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「一緒に行ってみない?」震災を知らない世代を“現場”へ 若者100人を被災地に連れていく記者、遺族との約束 #知り続ける
木村さん(左)のもとに学生らを連れて行っている猪股さん(中央)(2026年2月23日/福島県大熊町/弁護士ドットコムニュース撮影)

「一緒に行ってみない?」震災を知らない世代を“現場”へ 若者100人を被災地に連れていく記者、遺族との約束 #知り続ける

「一緒に行ってみない?」。そんな唐突な誘いを受け、これまで延べ100人以上の若者が、東京から250キロ以上離れた“現場“へと旅立った。

現実を目の当たりにした参加者の多くはその後、マスコミ業界に入り、記者として伝える側へと立場を変えている。

取材して記事を書くだけが記者の仕事ではない。15年前の教訓を別の形で伝え続けようとする青年がいる。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)

●記憶のない大学生、現場を訪れ「実感湧いた」

今年2月下旬、猪股修平さん(28)に連れられ、一人の大学生が福島県大熊町を訪れた。マスコミの記者を目指しているという早稲田大学の名取佳音さん(21)だ。

千葉育ちの名取さんは2011年当時、まだ幼稚園児だった。3月11日、日本を襲った未曾有の大災害の記憶はほとんどない。

しかし今回、原発事故で人が住めなくなったエリアに立ち入ったり、多くの住民が津波に巻き込まれた場所の震災遺構を訪れたりしたことで、「本当にあったんだなと、実感が湧いてきた」と息を呑んだ。

画像タイトル 猪股さんに連れられて木村さん(左)の話を聞きに来た大学生(右)(2026年2月23日、福島県大熊町で、弁護士ドットコムニュース撮影)

●月2回以上、東北に通う生活

猪股さんが若者たちを連れて行く「現場」。それが、東日本大震災の被災地や、日航ジャンボ機墜落事故の現場などだ。

現在はビジネス系メディアの記者として働く猪股さんだが、本業とは別に、月に2回以上、東北に通う生活を送っている。

そして、ことあるごとに被災地でのスタディーツアーを企画し、メディアへの就職を希望する学生らに声をかけている。

参加する学生らの負担を減らすため、移動にはレンタカーを使い、訪問先によって安宿や親族宅を使い分ける。

仕事終わりの時間や休日を使ってツアーの計画や受け入れ先との調整を進め、出発前には震災に関する本や記事などの参考文献を参加者に送る。

「ただ行くだけの旅行で終わらせないで、今後に生かしてほしいから」。猪股さんは狙いをそう説明する。

画像タイトル 今年2月のツアーでは、震災遺構になっている浪江町立請戸小学校も見学した(2026年2月22日、福島県浪江町で、弁護士ドットコムニュース撮影)

●「いろんな人を連れてきて」遺族との約束

仕事につながるわけではない。それでも、なぜそこまでするのか。

「遺族の方たちから『いろんな人をここに連れてきてね』と言われて、約束したんです」

猪股さんはボソリと答えた。

2011年3月11日午後2時46分ごろ、宮城県仙台市の自宅リビングにいた猪股さんは「とんでもない揺れ」に襲われた。

テレビや棚が倒れ、皿が割れる音が響いた。庭に飛び出すと、2回目の大きな揺れが起き、車や電線が波打つように揺れていた。

翌日、実家でとっていた全国紙は自宅に届かなかったが、近所の新聞販売店の壁には地元紙が張り出され、人だかりができていた。

当時、中学1年生だった猪股さんは「こんな困難な状況でも、情報を届ける媒体があるのか」と感動した。それが後に新聞記者を志す原体験になった。

画像タイトル 2025年3月に震災遺構になっている浪江町立請戸小学校を訪れた際、猪股さんは「記者の仲間を連れて戻ってきました」と書き残していた(2026年2月22日、福島県浪江町で、弁護士ドットコムニュース撮影)

●被災地から進学で関東へ「無関心がいかに怖いか実感」

関東の大学に進学してから、猪股さんは被災地への思いを強くしていく。

大学で知り合った同世代の友人らと話す中で、東日本大震災が「人ごと」として語られ、「復興は終わった」という声すら聞くようになっていた。

2016年に熊本地震が起き、「東日本大震災の教訓が生かされたのか?」という疑問も頭をもたげてきた。

猪股さん自身、家族を亡くしたわけではないという葛藤を抱えつつも、「関心を持たれないことが、いかに怖いことなのかを実感した」という。

地元紙のインターンに参加した際には、被災地の住民から「復興というのが何なのかを考えてほしい」と問いかけられ、「自分の中で消化するだけで終わらせてはいけない」と思った。

画像タイトル 木村さんの娘、汐凪さんの遺骨の一部が見つかった場所で手をあわせる猪股さん(右)と参加者の大学生(左)(2026年2月23日、福島県大熊町で、弁護士ドットコムニュース撮影)

●参加者は延べ100人超、記者になって現地を取材する人も

2017年、大学の友人に「一緒に行かない?」と声をかけ、初めて被災地を案内した。すると、「行ってよかった」と言ってくれた。その後、マスコミへの就職を目指す同世代の知り合いも誘うようになった。

猪股さんは大学卒業後の就職で広島に引っ越したため、活動を一時中断したこともあったが、転職して東京に住むようになってから再開した。

スタディーツアーの訪問先は大きく3つある。宮城県石巻市、福島県大熊町、そして日航ジャンボ機が墜落した群馬県上野村の現場「御巣鷹の尾根(おすたかのおね)」だ。

現地では、遺族の説明を受けたり、震災遺構を見学したりして、災害や事故の教訓を肌身で感じて学ぶ。

これまでに連れて行った若者は延べ100人を超えるという。参加した後に記者となり、再び現地を取材する人もいる。

画像タイトル 今年2月のツアーで震災遺構の浪江町立請戸小学校を訪れた際、猪股さんは「伝承を続ける意志を再確認できました」と感想を書いた(2026年2月22日、福島県浪江町で、弁護士ドットコムニュース撮影)

●「大事な存在」遺族も信頼を寄せる活動

福島県大熊町で活動する「大熊未来塾」の木村紀夫さん(60)は、2022年に猪股さんと出会った。

震災で行方不明になった次女の汐凪(ゆうな)さんの遺骨を捜索し続ける木村さんの元へ、猪股さんは一人で足を運び、やがて同世代の若者たちを連れて行くようになった。

猪股さんが連れてきた学生が、自分の通う大学で木村さんの講演会を企画したこともあった。

「若い学生に何かを感じて持って帰ってもらえて、すごくありがたい。ここに来る人はいますが、ここまで深く関わってくれる人は猪股さんの他にいません。大事な存在です」(木村さん)

画像タイトル 原発事故の影響で震災当時のまま残されている熊町小学校の敷地で、木村さん(左)の案内に耳を傾ける猪股さん(右)(2026年2月23日、福島県大熊町で、弁護士ドットコムニュース撮影)

●被災地の活動に「もっと光が当たってほしい」

「仙台出身で震災を経験した僕は、どうにかして伝えていかないといけない。これからも、一人でも多くの関心の輪を広げていきたい。そして、僕らが関わる場所にもっと光が当たり、お世話になっている人たちの活動に注目が集まってほしいと思っています」

東北で生まれ、震災を経験した若者が記者になり、「記者の卵」を被災地に連れて行く。そんな新たな方法によって、15年前の出来事を社会に伝える仲間は、着実に増えている。

この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいています。

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