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年金なし、貯金なし、後悔なし! 71歳ギャンブラーのがけっぷち人生「俺が死んだら、ただ焼いてくれ」
吉川さん

年金なし、貯金なし、後悔なし! 71歳ギャンブラーのがけっぷち人生「俺が死んだら、ただ焼いてくれ」

65歳以上の高齢者で、いわゆる「無年金者」は約57万人(約3.2%)いるという(令和元年「後期高齢者医療制度被保険者実態調査」)。

理由は人それぞれだが、自営業者や厚生年金に加入していないアルバイトなど「第1号被保険者」は自主納付という制度が大きく影響しているとされる。

現在71歳の吉川秀夫さん(仮名)もその一人で、50年を超えるギャンブル人生を歩み、年金なし、貯金なし、まして財産などない、老後破産状態にあるという。

現在は警備の仕事で手にする、毎月23万円の収入のみで生活している。なぜ無年金者になったのか、老後破産状態でどう生き抜いていくのか、“満身創痍”の吉川さんに聞いた。(執筆家・山田準)

●ギャンブルとは無縁だった青年の人生を激変させた70年代の安保闘争

――ギャンブルを始めたきっかけは何か

18歳で長崎から東京に出てきて、明学(明治学院大)に進学したのはいいけど、当時は70年の安保闘争の頃でさ。俺は安保なんて興味ないから、大学に近い大井競馬場と、喫茶店やレストランのボーイのバイト先が大学みたいなものだった。

それで、どっぷりとギャンブルに浸かってしまった。競馬、競輪、競艇、麻雀、パチンコ……。オートレース以外のギャンブルはすべてやったよ。結局、ギャンブル漬けだった学生時代は、9年間も大学に籍を置いて、最後は中退だよ(笑い)

――ギャンブル好きが高じて、公営競技が仕事になったそうで

そんな学生時代、ある新聞社でバイトしていたのが縁で、公営競技も扱っている、あるスポーツ新聞に誘われたんだ。「吉川っていう、粋のいいギャンブル好きがいるぞ」とな。

最初はそこで内勤をしていたんだけど、競艇の取材現場に空きが出て、俺が競艇の現場記者をやることになった。

●稼いだ金を競輪、競馬、競艇につぎ込む無類のギャンブル好き

――現場の第一線にいて、ギャンブルで稼ぐことができたのでは

自慢じゃないが、50年近く博打をやってきて、勝った年(年間プラス収支)は一度もない。俺の周りでも、トータルで勝っているヤツは見たことがない。結局、博打は胴元が儲かるようになっている。普通の人間じゃ、まず勝てないのがギャンブルだ。

そもそも、俺は強いヤツを負かすのが好きなタイプで、競輪の神山(雄一郎)や競馬の武豊、競艇の彦坂(郁雄)なんていう、不動のNO.1は絶対に買わない。プロの予想も何もない。問答無用で本命を消すのだから。たまにドカンと儲かる時もあるが、買えばほとんど負けの世界だよ

──とはいえ、長いギャンブル生活でいい思いをしたことも多いのでは

俺は長く、継続してギャンブルを楽しむタイプだから、大きな博打はしない。最高の払い戻しも場外で買った馬券の60万だから。

あの時は、競艇場の記者席にいた記者仲間に1万ずつ、ご祝儀を配ったのを覚えているよ。ねずみ小僧になったような気分だったな。

逆に、1日で一番負けたのは20万円程度。ただ、学生時代から50年以上、年間収支はすべてマイナスだし、50代のある年には年間で600万円も負けた。

その内訳? 競輪で300万、残り300万は競馬、競艇、パチンコ、麻雀かな。そんな悪夢を聞かないでよ(笑い)。

●ギャンブル人生のなれの果ての無年金生活

――預貯金なし、財産なしは分かるが、なぜ無年金者になったのか

雇用形態がずっとアルバイト、業務委託だったのが原因かな。自分で国民年金から国民健康保険まで払う形だったから、その分、手取りは良かったよ。大体、毎月50万以上の手取りはあったから。

そもそも、俺がガキの頃は年金制度なんてなかった(国民皆年金は1961年以降)し、俺が20~30代の頃までは、国民年金が強制でもなかった(強制加入は1986年以降)。

そんな感覚もあって、30代の頃に2年ほど国民年金の保険料を納付しただけで、それ以降はずっと未納状態。年金事務所から、「まとめて払えます」みたいな通知(追納)もきたが、一切払わずに、ここまできてしまった。

そのなれの果てが、今の無年金、預貯金なしという残念な状況。まあ、自業自得だけどな。

若い頃は、年金や税金の納付分も含め、すべてギャンブルにつぎ込んできた。酒や豪遊は減る一方だけど、ギャンブルは入ってくる(儲かる)可能性があるから。

でもこれが入ってこない。酒や豪遊以上に減る速度が速い。完全に目算を誤ったよ(笑い)。

●現在71歳。高齢者と呼ばれる年齢になって考えること

――老後破産寸前の現在を振り返って。

こんな破滅人生だったから、18歳で長崎から上京して以来、実家とは長く絶縁状態が続いていた。

40歳手前の頃、おふくろがバセドウ病になって、オヤジも足が悪くて動けないというので、19年ぶりに里帰りした。面倒はずっと姉貴任せだった。

俺は、酒は飲まないが、東京に出て以来、ずっと打つ、買うなど遊ぶことに夢中だった。今になって、唯一の心残りは、親孝行ができなかったこと。だから姉貴には言ってある。俺が死んだら、墓も位牌も線香もいらない。ただ焼いてくれれば御の字だって。

――現在はどのような生活を送っているのか。

今は週6日、警備の仕事をして、約23万円の月収で何とかしのいでいる。埼玉県の東上線沿いにあるアパートの家賃は約4万円。健康保険料だけはきっちり払っているよ。

俺のポリシーは、働ける限りは公的支援に頼らないこと。俺みたいのが、貴重な公金の世話になったら罰が当たるだろ。

昔に比べて生活も質素になったよ。1日100本以上吸っていたタバコも半分以下に減らしたし、ギャンブル代は食費を削っても、月1万2000円がやっという感じ。車券、馬券、舟券、パチンコの類いは、1回数千円程度とかわいいものだ。

悩みの種は、悪いギャンブル仲間に誘われる麻雀。あの牌を握る感覚、大きな手を上がった時の快感が忘れられず、弱いのにやめられない。

孔子の論語では、70歳(※)になったら自分の思うままに行動しても道を踏み外すことはなくなると言うけど、俺の場合は71歳になっても、道を踏み外しっぱなし。バカは死ななきゃ治らないってことだな(笑い)。

※従心:七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず

――無年金生活の原因となったギャンブル人生に悔いはないか。

18歳から、世間的には灰色の人生を送ってきたが、自分的にはバラ色の人生だったと思うよ。世のため、人のためには何もしてこなかったが、人に迷惑をかけなかったのは、俺の唯一の誇りかな。

若い頃は借金もしたけど、すでに完済しているし、10年ほど前に弁護士に過払い申請を依頼したら、何と300万円以上も戻ってきたよ。とはいっても、どん底の後輩に数十万貸した以外は、すべて博打で溶かしてしまったけどさ。がははは。

そんなこんなで、年金なし、預貯金なし、まして財産などはない、いまだ、その日暮らしの人生だけど、後悔はしていない。自分で決めた人生だから。ただ、こんな万年、がけっぷちみたいな人生は、間違っても人には勧めないよ(笑い)。

この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいています。

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