺害するために寺の墓地に連れて行き、首をヘビ革のバンドで絞めたうえ、両手でもう一度絞めて窒息死させたと供述していました。しかし実際は、被害者を誘拐後に墓地で一休みしていたら、アベックがやって来たため、被害者に声を出されては困ると手で口を押えたところ、気がついたら亡くなっていたというのです」

つまり、小原は「死なせてしまったが、殺すつもりはなかった」と殺意を否定し始めたわけだ。事実なら、その罪は「殺人」ではなく、量刑に死刑がない「傷害致死」になる。

「取調べで罪を認めた後、最初は本当のことを話したが、捜査官に信じてもらえず、捜査官の言う通りの殺害方法にしてしまったとのことでした。私には、『子供を殺すのに、2度も首を絞めませんよ』と言っていました」

白井弁護士はこの新供述を聞いた当初、死刑を免れるための嘘ではないかと疑った。そこで反対尋問もして用心深く事実関係を確認した。小原は「いずれにせよ、自分には責任がありますし、反省もしています。しかし本当のことを伝えておきたいのです」と言っていたという。

●小原が明かした身代金持ち逃げ劇の真相

最高裁は通常、証拠調べを行わない。それでも、白井弁護士は小原の新供述を裏づける証拠を探すため、現場の寺に行ってみた。アベックが訪れるような墓地なのかを確認するためだったが、そういう様子はなかった。

一方、小原は「自白には、他にも事実と異なるところがあるのです」といくつかの「新事実」を語ったという。

たとえば、身代金を奪った時のこと。この事件で警察が当初、小原に身代金を持ち逃げされた話は有名だが、小原は足に障害があっても俊敏に動けたため、警察から逃げ切れたと伝えられてきた。自白もそうなっていた。しかし実際には、小原は盗んだ「自転車」を使い、素早く身代金を持ち逃げしていたというのだ。

「小原は歩くのが苦手なため、普段から自転車で行動することが多かったそうです。事件前には金策のため、石川町の実家に帰っていますが、その時も帰京の際は盗んだ自転車で駅まで出て、その自転車を駅近くで乗り捨てたとのことでした」

白井弁護士はこれらの話の裏づけをとるため、まず石川町を訪ねた。そして小原の説明と合致する時期と場所に自転車が放置されていたのを見たという人を探し当てた。さらに東京でも、小原が身代金を奪った後に自転車を乗り捨てたという場所の近辺で、「自転車が4月7日(小原が身代金を奪った当日)の朝に家の塀に立てかけてあった」という人を見つけたという。

白井弁護士はこの目撃者たちに頼み、供述録取書をまとめ、署名・押印してもらった。犯行時の移動手段に関する自白が事実と異なっていても、殺意の有無に直接関係はないが、「自白に何か問題があれば、強いられた自白だと主張することはできる」と考えたのだ。上告理由書では、「殺人ではなく、傷害致死だった」と主張し、供述録取書も一緒に提出したという。

ちなみに国選弁護では、調査費用は出ないので、出張も手弁当でまかなった。白井弁護士は「先輩たちもそうしていたし、弁護士はそういうものだと思っていました」と言うが、採算の合わない弁護だったことは間違いない。

しかし1967年10月13日、小原の上告は棄却され、死刑が確定した。

●周りで続いた死刑執行に動揺していた小原

小原から「面会に来て欲しい」との便りが届いたのは、しばらく経ってからのことだ。

「小原は上告が棄却された時は達観した様子でしたが、その頃、周りで死刑の執行が続いたためか、動揺したようです。言葉にはしませんでしたが、『助かりたい』という気持ちがあるように思いました」

ただ、もう判決を変えようがないと話をして別れるほかなかった。その後またしばらくして、小原から「ようやく納得しました」という内容の葉書が届いたという。

小原は死刑確定後、獄中で多くの短歌を詠み、透明な心境で過ごしたように伝えられてきたが、実際はそうではなかったようだ。1971年12月23日、死刑執行。享年38歳だった。

白井弁護士はその後、様々な重大事件を手がけたが、小原のことは今も時々思い出し、「一、二審の頃から弁護人に心を開き、もっと話をしてくれていれば・・・」と考えたりするという。

【取材協力】

白井正明(しらい・まさあき)弁護士

吉展ちゃん事件以後も徳島ラジオ商事件で再審無罪に尽力するなど、様々な重大事件を手がけた。豊田商事事件では、国家賠償請求訴訟弁護団の中心メンバーとして国の責任を追及。2011年に深谷市議ら2人が有権者20数人を飲食接待した容疑で逮捕され、不起訴になった事件では、有権者たちの弁護を手がけ、警察による自白強要の疑惑を表面化させた。

事務所名:白井法律事務所

【ライタープロフィール】

片岡健:1971年生まれ。全国各地で新旧様々な事件を取材している。編著に「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)。広島市在住。

(弁護士ドットコムニュース)

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