熊本地震(2016年4月)、熊本豪雨(2020年7月)と相次いで大規模災害に見舞われた熊本県。2度の災害で、在宅高齢者など配慮を要する住民を受け入れる「福祉避難所」の運営を経験した県内の福祉施設事業者が、市町村の枠を超えて避難所の立ち上げ、運営に当たる連携体制を構築した。
2024年の能登半島地震で支援に入ったほか、「熊本方式」ともいうべき枠組みを広げる活動を始めている。相互支援体制は全国の自治体で進んでいるが、南海トラフ地震など今後危惧される大規模災害では、単独の県や自治体、施設では対応が難しいことが想定されるだけに、「事前にどれだけ支援の受け入れ準備ができるかが二次被害を防ぐカギを握る」と熊本県内の福祉関係者は語る。(ジャーナリスト・内田秀夫)
●「職員も被災者」
福祉避難所は災害対策基本法に基づき、自治体が協定を結んでいる民間の福祉施設などが運営する。在宅で介護を必要とする高齢者や障がい者、妊婦など配慮を要する住民が対象。学校などでは一般の避難所とスペースを区切って設置されることもある。2023年の厚労省調査によると、全国の施設数は約2万6000カ所となっている。
熊本地震では、益城町で震度7の前震(4月14日)と本震(同16日)を観測するなど県央を中心に多くの自治体に被害が及び、熊本県で初めて福祉避難所が開設された。ピーク時で101施設に800人以上が避難した。
最大震度6強を記録した熊本市中央区で高齢者施設を運営する社会福祉法人リデルライトホームは、本震2日後から要配慮避難者の受け入れを始めた。
「14日の前震が午後9時過ぎだったことで、出勤している職員は少数でした。携帯電話の回線がパンクし職員の安否確認や、出勤可能かの確認に苦労しました」と同法人の木村准治事務長。
相次ぐ余震に窓ガラスや空調施設の破損などが想定されたことから、まずは入居者を廊下に移すなどの安全確保を行い、食事の提供や介護物資の確認したうえで在宅の要配慮者受け入れを決めた。
震災後半月後には、施設内の地域交流スペースや会議室に段ボールベッドやパーテーションを運び込み、13床を確保し本格運用を開始した。東日本大震災支援の際に目にした避難所を参考にしたという。
避難所の運営には、全国の施設などから応援で派遣された人材を充てた。同法人に派遣された人員は九州内などの31施設から86人。8月下旬の避難所閉鎖までの期間、毎日5人強が運営を助けてくれた計算だ。
他県からの応援を受けたことで、法人の職員は既存の施設の利用者、入居者の担当に専念できた。木村事務長は「職員は被災者でもあります。施設を継続していくうえでもいかに負担を減らしていくかが課題でした」と振り返る。高齢者施設運営に加え、支援物資の受け入れや仕分け、応援者の宿泊場所確保や食事の準備にも苦心したという。
●自治体の枠を越えて
発災後、震源に近かった益城町の現地を訪れた木村事務長は「震度7と震度6強でこんなにも被害の度合いが違うのか」と驚かされたという。
ほとんどの家屋が全壊や半壊の被害を受けた益城町と、10キロほど離れたリデルライトホーム周辺との被害程度の差は明らかだった。益城町内で福祉避難所を運営することが難しいと判断し、同町の要支援者をリデルライトホームで引き受ける準備をしたが、町と法人の間で協定を結んでいなかったことから当初は認められなかった。
折衝を重ね、引き受けは実現したが、木村事務長は今後の災害時にも起きうる課題だと受け止めた。「被害が大きい場所で無理に運営することはない。少し離れた場所に安全な環境があるのであれば、自治体や各施設間の枠を越えて対応したらいいのではないか」。
また、各施設間での支援、連携体制ができていなかったため、被害が少なかった地域の施設から支援を受けることができなかったことも気にかかった。
熊本地震の経験から得られた課題やノウハウはその後、リデルライトホームが参加する熊本県社会福祉法人経営者協議会で共有した。
課題を大別すると
・福祉避難所立ち上げ自体が初めてで具体的なイメージを持てなかった。
・ベッドやパーテーションなどの物品の確保が進まず開設に時間がかかった。
・県内の被害が少なかった施設との連携がうまくいかなかった。
・生活再建を進め退所するための調整が困難 などが挙げられた。
話し合いを重ねることで、普段から物品を手分けして準備し災害時に持ち寄ることや、避難者から状況を聞き取り対応を考えるソーシャルワークチームを組織することなどが決まった。また、大規模災害時には災害派遣福祉チーム(DWAT)を立ち上げ、各法人から人や物品を出し合って自治体や各施設の枠を超えた広域体制で被災地支援に当たることも確認しあった。
●能登地震へも派遣
熊本地震から4年後、今度は熊本県南地域で大規模水害が発生する。急流で知られる球磨川が人吉市など中流域で氾濫し、多くの家屋や農地が溢水。死者・不明者計69人(災害関連死含む)と大きな被害となった。
経営者協では初のDWAT支援を決め、所属法人の職員らでつくるチームを派遣。高齢者施設が水没するなど最も被害が大きかった球磨村ではなく、被害の少なかった約20キロ上流のあさぎり町内の2施設内に福祉避難所を開設し、同村内などから要支援者を受け入れた。
避難所運営に加え、状態に応じた避難者の行先調整、在宅復帰支援にも携わるなど成果を上げた。熊本地震での経験が生かされた格好だ。
2024年1月の能登半島地震では、初めてDWATを県外に派遣した。発災の9日後には先遣隊を送り、以後は5人1チーム延べ51人で3月末まで現地の福祉避難所運営を支援した。
●ゲーム形式でノウハウを学ぶ
熊本DWAT本部の担当者として能登支援に入った木村事務長は、新たな課題を抱えることになった。熊本チームはソーシャルワーカーや社会福祉士など専門知識を持つメンバーで構成したが、現地にDWATの概念が浸透していなかったことから、専門性を生かしきることができなかったのだ。
「『支援』と『受援』の意識がかみ合っていれば、もっと効果的に避難者を支援することができたのではないか」
それ以前にも熊本地震後の避難所運営の経験を全国で講演した際、「あなたのような人がいればうまくいくだろうけど」「実際に経験していないと実感が持てない」といった意見が寄せられていたという。
福祉避難所立ち上げ・運営のノウハウをうまく伝えられるようにと、木村事務長はカードゲーム方式で発災から避難所開設までをシミュレーションできるパッケージを考案。
事業継続のために必要な備蓄品の量の把握や、他の事業所との連携・協働の方法などを具体的に学べる内容で、1時間程度で体験できる。要配慮避難者の行き先を調整するバージョンもあり、県内外でワークショップを開いて避難所立ち上げのイメージを持ってもらえるよう取り組んでいる。
熊本地震、熊本豪雨での福祉避難所運営や能登半島地震への支援経験から木村事務長は「受援」体制を整えることの必要性を強く感じているという。
「国の方針もあり、各都道府県で支援体制は整えられていて、大災害時には派遣もされています。一方で被災した側に受援という意識や体制が無ければ、せっかくの支援をうまく生かすことができないと考えています」。
声がかかれば、時間が許す限りカードを持って各地を回ることにしている。