千葉・神奈川で10人もの死者を出した台風25号。TBS系情報番組「ひるおび」は9月22日、大規模な冠水が生じた千葉県佐倉市から現地の様子を生中継した。
その際、冠水した道路を歩く女性の太ももを約19秒にわたって映し続けたとして、批判が集まっている。女性は衣服が濡れないよう、裾をたくし上げて歩いていた。
SNS上では「女の子勝手に晒されてかわいそ」「これ盗撮じゃないの」など、女性の姿を“長時間”映したことを疑問視する声が相次いだ。
なぜ、災害の被害を伝える中継で、女性の太ももが映し続けられたのか。TBSのYouTubeの公式チャンネルでは、該当の動画が非公開とされている。
TBSテレビは9月24日、弁護士ドットコムニュースの取材に、拡散した映像について「9月22日水曜日(※回答ママ)のお昼のJNNニュースで放送された災害現場の状況を伝える映像です」と回答。そのうえで「意図しない形で拡散されたため非公開としました」と説明した。
テレビプロデューサーの鎮目博道さんは、問題となった映像を見て「テレビ業界で働く人なら、ほぼ何の違和感も感じない映像だろう」と打ち明ける。
その背景には、テレビ業界に長年染みついた「画づくり」の感覚があるという。
鎮目さんが、今回の中継をめぐる問題から、テレビ業界の撮影習慣、そして生中継という報道手法に潜む危うさを考える。
●「私がカメラマンでも、同じように寄っていたかもしれない」
問題となっている中継映像を見た。お恥ずかしい話だが、テレビ業界で働く人なら、ほぼ何の違和感も感じない映像だろう。
もし私がこの中継にカメラマンとして参加していたら、同じように女性の脚に寄って、アップで映してしまったかもしれない。
テレビ業界で働く人間は、業界に入って以来ずっと、「できるだけ映像としてインパクトのあるものを撮影する」ということを叩き込まれている。
今回の中継で求められたのは、「街中が浸水してしまっていること」をひと目でわかるように伝えることだ。
その場でカメラマンは、濡れないように服をたくし上げて歩く女性こそが、冠水の状況を象徴する被写体だと瞬間的に判断したのだろう。
しかも、生中継であったことを考えると、あのような映像になってしまったのも無理はないと思う。
●現場を責めるのは酷だが、許されるわけではない
報道カメラマンは、撮影の段階では「とりあえず撮影できるものは撮影しておく」ように訓練されている。
収録した映像であれば、後から編集して、放送する部分を選ぶことができる。しかし、生中継では、カメラマンが撮影した映像がそのまま放送されてしまう。
現場にいたクルーにとって、瞬間的な判断であの映像を撮ることは、避けにくかったのだろう。
だから、あの現場にいたカメラマンや記者だけを責めるのは酷だと私は思う。
しかし、一般の女性が恥ずかしいと感じるような姿を、本人の意向も確認せず放送してよいとも思えない。
今回の問題の難しさは、まさにそこにある。
●「オイシイ映像を撮ってきたな!」と褒められた時代
そもそも、テレビ業界には、女性を好んで撮影し、放送に使用しがちだという問題がある。
たとえば高校野球の応援風景を撮影するとしよう。カメラマンは、ほぼ間違いなく「可愛いチアリーダーの女性」を被写体として選ぶだろう。
酷暑の街を撮影する場合も、「暑そうにしている女性」や「薄着の女性」を探してしまうと思う。
もちろん、暑そうにしている中年男性の姿も撮影する。しかし、実際に放送で使うかどうかはさておき、若い女性の映像も素材として用意しておく。そんなカメラマンは少なくないはずだ。
「女性は映像として見栄えがいい」。
こうした感覚が染みついている業界人は、間違いなく多い。
かつては、見栄えのいい女性を撮影してくれば、上司や同僚から「オイシイ映像を撮ってきたな!」と褒められたような時代もあった。
だからこそ、こうした意識を変えていかなければならない。
今回のように、瞬間的に撮影対象を選ばなければならない場面では、長年の習慣から、反射的に女性を被写体として選んでしまうのだと思う。
報道に携わる人間なのだから、ジェンダーの問題についても理解し、日々の仕事で意識しているはずだ。
それでもなお、無意識のうちに、これまでと同じような撮影をしてしまう。
今回の映像は、テレビ業界に染みついた、そうした感覚を浮き彫りにしたのではないだろうか。
●「放送は送りっ放し」の時代は終わった
もう一つ指摘したいのが、テレビ業界に残る「生中継に対する考えの甘さ」だ。
私がテレビ業界に入った1990年代には「放送という字は、『送りっ放し』と書くんだ」という話をよく耳にした。
一度放送してしまえば、それで終わり。特に生放送は、その場限りのものとして消えていく。そんな意識が、テレビ業界には今もどこかに残っているのではないだろうか。
しかし、SNSが普及した今、生放送の映像は消えなくなった。それどころか、放送された映像は瞬時に世界中へ拡散され、ネット上に半永久的に残り続ける可能性がある。
そのことを十分に考えないまま、生中継を「手軽で効果的な報道手法」として多用していることに問題があると思う。
最近のニュース番組、特に災害報道では「被災地からどれだけ多く生中継したか」を競っているような風潮が強まっていると感じる。
しかし、よく考えてもみてほしい。
災害の情報を伝えるために、そこまで生中継を多用する必要があるのだろうか。生中継で伝えられる災害情報は、実はそれほど多くない。
被災地の現状を伝えるのであれば、個人が特定されないように、広い範囲を映した映像でも十分な場合が多い。
今回のように、個人が特定されかねないほど一人の女性にカメラを寄せる必要が、本当にあったのだろうか。
仮に人を映すとしても、少なくとも顔などが判別できないよう配慮すべきだ。
それなら、いったん映像を収録して、内容をきちんと整理したうえで、視聴者から提供された映像なども交えてVTRにしたほうが、被害の状況をより効果的に伝えられるのではないか。
生中継でなければ伝えられない情報は何なのか。その必要性をテレビ業界は改めて考えるべきだと思う。
●「映りたくない人」も逃げられない、生中継の暴力性
そもそも、街なかでおこなわれる生中継に、一般の人が映り込むのを避けるのは、実質的に不可能だ。
テレビ業界では、これまで「カメラを見えるように設置して、腕章をつけて中継すれば、映りたくない人は避けるはずだから、個別に許諾を取らなくても問題はない」という理屈で、ニュースの生中継がおこなわれてきた。
しかし、今は撮影機材が小型化し、車の中から中継をすることも増えつつある。
そうなると、映りたくないと思っている人がいても、どこにカメラがあるのかわからず、避けようがない。
ましてや、今回のように街中が冠水している状況では、カメラを避けるために自由に移動することも難しいだろう。
生放送が持つ、そうした「暴力性」についても、テレビ業界はもっと真剣に考えるべきではないだろうか。