大阪地検の元トップが部下への性犯罪に問われるという異例の裁判が続いている。事件は2018年に起きたが、表面化したのは約6年後だった。
「検事なのに犯罪者を野放しにしていることが許せなかった。でも被害を知られるのが怖く、訴え出る勇気が持てなかった」。
“捜査する側”と“捜査される立場”の両方を経験した現役検事の女性Aさんが弁護士ドットコムニュースの取材に応じ、検事正からの性被害を申告するまでの複雑な心境の変化を明かした。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)
●被害時は現実を受け入れられず「尊敬していた人が悪魔だった」
大阪地検の検事正だった北川健太郎氏は2018年9月、当時住んでいた大阪市内の自身の官舎で、部下のAさんに性的暴行を加えたとされる。
北川氏は2019年11月に定年まで数年を残して退官し、弁護士として活動していたが、2024年6月、大阪高検がAさんに対する準強制性交の疑いで逮捕し、その後起訴した。
「被害を受けている時は『殺されるかもしれない』と。あまりのショックで現実のものとして受け入れられませんでした。大阪地検トップの検事正として尊敬し、信頼していた人が悪魔だった」
性暴力を受けた直後は自分を守るための防衛反応やショッキングな事実から目を逸らそうとする否認の心理が働くと言われている。Aさんも似た状況に置かれたという。
「家族や職場など誰にも知られたくありませんでした。仮に検事正から性被害を受けたと検察庁に訴えても、北川氏の部下は当然、北川氏の上司も誰も私の話を信じてくれないだろうと。
『検事正がそんなことをするはずがない』『検事正に濡れ衣を着せようとするやつは許せない』などと誹謗中傷され、辞職に追い込まれると思いました。
北川氏は『申し訳なかった。警察に突き出してください』と謝罪してきた時、今にも辞職する勢いでした。私は北川氏が反省しているように見えてしまい、とっさに『大阪地検の宝である優秀な検事正を辞職させてはいけない』と思ってしまい、『辞職しないでください』とまで言ってしまいました。
性犯罪の被害者は被害直後にまず自分を責める。私の場合は泥酔した自分を責めました。被害のショックに直面できないため、加害者に対する怒りを感じたり表現したりすることすらできないのです」
大阪地検の元トップの性暴力事件をめぐる経緯(Aさんへの取材や新聞報道などをもとに弁護士ドットコムニュースが作成)
●「私を訴えませんか?」病休明けの一言に激怒
その後、徐々に北川氏に対して怒りの感情を持てるようになったというAさん。「犯罪者が人の処罰に関わることなどあり得ない。すぐに自ら検事正を辞職するだろうと思っていた」が、一向に辞職する気配を見せない相手により憤りを感じた。
2019年6月下旬に決定的な出来事があった。北川氏から検事正の部屋に呼ばれ、「そろそろ辞職しようと思うが、私を訴えませんか?」と言われた。
「私はその直前、心労と過労で肺炎を発症し入院していましたが、病休明けの初日に北川氏に呼ばれたので、体調を心配する言葉や真摯な謝罪の言葉をもらえると思っていました。
でも、『訴えないか?』という言葉を聞いて、どこまでも自分のことしか考えていないことに激怒し、『犯罪者が検事正として人の処罰を判断していることが問題だと思わないのか』『今すぐ辞職すべき』『なぜ今まで辞職しなかったのか』と言いました。
その後、2019年10月に北川氏から『辞職の日が決まったので部屋に来てほしい』と言われ、私はそれまで被害内容を書き溜めてきたものを北川氏にぶつけ、『自分の記憶どおりに質問に答えよ。回答の内容次第で上級庁に訴える』とメールを送りました」
元大阪地検トップが性犯罪に問われている事件に関して、「検察庁は第三者を入れて調査をすべきです」と語る女性検事のAさん(弁護士ドットコムニュース撮影)
●「あなたの愛する検察庁のために告発はやめて」北川氏の言葉に涙したAさん
ほどなくして北川氏から直筆の書面が送られてきた。これまでAさんが開いた記者会見などによると、そこには次のような趣旨の文章が綴られていたという。
<口外しないなら喜んで死にます>
<公になれば私は生きていけない、自死を考えている>
<フロッピー改ざん事件(*1)と同様に、検察庁に大きな非難の目が向けられ、業務が立ち行かなくなる。検事総長らも辞職に追い込まれる>
<私のためでなく、あなたの愛する検察庁のため告発はやめてください>
(*1)大阪地検特捜部の検事が証拠のフロッピーディスクのデータを改ざんした事件。検事は2010年に証拠隠滅罪で起訴され、その後実刑判決が確定。特捜部長らにも有罪判決が下された。
「それを読んで泣きました」。Aさんが組織や職員のために訴え出られない立場にいることを見通しているかのような北川氏の言葉に絶句した。
「フロッピー改ざん事件と同じように、組織や職員が叩かれ、迷惑をかけるのは申し訳ないと思いました。また、私が被害者であることを知られ、大ごとになって検事を辞めなければならなくなるかもしれないと思うと怖くなりました。
夫は私の想いを尊重してくれて、せめて最低限の罪を償わせるために北川氏から申し出のあった損害賠償金を受け取ろうと言いました。
本当は北川氏を処罰したかったので、みじめで、お金で私の被害がなくなるはずもなく、受け取りたくありませんでした。でも、何も償いがないのも辛すぎて賠償金を受け取るしかなかった」
大阪地検が入る庁舎(弁護士ドットコムニュース撮影)
●5年5カ月後に被害申告「生き直すためには処罰するしかない」
被害の痛みに蓋をしようと仕事に没頭していたAさんだったが、2023年12月、PTSDの症状が悪化し、精神科医から「今すぐ仕事を休んでください」と告げられた。
それまでの間、弁護士に転身した北川氏が検察庁の幹部や元部下らとよく飲みに出かけていることを人づてに聞き、いまだにAさんが所属する検察庁に影響力を及ぼし続けていることを知った。
「私は卑劣な性被害を受けてずっと苦しんでいるのに、北川氏が自分の犯した罪を忘れたかのような振る舞いをしていることが悔しくて許せませんでした。
私は検事なのに犯罪者を野放しにしていることも許せなかった。でも被害を知られるのが怖いし、事件を潰されるかもしれない。訴え出る勇気が持てませんでした。
ですが、心身を壊され、家族との平穏な生活も壊され、生き甲斐だった検事の仕事も奪われた。それらを取り戻して生き直すためには、北川氏を処罰するしかないと思いました」
2024年2月、信頼していた上司に北川氏からの性被害を打ち明け、刑事告訴した。被害を受けてから5年5カ月が経っていた。
「検察は誤った組織防衛や保身に走らず、国民の安全を守るのが検察の本質なので、それに立ち戻って真摯な対応をしてほしい」。記者会見でそう話したAさん(2025年1月27日、東京・霞が関の司法記者クラブで、弁護士ドットコムニュース撮影)
●裁判進行中「まだとても不安がある」
北川氏は起訴されたものの否認に転じたため、Aさんは今も不安が尽きないという。
「検事としての知識や経験から、一般的に必要な捜査をすれば有罪になる事件だと分かっています。
でも、被害申告後、一向に捜査が始まる様子はなく、上司からは『北川氏から逆告訴されたり、損害賠償請求訴訟を起こされたりする可能性があるかもしれないけど、それでも被害申告を維持するの?』『損害賠償金を受け取っているので起訴猶予になるかもしれない』と言われ、事件を潰されるかもしれないと不安が募りました。
賠償金の受領は被害者としての正当な権利行使ですし、今回のような重大な性被害で起訴猶予はあり得ないと思いましたが、厳罰意思を示すため賠償金を北川氏に突き返しました。
懸命な捜査の結果、起訴してもらったことには感謝していますが、今も検察が私に事件の証拠を隠そうとしていますし、北川氏の有罪判決や副検事の厳正処分が確定していない状況ではまだとても不安があります」
*今回のAさんへの取材は、「性暴力被害取材のためのガイドブック」を参考に実施しました。
*記者はこれまで北川氏に手紙を送ったり面会を求めたりしていますが、3月25日現在、応じてもらえていません。北川氏に取材できた場合は今後記事にする予定です。