「私もオヤジ殺そうかな」。事件当日、居酒屋でこぼした一言が、現実となった。
2024年に大阪市の自宅で同居していた元夫(当時76)の胸を包丁で刺して殺害したとして、殺人罪に問われた被告人の女性(判決当時66)に、大阪地裁は6月16日、懲役5年を言い渡した。
検察側の求刑は懲役12年。辛島明裁判長はこれを「重すぎる」と指摘し、大幅に短い刑を選んだ。
なぜ、ここまで刑は軽くなったのか。
判決が認定した30年以上に及ぶ夫婦の歩みをたどると、借金や暴力、介護を一人で背負い続けた女性の姿と、裁判所が量刑で重視した事情が浮かび上がる。(弁護士ドットコムニュース編集部・塚田賢慎)
●30年余り、借金も介護も背負って
判決要旨によると、海外から来日した女性は元夫Aさんと知り合い、1986年に長男が生まれたことを機に結婚した。
しかし数年後から、Aさんは給料を交際費やパチンコにつぎ込み、生活費を入れなくなった。
判決要旨によると、Aさんは800万円を超える借金を二度抱え、その返済も家計も女性が支えた。一度は離婚して別居したものの、Aさんと長男を案じ、約1年後に再び同居。その後は内縁の夫婦として暮らした。
裁判所は、Aさんは朝帰りをしては金を求め、断られると女性の首を絞めることもあったと認定。長男にも金を無心していたという。
その後、Aさんはがんを患い、女性は事件当時まで介護を担い続けた。
耳が遠くなったAさんは補聴器を着けず、入れ歯を嫌がって女性が用意した食事を食べないこともあった。
長年にわたる生活の中で、女性は心労を募らせ、事件の少し前からはAさんについて「死んだらええ」と愚痴をこぼすようになっていたという。
●前日の口論、そして事件当日の一言
事件前日の2024年5月13日、Aさんが「金を貸せないなら長男の金を出してほしい」と求め、2人は口論になった。
わだかまりが残ったまま迎えた翌5月14日、女性は長男らと居酒屋で普段より多く酒を飲み、かなり酔っていたとみられる。
ニュースの話題の中で「私もオヤジ殺そうかな」と口にしたという。
午後10時過ぎ、長男に連れられて帰宅。その後、長男が外出すると、女性は2階の台所で刃体約21センチの包丁を手に取り、3階でベッドに横たわっていたAさんの右胸を1回突き刺した。
Aさんは搬送先で出血性ショックにより死亡した。
公判では、女性が刺した事実も、殺意があったことも争われなかった。
●正当防衛は成立しなかった
争点は、「過剰防衛」が成立するかどうかと、犯行当時の責任能力の2つだった。
弁護側は、女性の体にあざや肋骨骨折があったことなどから、暴力を受けて身を守るために刺した可能性があると主張した。
裁判所は、口論の際にAさんが女性を「たたく」程度の暴力をふるった可能性は認めた。
しかし、その後、女性はいったん2階へ下り、包丁を取って3階へ戻って、無防備に横たわるAさんを刺した点を重視。「その時点でAさんの暴力はすでに止んでいた」と認定した。
そのため、女性の身体に対するAさんからの危険が差し迫った緊急状態(正当防衛状況)にあったとの合理的な疑いは残らないとして、過剰防衛の成立を否定した。
●責任能力は認めたが「量刑」では考慮
弁護側は、飲酒による酩酊状態などから心神耗弱(刑法39条2項)にもあたると主張した。
裁判所は、中等度の酩酊状態で、飲酒の影響が「かなり大きかった」ことは否定しなかった。
それでも、30年以上積み重なった苦労、前日の口論などを踏まえると、犯行に至った経緯は「それなりに理解できる」と指摘。
犯行直後に119番通報して状況を説明し、警察官とも問題なく会話できていたことなどから、善悪を判断したり、自分の行動を制御する能力が「著しく減退していた」とまではいえないと判断した。
一方で、「完全責任能力を有していたとはいえ、責任能力が相当程度減退していたことも、量刑上は重視すべき」とも述べた。
●なぜ「懲役5年」だったのか
殺人罪の法定刑は、死刑または無期、もしくは5年以上の有期刑だ。
判決は心神耗弱を認めず、法律上かならず刑を軽くする減軽規定は適用しなかった。また、裁判所の裁量で刑を軽くする酌量減軽(刑法66条)もおこなわず、有期刑の下限である懲役5年を選択したとみられる。
裁判所は、人命が失われた結果は重大だとした一方、犯行については「使い慣れた包丁をとっさに手に取ったもの」「とっさの殺意による計画性のない犯行であり、突き刺した行為も1回だけ」と指摘。「特筆して悪質と評価すべきではない」と判断した。
さらに、30年以上にわたり、Aさんの浪費や借金、暴力、金の無心に耐えながら家族を支え、介護まで担った経緯について「酌むべき点は大きい」とした。
●「オヤジ殺そうかな」「80歳まで生きたらいいな」の間で
裁判所は、女性が本心からAさんの死を望んでいたわけではないことにも触れている。
「死んだらええ」「オヤジ殺そうかな」と口にする一方、事件直前には、Aさんについて「80歳まで生きたらいいな」と話していたことも認定した。
また、犯行後に自ら119番へ通報し、自分が刺したと正直に伝えたうえで「はよ来て」と告げていた。判決は、救命を願う気持ちもうかがえると受け止めている。
女性には前科前歴はなく、一周忌法要を長男に頼むなど後悔もうかがえる。
遺族でもある長男は刑の軽減を望み、社会復帰後も一緒に暮らす意思を示している。再犯のおそれもない──。
こうした事情を踏まえ、辛島裁判長は「執行猶予付き判決が相当なほど非難の程度が小さいとまではいえないが、動機・経緯に酌むべき点が大きいことなどからすると、検察官の求刑も重すぎる」と結んだ。
●一人で介護を抱え込む前に
この判決について、元東京地検検事で高齢者の終活相談にも取り組む西山晴基弁護士は、弁護士ドットコムニュースの取材に対して「介護苦による殺人では、被告人に『同情の余地』があるかどうかに加え、その負担を親族や介護サービスなどに頼れる環境だったのかも量刑で考慮されます」と話す。
介護に悩む人が「周りに迷惑をかけたくない」と思い詰めていたとしても、裁判では「家族や介護サービスなどに相談できたのではないか」と評価されることがあるという。
「金銭的な理由で介護サービスの利用が難しい場合でも、負担軽減につながる制度があります。介護の内容や費用面も含め、地域包括支援センターなどに早めに相談してほしいです。一人だけで介護を抱え込まず、一方だけに負担を集中させないことが大切です」
西山弁護士はまた、早期の相談が重要であるとともに、それを受け止める相談機関の体制も十分とはいえないと指摘。支援につながりやすい人材育成の仕組みを整えることも社会の課題だと話した。
●「相談できたはず」と言い切れない事情も
判決も、家族の問題について第三者に相談し、解決を図る道が「あり得たとは思われる」としながらも、それが容易だったとはいえず、事件当時の女性にそれを期待するのは「酷だった」と指摘している。
なお、判決の主文では、懲役5年を言い渡したうえで、未決勾留570日を刑期に算入し、犯行に使われた包丁を没収するとした。