家族の依存症に悩み、誰にも相談できずに苦しんでいる人たち。アルコール依存症の夫がいるリカさん(仮名・40代・東海地方在住)もそんな1人だった。家庭が崩壊する危機に直面し、「地獄」のように壮絶だった日々を振り返る。
●医師の診断「アルコール依存症」受け入れられず…
看護師として働くリカさんは、女手ひとつで育ててきた当時10歳の長男を連れて、2014年に現在の夫と再婚。実の父親を覚えていない長男は、初めてできた父親に喜んだ。結婚半年後には夫との子も妊娠し、リカさんは、新しい家族としあわせな日々が始まると信じていた。
結婚と同時に、夫はリカさんの両親や長男と同居した。夫には不動産収入があったが、これまで続けていたコンサルタント業をたたみ、新たな仕事を始めようとしていた。
しかし、結婚して1年経ったころ、夫は腰の病気を発症。痛みを和らげるために酒を飲むようになった。
「最初は1日に缶ビール3本飲んでいました。節約のために焼酎に変えてからは、飲む量がわからなくなって。私の両親もお酒をよく飲むので、量が多いのかは判断がつきませんでした」
腰の状態は日に日に悪化したが、夫は、病院に行くことを頑なに拒否。一日中寝て過ごす日々が続いた。次男が生まれた直後にリカさんの病室を訪れた夫は、リカさんを椅子に座らせ、自分はベッドに横たわった。
「私が退院した後も夫の状態は変わりませんでした。説得し、夫も手術に踏み切ったのですが、今度はイライラするようになったんです。『痛み止めは飲みたくない』と言って、またお酒を飲むようになりました」
ある日、夫はてんかん発作を起こし、病院に運ばれた。医師は「アルコールによるもの」と説明し、「アルコール依存症」と診断した。しかし、リカさんは信じられず、ほかの病院を転々としては、夫にあらゆる検査を受けさせた。
「夫も飲酒を否定していましたし、医師が間違っていると思ったんです。それに、周囲に夫が『依存症』とは言えない。せめて、別の病気であってほしい一心でした。でも、どの病院でも『アルコール依存症』と診断され、肝機能の数値も異常だと言われました」
それから、リカさんは目を背けたくなる現実を突きつけられることになる。ある日、夫の部屋を掃除していると、ベッドの下や押入れの天袋、本棚に並ぶ本の裏などから、酒の空き缶や空き瓶が次々とみつかった。夫はリカさんにウソをつき、隠れて酒を飲んでいたのだ。
●コンビニ前でラッパ飲み…入院するも、退院後3日で飲酒
夫の不動産収入のみでは生活が苦しくなり、リカさんは産後4カ月で仕事に復帰した。夫には、アルコール依存症の専門医療機関に行くように伝えた。夫は病院に足を運んだものの、「看護師に『あんたみたいな頭がおかしい人、こんなところ来られても意味ないよね』と言われた」「受付に睨まれて腹が立った」などと言い、すぐに通院しなくなった。
「当時の私は無知だったので、アルコール依存症をバカにしていたんです。『アルコール依存症』と診断されたくない思いでいっぱいでしたし、診断されることへの恐怖も感じていました。そんな思いもあり、夫に『そんなひどいところには行かなくていい』と伝えたんです。冷静に考えれば、そんなことをする病院があるとは思えないのですが…。
でも、母が朝方、家から徒歩5分ほどのコンビニの前で、焼酎をラッパ飲みしている夫をみかけたと話していて。夫にはお金を渡していないので、お酒を盗んだのでは?と不安になり、犯罪者を出すぐらいならば、恥を捨てて病院に連れて行くしかない、と思いました」
リカさんの母親は「近所であんな飲み方をされて恥ずかしかった」と語ったという(写真はイメージ:yamahide / PIXTA)
その後すぐに、リカさんは夫を専門の医療機関に3カ月間、入院させた。制約が多い入院生活に耐えきれず、夫は「退院したい」と訴えていた。
「家族を精神科に入院させてしまったという後ろめたさから、自分を責めることもありました。でも、正直、夫がいなくなって育児に専念できるようになり、ホッとしている自分もいたんですよね。夫には『がんばって治して、家族になろう』と励ましていました」
入院中は、家族であるリカさんも、毎週平日1日、勉強会や家族会のほか、院内例会(病院で開催される当事者や家族が集まるミーティング)に参加しなければならなかった。毎週仕事を休まなければならず、院内例会も「宗教の集まりみたい」と感じ、「この人さえいなければ、こんなところに出なくていいのに」と夫への不満や怒りを募らせていった。
入院さえすれば、夫は治ると思っていた。しかし、退院してから3日後に夫は飲酒し、再び寝てばかりの日々に逆戻りした。リカさんの両親は、見切りをつけて家を出て行った。
●壊れ始めた家庭…息子「ひとりにしないで」
リカさんは、寝ている夫を見ては「私は必死で働いて、子育てしているのに」と怒りがこみ上げてくる日々を過ごした。いつの日からか、怒りを抑えきれなくなり、寝ている夫を蹴ったり、「おまえのせいだ」「なんでおまえは生きているんだ」などと暴言を吐いたりするようになった。
「しんどい」思いをしたのは、家庭だけではなかった。リカさんが働く病院に飲酒して倒れた夫が運ばれてきた際には、仕事仲間に憐れみの目で見られた。「まだ離婚しないの?あんなクズ男捨てなよ」とも言われた。
離婚も考えた。しかし、実の父親を覚えていない長男は「母子家庭になるのは、弟がかわいそう。どんな父親でもいいから」と反対した。しかし、日に日に追い込まれていったリカさんは、寝ている夫を蹴りながら、長男に「この父親を見てみな!あんたが離婚するなって言ったから!」などと暴言を吐くようになった。
当時中学生の長男は黙って聞いていたという。
「とにかく悲惨な毎日でした。自分が人に暴力をふるったり、暴言を吐いたりするなんて思いませんでしたし、こんな私ではなかったのに、と思いました。寝る前に我に返り、子どもたちに言ったことを思い出しては、泣いていました。こんな生活ではなかったのに、何をどう間違えたんだろう? 私が悪かったのかな? などと考えたり、死にたくなったりしたこともありました」
子どもたちの誕生日やクリスマスなどのイベントごとも、夫が飲んで出て行くか、飲んだ夫にリカさんが暴言を吐くかのどちらかだった。
リカさんは「どのイベントの思い出も酒とともにある」と話す(写真はイメージ:Image Works Japan / PIXTA)
夫に酒をやめさせようと、なんでもした。土下座したり、号泣して訴えたりしたこともあれば、自分に包丁を突きつけながら「そんなに私が嫌いなら、殺して!」と叫んだこともある。騒ぎに気づいた長男が駆けつけ、「ごめんね、僕のせいだよね。ママ、離婚していいよ。僕をひとりにしないで」と泣きながら止めに入ったこともある。
「長男にそこまで言わせてしまった自分を責めましたし、今思い出しても涙が出ます。私を殺せば、夫は我に返り、酒をやめるかもしれないと思ったんです。精神的に壊れてしまい、子どもたちのことが見えなくなっていました。夫はまったく覚えていないようですが…」
●治らぬ依存症、電話越しに聞こえた次男の泣きわめく声
リカさんは、ふと、院内例会に参加したときに「吐き出すことで、楽になっていた」ことを思い出した。夫が退院してから約1年経ったころのことだ。調べてみると、近くで断酒会(アルコール依存症の自助グループ)の例会が開催されていることがわかり、足を運んだ。
リカさんが現状を話すと、その場にいた仲間たちは口々に「一緒!一緒!」と言った。どの仲間も、過去に、アルコール依存症の家族に暴力を振るわれたり、子どもに被害が及んだりするなど、壮絶な体験をしていた。
「上司や両親、友人たちには『別れればいいじゃん』と言われていました。でも、断酒会で聞いた『みんな一緒』の言葉に居心地の良さを感じました。いろいろな回復のあり方があると知りましたし、自分自身も共依存だと気づいたんです」
しかし、すぐに行動を改めることはできなかった。アルコールチェッカーを使っては、夫の飲酒を責めたり、夫の1日のスケジュールをリカさんが管理したりした。夫にはアルバイトに行かせ、職場で夫が問題を起こすたびに、頭を下げた。
夫もリカさんに言われ、断酒会に足を運ぶようになっていたが、変化はなかった。次男とともに外出した夫から「ここがどこかわからない」と電話がかかってきたこともある。電話越しに次男の泣き叫ぶ声が聞こえ、リカさんは何度も警察を呼んだ。
「次男の習い事に迎えに行かず、習い事の先生の自宅前で寝ていたということもありました。習い事の先生が呂律が回らない夫を家まで送り届けたと聞いています」
警察には夫が「依存症」であるとは言えなかった(写真はイメージ:プラナ / PIXTA)
夜勤明けに、育児を手伝っていた母親から「次男が真っ暗な部屋で、テレビ相手にひとりで遊んでいるんだけど、どういうこと?」と電話があり、慌てて帰宅したこともある。次男は「保育園に行こうとしたら、パパが『今日はごめんね』と言って、突然家の中に入っていった。自分の部屋に行ったまま降りてこないから、テレビを見ていた」と説明したという。
「ついに、子どもの存在を忘れたのか、と怒りが湧くばかりでした。先ゆく仲間たちは『底つき』が大事だと話していましたが、いつ底をつくの? と思いました。仲間が『20年前は大変だったけど、今は断酒19年です』などと話すたびに、美談に聞こえてきて。断酒会に行くのが苦しくなり、私が行ってはいけない場所だと思うようになったんです」
リカさんのこころはボロボロだった。夫の最初の入院から3年後。夫は再びアルコール依存症の専門医療機関に入院した。しかし、退院後も夫の飲酒は止まらなかった。離婚するか否かで揉め、離婚届に記入もしたが、最終的に「もう飲まないでね。約束だよ」と仲直りしてしまった。その翌日には、夫は泥酔していた。
●「私は私」仲間とともに歩み始めた「回復」の道
それから1年後の2020年。新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、断酒会の例会に参加できなくなった。吐き出す場所がなくなったリカさんが追い込まれていく中、夫が家出し、3日帰ってこなかった。パニックに陥ったリカさんは、インターネットでみつけたSNSのアルコール依存症家族グループに思いのままを書き込んだ。
リカさんの書き込みを見た全国の仲間たちから「夫は死なないよ。あの人たちは生きたい人たちだから」などの返信が寄せられ、救われた。グループを通じて知ったオンライン例会に参加してみると、リカさんと同じ状況の仲間が全国各地から集まっていた。
「『今日も隣で飲んでいる』『暴力をふるわれている』『ふらふら出ていった』など、全国に、私と同じように現在進行形でたたかっている仲間がいました。同じような仲間に出会えたことで救われたんです」
これまでのリカさんは、医師やソーシャルワーカーが講師をつとめる依存症の勉強会に参加しても「家族にアルコール依存症の人がいない人が何を言っているの?」とまったく聞く耳を持たなかった。しかし、同じ悩みを抱える仲間との出会いで救われてからは、勉強会を通じて、徐々に「共依存」のことなどを受け入れられるようになった。
「学ぶことで、改めて共依存について理解することができました。今までは頭でわかった気はしていたのですが、理解はしていなかったんですよね。自分たちのせいで子どもたちに害を及ぼしてはいけないこと、親としてひどいことをしてきたことにも気づけました。私は私で人生を歩んでいい。夫のことを気にするのはやめよう。そう思えるようになったんです」
そして、迎えた2020年のクリスマス。その日も警察から「(夫を)迎えに来られますか?」との電話があった。リカさんは「今年もか」と思ったが、感情が高ぶることなく、冷静に対応した。
「これまでの5年間は『夫の病気を治さないと。お酒をやめさせないと』ということばかり考えていました。でも、夫が飲酒しても『飲んだんだ』と冷静に思えるようになったんですよ」
その日を境に、夫の酒はピタリと止まった。
夫が警察に確保された場所の近くには数台のパトカーが止まっていたという(写真はイメージ:papa88 / PIXTA)
夫が断酒してから、まだ1年。リカさんのこころの傷は完全に癒えたわけではない。今でも夫が隠れて酒を飲んでいるのではないかと不安に駆られ、部屋に空き缶などがないか探してしまうこともある。しかし、リアルの例会やオンライン例会に参加し、リカさん自身の「回復」の道を歩んでいる。
「もしかしたら、離婚していたほうが幸せだったかもしれません。でも、私は夫とともに歩む道を選びました。離婚しなかった当初の理由は、子どもたちと私の人生をめちゃくちゃにされた責任を取ってほしいと意地になっていたからだと思います。
でも、今思えば、先ゆく仲間たちのおかげです。地獄を経験した仲間たちが、今は隣にいる夫と話している。いつかそうなれるかもしれないという希望がありました。あんなふうに、笑って過ごせる未来があるならば、もう少しがんばろうかなって」
長男は現在高校生、次男は今年4月から小学生になる。夫は、自らすすんでリアルの例会に足を運ぶことはないが、オンライン例会には参加しているという。「子どもたちには、これまでつらい思いをさせた分、できるかぎりのことをする。思い出をつくる」と決めている。
依存症問題は、悩んでいる当事者に焦点が当たりやすい一方で、家族に目が向けられることは多くはない。しかし、誰にも相談できず、こころに傷を負っている家族がいることも忘れてはならない。
(※取材は2021年12月15日、オンラインでおこなった)
【家族が参加できる主なオンライン自助グループ等】
<依存症オンラインルーム>
https://www.ask.or.jp/adviser/online-room.html
<ソーバーねっと(断酒会系オンラインミーティング一覧)>
https://addiction-peer.net/onlinemtg_result.html
<アラノン>
http://www.al-anon.or.jp/
<【家】アルコール依存症家族のグループ>
https://www.facebook.com/groups/543356579703360