手術直後の女性患者にわいせつな行為をしたとして、準強制わいせつ罪に問われた男性医師の上告審判決が2月18日、最高裁第二小法廷であり、三浦守裁判長は懲役2年の逆転有罪判決を言い渡した2審・東京高裁判決を破棄し、審理を高裁に差し戻した。
破棄自判(最高裁自ら原判決に代わる判決をする)を確実視していた弁護団にとって、「ありえない」判断だった破棄差し戻し。これからもう一度、過去に審理した裁判所で、裁判のやり直しがされることになる。
果たして、高裁ではどのような審理がおこなわれるのか。刑事事件にくわしい神尾尊礼弁護士は「最高裁は、定量検査の結果で女性患者の証言の信用性が決まる、と判断しているように読めます。却下された証拠の取扱いが議論になりそうです」と話す。
判決文を元に、神尾弁護士に解説してもらった。
●差戻し判決とは何か
無罪となった1審判決と逆転有罪となった高裁判決の違いについて、以前こちらの記事で詳しく解説しました(https://www.bengo4.com/c_1009/n_11582/)。これを適宜引用しながら、最高裁判決の解説をしたいと思います。
まず、最高裁が出した結論は「原判決破棄、高裁へ差戻し」というものでした。
これは、要するに「高裁での審理が足りないから被告人を無罪か有罪か決められない、高裁でもう一度審理してくれ」という意味です。ただ、最高裁もフリーでやり直しを命じたわけではありません。高裁に注文を付けています。この注文こそが、今回の解説の肝となるものです。
1審判決と高裁判決を振り返りながら、その「注文」について解説していきます。
●主張構造のおさらい
1審でも高裁でも、検察官の主張の大まかな構造は、 (1)被害にあったとされる女性の証言が信用できる
(2)1と整合するアミラーゼ鑑定とDNA型鑑定の結果がある
(3)1と2があいまって有罪と立証できる、というものでした。
この検察官の主張に対して、1審と高裁で判断が別れました。
●最高裁は「女性の証言」と「せん妄の可能性」をどう判断した?
1審と高裁はともに、具体的で迫真性があるなどの理由で、女性の証言の信用性を明確に否定していません。判断のポイントは、せん妄の影響をどう考えるかでした。
1審では、麻酔学の専門家を2名、精神医学の専門家を2名呼んでいます。高裁では、さらに検察側医師Eと弁護側医師Fが呼ばれました。
このように、高裁はE医師に全面的に乗っかり、せん妄に陥っていないか、陥っていたとしてもせん妄に伴う幻覚は生じていなかったと判断しました。
このE医師への評価について、最高裁は判断を変えたのです。
このように、E医師に乗っかった高裁判決を批判しています。ただ、ここの表現は微妙なところがあります。
最高裁は、1審判決のことを、「様々な専門家の証言に基づき、種々総合的に評価してせん妄に伴う幻覚があり得たと判断した」と一定の評価をしています。
その上で最高裁は、E医師の証言だけでは「(このようにいろいろ考え抜かれた1審判決の)不合理性を的確に指摘しているものとはいえない」と述べているのです。
「E医師だけではなく他の証拠があれば、1審判決の不合理性を的確に指摘できる」という含みが感じられます。
最高裁はあくまで「高裁判決が適切かどうか」を判断する表現を取りますし、判決文の行間を読んでも限界があるのですが、とにもかくにも「せん妄(に伴う幻覚)」を否定する含みを残しつつ、E医師のみの高裁判決を否定しました。
●DNA型鑑定等の位置付け
次に、鑑定の評価に移ります。
最高裁は、「乳首付近に被告人のDNAが多量に付着している事実」があれば、即女性の証言が信用できると判断しているように読めます。また、採取過程や保存過程にコメントがなく、問題視していないようにも読めます。
以上のように、DNAがどのくらいついていたか、つまりはDNA定量検査がどうだったかが最高裁の関心事ということになります。
●DNA定量検査の問題点
高裁判決の解説の際、定量検査について、私は以下のようにコメントしています。
通常、DNA型鑑定とは、個人識別に使うものです。
DNA型鑑定では、2つのもの(例えば現場に残された皮膚片と被疑者の口腔内細胞)から、DNAの特定の部分を複数取り出し、比較します。全て一致すれば、皮膚片は被疑者由来とみて矛盾がないことになります。このように、あるものが誰のものか識別することを「個人識別」と呼んでいます。
他方本件では、検察官は、DNA型鑑定の準備として行うDNA定量検査を用いています。
すなわち、本来の鑑定ではなくて、その準備検査の方にスポットが当てられたわけです。しかも、鑑定のときにはそこまで重要になるとは意識されていなかったわけですから、その定量検査にはいろいろと不備がありました。
最高裁は、この定量検査について、以下のような問題点を指摘しています。
なお、今回の定量検査は、リアルタイムPCRと呼ばれるものでした。これは、既知の資料(標準資料)と、ターゲットとなる試料を同時に増幅していって、標準資料の増幅曲線等と比較して濃度を測定するものでした。
(1)定量検査は型鑑定の「準備段階の検査」であり、「どの程度の厳密さを有する数値といえるか」「どの程度の範囲で誤差があり得るものであるか」が分からない
(2)リアルタイムPCRでは、標準資料と試料を同時に増幅する必要があるのに、「あらかじめ」そのロット番号の標準資料の検量線を使用しており、このような検査方法が検査結果の信頼性にどの程度影響するか分からない
この2点について、高裁は当事者から取り調べてほしいと言われていた証拠があったのに、全て却下するなどして取り調べなかったのだから、よく分からないままになってしまっている、というのです。
これを最高裁は、このように表現しています。
(前略)定量検査の結果の信頼性については、これを肯定する方向に働く事情も存在するものの、なお未だ明確でない部分があり、それにも関わらず、この点について審理を尽くすことなく、(中略)
有罪とした高裁判決は、審理が不十分な点がある、と指摘します。せん妄のときと同じように行間を読んでも仕方ないのですが、「定量検査を信用できそうなのに、証拠が足りないから信用できるとまでは言い切れない」といった含みを感じます。
●高裁への「注文」、今後の展開は?
以上をみてくると、高裁へは、
(1)E医師だけでせん妄を否定したのはダメ
(2)定量検査の信頼性をもう少し検討するように
という注文が出されたといえます。
もっとも、最高裁が言いたいことというのは、判決文に下線の形で明らかにされ、要約文にも反映されることが多いのですが、今回の判決で下線が引かれ要約文に載ったのは(2)の部分のみです。
前述の鑑定の位置付けでも指摘しましたが、最高裁は「(せん妄があろうとなかろうと)定量検査の結果で女性の信用性が決まる」と判断しているように読めます。
このように、結局高裁への「注文」は、「定量検査の信頼性をもう一度判断せよ(却下した証拠の中に必要なものがあったのでは)」というものであると読み取ることができます。
実務的には、高裁は当事者の証拠請求について多くのものを却下し、職権でも調べないことが多いです。否認事件や重大事件になると採用してくれる範囲が広くなります(検察官の請求の方が認められやすいようにも思います)。
却下された証拠がどのようなものなのか、判決文からは明らかではないですが、差し戻し審ではまずはこの却下された証拠の取扱いが議論になりそうです。
個人的には、定量検査の信頼性が立証できていないのであれば、検察官の立証が失敗していることになり、「疑わしきは」原則にのっとり、単に無罪とすればよいのではないかと思っています。