5回目の再審請求が申し立てられた「大崎事件」。冤罪を訴える原口アヤ子さんは、殺人罪などで懲役10年が確定し、10年間まるまる服役した。
これまでの再審請求で弁護団がたどり着いた「事故死の真相」と、最高裁も言及した死体遺棄の謎など、事件に残された深い闇に迫る。現在98歳になったアヤ子さんの執念の闘いとは。
鹿児島県の地元紙「南日本新聞」の元記者として事件関係者を取材し、『予断 えん罪高隈事件』などの著書がある元鹿児島大学法文学部准教授(報道論)の宮下正昭さんの寄稿をお届けする。
●他殺ではなく事故死?
アヤ子さんは1990年に出所したあとも無実を訴え続け、1995年、鹿児島地裁に再審請求します(第1次再審請求)。
再審弁護団は、堆肥置き場で見つかった男性の死因について検証しました。
男性の司法解剖を行った鹿児島大学法医学教室の城哲男教授は、死体の腐敗が激しく死因は特定できないが、首に圧迫された跡があることなどから他殺の可能性を示唆していました。
しかし、この解剖時、男性が深さ1メートルの側溝に自転車ごと転落していた事実は知らされていませんでした。城教授は弁護団の要請に応えて、事故による損傷の可能性もあることを認めます。
弁護団はさらに複数の法医学鑑定や知的障害があり誘導などを受ける可能性が高かった長兄ら3人の供述・証言の信用性も問い直しました。
結果、鹿児島地裁は2002年、絞殺したとする共犯者3人の自白には疑いがあるとして、再審開始を決定。しかし、検察側が即時抗告し、福岡高裁宮崎支部、最高裁は再審請求を棄却します。続く、2次請求は全敗でした。
これに対し、3次請求で鹿児島地裁は2017年、「死因や犯行を裏付ける客観的証拠はない」と再審開始を再び決めます。続く福岡高裁宮崎支部も翌2018年、「事故による出血性ショック死の可能性がある」と認めました。
ところが検察側は特別抗告し、最高裁は翌2019年、地裁・高裁の決定を取り消す判断を下します。憲法・判例違反を主に審査する最高裁が「疑わしきは被告人の利益に」とは反対の方向で事実認定し、「新証拠に決定的な証明力はない」としたのでした。
残念な限りですが、こうなると厳しい。4次請求も全敗し、このほど5次請求が申し立てられました。

こうした大崎事件の経緯をみていると、自宅の牛小屋わき、堆肥に少し埋もれた形で見つかった男性の死因は事故に起因するとみるのが納得いくと思っています。
死体発見の3日前、泥酔状態で自転車ごと深さ1メートルの側溝に落ち、首や頭などにかなりダメージを受けたはずです。
近所の2人が軽トラック荷台に多少乱暴に乗せ、男性の自宅まで連れ帰りますが、その間、男性は「ウー、ウー」など短い言葉を発しただけとされています。男性はかなり衰弱して、早晩、死に至る状態だった可能性が高いのではないでしょうか。
●最高裁決定の「理不尽」
では、どうして男性は堆肥の中で見つかったのか。
それはアヤ子さんの再審決定是非と直接は関係ありません。アヤ子さんが問われた殺人と死体遺棄罪のうち殺人の罪が否定されれば、殺人行為と連動する死体遺棄罪も成立しないからです。
ただ一方で、高裁宮崎支部の再審決定を覆した最高裁は「(事故死だとすると)堆肥に遺棄したのは、男性を運んだ近所の住民2人以外に想定しがたいことになる。しかし証拠関係の下では全く想定できない」と敢えて触れました。
事件全体の構図から必要と判断したのかもしれません。第4次請求を棄却した地裁、高裁、最高裁も同様な言及をしています。しかし、無罪を証明するためには真犯人を被告側が証明しなければならないのかという理不尽な問いかけにもなりかねません。
住民2人のうちの1人は、男性の葬儀の際、位牌に向かって「〇〇(男性の名前)、わいも3日間苦しかったろう。おいも3日間風呂に入らず気張った。すまんかった。何とか言ってくれ」と涙を流しながら語ったようです。男性を堆肥に遺棄したからでは、と想像される話です。
警察もこの件について事情聴取します。住民は「そのようなことを言った記憶はあります。別に理由があって、そのようなことを言ったわけではありません」と答えて終わります。
聴取したのは鹿児島県警捜査1課の警部補で、当時やり手刑事として一目置かれていた人物です。
なのに、調書を見る限り、それ以上の追及はしていません。警察は、この時すでにアヤ子さんを主犯格として逮捕していました。裁判対策か何か、いわば出席原稿のような聴取だったのかもしれません。
●死体遺棄はあったのか?
男性を運んだ住民2人の供述の信用性を第4次請求で検証した弁護団は、住民2人は男性が死んでしまっていることにパニックになり、男性を牛小屋わきの堆肥置き場まで運び入れ、堆肥をかぶせたのではないかとみているようです。
しかし、2人が道路端に横たわっていた男性を自宅まで運んだことは、少なくともアヤ子さんら複数の住民は知っています。隣近所、互いをよく知っている狭い集落の住民同士が助け合うなかで行った行為です。
確かに気が動転すれば不合理な行動をとることもあるでしょう。ただ、そのような観点から捜査を行った資料は出てきていないので、確証はなく、不自然さの方が優る気がします。再審を認めなかった最高裁決定も前述の通り、2人が埋めたという可能性を否定しています。
では、男性宅と隣接して暮らす長兄、次兄らが死んでいる弟の死体を堆肥置き場に運ぶでしょうか。こちらも、警察がそのような疑問をもって聴取を行った形跡がないため、動機が見つかりません。これも不自然なままです。
ほかに誰か運んだ人がいるのでしょうか? これまで明らかになった捜査資料などからは見当たりません。強盗事件などの形跡もないようなので集落外の人が遺棄したという可能性はまずないと思われます。
もし、警察が殺人容疑という仰々しい捜査ではなく、まずは死体遺棄の疑い事案として冷静に住民ら関係者から話を聴いて回っていたら、違った展開になった可能性はあったかもしれません。
それでも進展がなかったとしたら、別の可能性も探る必要が出てきたでしょう。
「男性は自宅に運び込まれたころには死亡していた」という弁護団の鑑定結果とは相容れませんが、亡くなった男性自ら、堆肥置き場に歩いて行った可能性はないのでしょうか。
実は死体発見の一報、『南日本新聞』は1979年10月16日付朝刊で、男性がうつ伏せ状態で堆肥に埋もれた形で見つかったことを報じ、「事故死、殺人の両面で捜査している」と記しています。
と言うことは、堆肥に埋もれた状況からでも「事故死」の可能性もあると警察も当初はみていたことになります。
南日本新聞での大崎事件の初報。2段目7行目から「同署は事故死、殺人の両面で捜査している」とある(1979年10月16日付:マスキング、ぼかしは筆者・編集部)
その後の城教授の解剖所見では「両肺の気管支内腔に堆肥の粉末等が侵入したようには見受けられない」とあり、断定はしていませんが、男性は死んでから運ばれてきた可能性を示唆しています。
ですが、もし自宅土間まで運ばれてきた男性がまだ生きていて、自分で堆肥置き場まで歩き、そこで力尽きて堆肥置き場に倒れ込んだとすれば、気管支に堆肥粉侵入がなくてもおかしくないのかもしれません。
発見時、死体の上には堆肥が20センチから40センチほどかぶさっていたとされます。一番高いところで80センチほどの堆肥の山に自分で倒れ込んで死んだ後、発見までの丸2日間で沈み込んだということはあり得ないでしょうか。
保険金狙いの悪質な放火殺人事件とされたのが再審の結果、自然発火による火災事故だったと認定された大阪の東住吉事件のようなケースもあります。
大崎事件は50年近く前の事件です。死体遺棄の謎なども含め新たな証拠を探して裁判所を説得することは難しいことかもしれません。それでも、再審弁護団は幾度となく、この高い壁に挑んできました。
逮捕から服役中、服役後もずっと無実を訴えてきている原口アヤ子さんは現在98歳。介護施設に寝たきり状態ですが、鴨志田祐美弁護士が「第5次再審請求を始めます」と語りかけると、笑顔になったといいます。その第5次再審請求が、ついに始まりました。
14人の弁護団は手弁当で「開かずの扉」をなんとか押し開けようと奮闘するとともに、証拠開示のルール明文化、検察の抗告禁止など再審制度のあるべき姿も問い続けています。