静岡県伊東市の田久保真紀前市長の学歴詐称問題をめぐり、選挙費用など約8200万円を田久保前市長に請求するよう市に求めた住民監査請求について、伊東市の監査委員が7月2日付けで請求を棄却したと報じられました。
報道によると、伊東市の監査委員は、田久保前市長が市議会からの不信任決議を受けて解散したことは適法などと判断し、請求を退けたとされています。住民監査請求をした市民有志のグループは、住民訴訟を検討する方針とされています。
今回の請求が認められなかったのはなぜなのか、今後住民訴訟での請求が認められる可能性はあるのか、簡単に解説します。
●「棄却」ってどういうこと?「却下」との違い
住民監査請求に対する監査委員の判断は、大きく3つに分かれます。
1つめは「却下」です。これは、請求が形式的なルールを満たしていないため、中身を審査せずに門前払いにするものです。
2つめが今回の「棄却」です。中身をきちんと審査したうえで、「請求に理由がない」と判断するものです。
3つめは「勧告」です。「請求に理由がある」として、市長などに必要な対応を求めるものです。
つまり今回の「棄却」は、門前払いの「却下」とは違います。監査委員は中身を審査したうえで、「田久保前市長に選挙費用を払わせるべきだ」という住民側の主張は認められない、と判断したことになります。
なお、住民監査請求を受けても、監査委員が「田久保前市長は、市にお金を払え」と直接命じることができるわけではありません。監査委員にできるのは、「市長が田久保前市長に損害賠償を請求すべきだ」と勧告するところまでです(地方自治法242条5項)。
●なぜ棄却されたのか
住民監査請求は、市役所の「お金の使い方(財務会計上の行為)」が違法だったり不当だったりしないかをチェックするための制度です(地方自治法242条1項)。
「田久保前市長の判断がきっかけで余計な選挙費用が発生した」ことと、「市がそのお金を支出したこと自体が違法だ」ということは、制度の上では別問題として扱われます。
学歴詐称問題から不信任、市議会の解散、市議選、そして市長選――という一連の流れを、住民側は「異常だ」と感じたとみられます。
しかし、その一つひとつの手続きは、法律が定めたルールに沿って行われたものです。不信任を受けた市長は、議会を解散するか、そうしなければ失職します。これは地方自治法178条が定めているとおりの流れです。
そのため、「一連の流れの発端が田久保前市長にある」としても、「市が選挙費用を支出したこと自体が違法だ」とは言いにくい構造になっています。今回の棄却も、こうした制度の仕組みと整合する判断といえます。
●住民側にまだ打つ手はある?
監査請求が棄却されても、次の段階として「住民訴訟」を起こすことができます。
住民訴訟は、住民監査請求を経たうえで、市の財務会計上の行為が違法かどうかを裁判所に判断してもらう仕組みです(地方自治法242条の2)。今回は監査請求を経ているので、この前提はクリアしています。
今回想定されるのは、「4号請求」というものです。これは、「市長が田久保前市長に対して損害賠償を請求するよう、裁判所に求める」という形の訴えです。
住民訴訟は、監査結果の通知があった日から30日以内に起こさなければなりません(地方自治法242条の2第2項1号)。この期間は「不変期間」とされ、原則として延長できません(同条3項)。
市民有志のグループは、この住民訴訟の提起を検討する方針を示していると報じられています。
●住民訴訟までいけば、8200万円を払わせられる?
勝訴のハードルは極めて高いと考えられます。
4号請求で田久保前市長個人にお金を払わせるには、単に「選挙費用が発生した」だけでは足りません。田久保前市長の行為(議会解散の選択など)が、市に対する不法行為にあたり、市が田久保前市長に対して損害賠償請求権を有している必要があります。
今回のケースでは、次のような点が問題となりそうです。
まず、議会の解散という田久保前市長の選択を「違法」と認めさせることの難しさです。これらは地方自治法178条が正面から認めた選択肢であり、これを違法とするには相当高いハードルがあります。
また、仮に経歴についての虚偽記載を行ったことを違法と評価したとして、虚偽記載がなければ選挙費用が発生しなかったのか、という因果関係の立証も問題となります。
さらに、仮に市の支出自体が違法だったという構成をとるにしても、市側にも選挙費用の支出を止める義務があったのかどうかも問題となりえます。議会解散や失職の後に選挙を実施することは法律上の義務であり、市側にその費用支出を拒む裁量はないため、支出の違法を問うことも難しいと考えられます。
こうした構造からすると、監査請求が棄却されたことは、むしろ自然な結果とも思えます。
なお、仮に住民訴訟の4号請求が認められたとしても、裁判所が田久保前市長に直接支払いを命じるわけではなく、市の執行機関に対し、田久保前市長への損害賠償請求を求める判決を下すことになります。
●田久保前市長個人への請求を認めることは難しい
たしかに、「田久保前市長のせいで余計な税金がかかったのだから払わせたい」という気持ちは自然なものです。
しかし、住民監査請求や住民訴訟は「市役所のお金の使い方がおかしい」ことを問う制度であり、もともとそうした気持ちにそのまま応えられる仕組みにはなっていないと考えられます。
小倉匡洋(弁護士ドットコムニュース編集部記者・弁護士)