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アナウンサーが家業を継いで「いかめし三代目」社長に 伝えたい「愛」を新商品に込め
今井麻椰さん

アナウンサーが家業を継いで「いかめし三代目」社長に 伝えたい「愛」を新商品に込め

父の事業、いかめし販売会社の経営を29歳にして一手に背負った、今井麻椰さん(32)。東京で生まれ育ち、アナウンサーとして活躍していた今井さんが事業を継ぐに至った心境は。そして老舗いかめし会社にどんな新風を吹き込もうとしているのか。話を聞いた。(取材/文 一木 悠造)

●小学校の文集にも書いた将来の夢「いかめし三代目」

ーーいかめしと今井さんのかかわりについて教えてください。

私はいかめしと共に育ってきました。小学校の文集の将来の夢にも「いかめし三代目」と書いていました。そのいかめしが自分の手を離れ他の人のものになってしまうと考えた時に、家族を失うような気持ちになり、私が跡継ぎとしてこのいかめしを守っていきたいと決意しました。

父の代から全国の催事が売上の9割を占めており、拠点は東京にあり、私は東京で生まれ育ちました。父の実家もいかめしの本社も北海道の函館にあったので、子供の時の長期休みは常に函館と森町にいました。北海道は第二の故郷です。

小中高は、東洋英和女学院で12年間を過ごし、大学は慶応義塾大学環境情報学部へ進学しました。大学では、「場所とメディア」という研究会に入り、卒論では大学の学食について執筆しました。ずっと食文化に興味があったんです。学食の特徴やその場の空間と食との関係性などを調べ、まとめました。

大学を卒業してからはずっと念願だった海外留学に行きました。その留学中に転機が訪れました。アメリカにある日本のスーパーで年に数回北海道フェアが開催されていて、父の繋がりでいかめしも出展していたんです。

意気揚々とそのフェアに向かいましたが、待っていたのは理想とは違った厳しい現実でした。

アメリカでは揚げ物が売れるだろうという観点から、「いかめしコロッケ」も持っていきました。海外の地で朝5時から仕込みを始め、現地のバイトの学生たちとコミュニケーションを取り、何種類もあるコロッケを1日中揚げながら、いかめしの販売も行わなければならない状況が2週間続いたんです。

泣きながら両親にスカイプしたのを思い出します。「いかめし阿部商店を背負うこと」の重要性を心底感じました。家業の伝統の深さや、催事の準備の大変さ、お客様への対応。アメリカの現場で現実を突き付けられたんですね。

最初はいかめしはアメリカの人たちにはなかなか受け入れてもらえませんでした。そこで、照り焼きソースに似てる味だよと伝えたり、アメリカではモチが流行っているので、中にはモチがはいっているよとプレゼンしたりして、とにかく試行錯誤しました。

そうしているうちにリピーターが増えたり、お友達のようなお客さんもできたり、いかめし販売が楽しくなっていきました。結果的にコロッケの方は2000個の追加注文が入ったり、来年もまたきてねと声をかけていただいたり、アメリカでの催事を成功裏に終えることができました。

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●後継者問題が起きる中、「私がやります」と父に決意表明

ーーアメリカでの経験で、いかめしを伝えることに目覚めたわけですね。

そうなんです。この時初めて「いかめし愛」と同時に「人に伝えること」の醍醐味も感じました。元々父からはいかめしの仕事に就く前に「全く違う畑を耕してから来なさい」と言われていたんで す。

日本に戻り、テレビ局のアナウンサースクールに入りまして、早速、オーディションを受けてみないかと声をかけていただきました。その後とんとん拍子でBSの番組に起用が決まりました。

アナウンサーの仕事も楽しくやりがいを感じていたのですが、紆余曲折があって、フリーで頑張ろうか、きっぱりやめようかと悩んでいたとき、いかめし屋の跡取り娘として特集に出演して欲しいとテレビ局から声がかかったんです。

父から事業を受け継ぐことは決めていませんでしたが、出演してみることにしました。当時、父も70代目前だったので後継者をどうすべきか、真剣に悩んでいました。他の人に社長をお願いするしかないかという方向で話が進んでいきました。

それを聞いて私はショックを受けました。いかめしと共に育ってきた私にとって、いかめしは家族、兄弟のような存在で、それが自分のそばから離れてしまうというのを想像するだけでとても悲しくなりました。

ーーそしてついに、事業を継ぐことを決断されるのですね。

「私がやります」。父にそう決意表明し、2019年から本格的に事業継承に向けて動き始めました。父は私に後を継いでほしかったわけではなく、この世界を何十年も経験してきたからこそ、女性がやる世界じゃないし、むしろ女性としての幸せを選んで欲しいとアドバイスしてくれましたが、私は社長になることを決めていました。

社長になることがいかに大変か。今まで物産展の現場でいかめしを作り販売するという仕事はずっとやってきたので、よく理解していたのですが、経営のことは何一つ勉強したことがなく、売り上げなどの数字も読むことができず、想像を超える厳しい現実に途方に暮れてしまいました。

そうこうしているうちに2020年5月に社長に就任、名実ともに三代目いかめし阿部商店の社長になりました。しかし、コロナの緊急事態宣言発令で全国各地の催事が中止になってしまいました。売上のほとんどが催事によるものだったので、売上げもほぼゼロの状態になってしまったんです。

●「Never Too Late」の精神で失敗も乗り越えたい

ーーどうやってその難局を乗り切ろうと考えたのですか。

とにかく前例を取り払って、新たな挑戦を始めました。まずは知り合いに頼んでホームページをリニューアルしてもらい、オンラインショップを初めて開設しました。

今までとは違った手法で世の中にアプローチしないといけないという想いで必死にやりました。いかめしのレトルトパックは、北海道新幹線が開通したのに合わせて、北海道発のお土産として企画した商品です。

父の代から考案したいかめし関連商品も、さらに話題にしようと一生懸命、告知に努めました。

いかめしコロッケは、アメリカの催事で毎日泣きながら揚げまくっていたコロッケで、いかめしを細かく刻んで男爵イモに混ぜているイメージです。味付けもいかめしのタレを実際に使っています。おかげさまで今ではイベントで大行列ができるほどの人気商品になりました。

いかめしおかきは、先ほどのいかめしレトルトを作る際に、どうしても形が崩れてしまったり、商品にできなかったりするものが出てきてしまうので、そのいかめしをまとめてミンチにし、もち米と混ぜておかきにしました。原材料にいかめしと書かれているので、まさにフードロスを減らしているんです。女性からの人気も高い商品です。

また、いかめしのトートバッグやTシャツなどのグッズもモデルチェンジして復刻させました。IKAMESHIと印字されたTシャツは私がデザインしました。今後海外展開を進めていくときに役立つだろうと考えました。

ーー今後、いかめし阿部商店をどのように発展させていきますか。

私のアイデアで売り上げを伸ばしていきたい。とはいえ厳しい環境は続いていますが近い将来、必ず結果を出したいと思っています。そこにたどり着くまでの失敗と過程を大切にしながら、何事も焦らず、私のペースで進めていきたいです。

完璧主義な上に負けず嫌いなので自分自身を苦しめることも多いのですが、時間がかかっても大丈夫という気持ちでここまでやってきました。やってみたら失敗に終わっても必ず何とかなるだろうと思って進んでいます。そこから学ぶことも多いですし、2つの道が目の前にあったら、必ず険しい道を選ぼうと決めています。

やってみないと分からない。やれるところまでやってダメならやめればいい。また次を探せばいい。

「やらない後悔よりは、絶対にやる後悔。」何事もやり始めるのに遅すぎることはない。

「Never Too Late」

私が心から大切にし続けている言葉です。

【プロフィール】 今井 麻椰 (いまい まや) 1991年1月生まれ。慶応大学を卒業後、フリーアナウンサーとして活躍。2020年、父から「いかめし」弁当のいかめし阿部商店の社長職を事業承継。社長とアナウンサーの2足のわらじで全国を駆け回る日々を送る。

【取材者プロフィール】 一木 悠造 (いちき ゆうぞう) 主にノンフィクションの現場で取材を重ねてきたフリーライター。

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