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三代目社長「どう恩返しすれば」 慶應の学生食堂「山食」、卒業生の支援で「コロナ危機」乗り越える
山食三代目社長の谷村忠雄さん(2021年4月、弁護士ドットコムニュース撮影)

三代目社長「どう恩返しすれば」 慶應の学生食堂「山食」、卒業生の支援で「コロナ危機」乗り越える

コロナによる休校でキャンパスから人影がなくなった2020年の秋。84年の歴史を持つ慶應義塾大学の学食「山食」の取り組みが話題を集めた。売り上げが前年(2019年)比で80%減少し、経営難に陥ったため、クラウドファンディングを行なったところ、目標金額500万円に対し、約4000万円超の支援金が集まったのだ。

多くは卒業生と思われるが、なぜ山食はこんなに愛されているのだろうか。3代目山食社長の谷村忠雄さん(81)に聞いた。(ライター・山下沙也加)

●「まさか1日で目標を達成するとは」

「まさか目標額の500万円を1日達成し、最終的に目標の8倍の4000万円も集まるとは思いませんでした」

谷村さんは嬉しそうにそう話す。山食が慶應大の三田キャンパス(東京都港区)に創業したのは1937年のこと。実に83年の歴史をもつ山食だが、存続が危ぶまれる事態となるのは初めてのことだった。

三代目山食社長 谷村忠雄さん(81)

山食の経営方針は「薄利多売」だという。「業者、社員に支払いが出来ればよかったから、資金がプールしておらず、3、4カ月で経営が厳しくなってしまった」(谷村さん)

コロナで売り上げが8割減、8月には銀行から融資を受けたものの、3ヶ月しか持たなかった。そこで、夏ごろから大学にふるさと納税のような形で支援してもらえないかと相談。そんな時に大学4年生の孫から上がった案が「クラウドファンディング」だった。

「クラウドファンディングの言葉そのものも知らなかった」という谷村さんだが、他の事例を参考に目標金額は500万円でスタート。

12月14日に立ち上げ、1日で達成した。谷村さんは「内心びっくりしたというか。こんなに沢山の方から短期間でご支援いただいてこれからどういうふうに恩返ししようかなと。その考えが頭に浮かびました」と振り返る。

クラウドファンディングは最終的に目標額の8倍以上である約4323万円が集まった。

●クラウドファンデングのリターンは?

募集したクラウドファンディングのプランは、500円、1万円、3万円、5万円の4種類だった。

それぞれリターンの内容は、500円(1食分の食券)、1万円(レトルト山食カレー3パック、非売品の山食カレー皿)、3万円(レトルト山食カレー3パック、山食カレー皿、山食ボールペン、山食×野球部コラボタオル)、5万円(3万円と同じもの、山食内で支援者の名前を掲載した銘板を作る予定)。

創業以来レシピを変えていないこだわりの山食カレー(330円)

5万円の支援者は現役の学生のほか、塾長、常任理事、教授、応援指導部のOB、OG、体育会出身者など。「顔と名前が一致する人は多いし、顔は大体わかります。感激しましたね」と語る。

リターンについて谷村さんは「まず市販されていないものを送ろうと思いました。中でも三色旗の入ったカレー皿で食べたいというOB、OGの声は以前からもらっていました」と話す。

「山食といえば、カレー」という卒業生は多い。今でも人気トップ3は、カレーライス(330円)、カツカレー(530円)、若き血ラーメン(400円)だ。

学生から「大盛りよりも大盛りにしてくれ」と言われても笑顔で応えている

今回のクラウドファンディングで1万円の支援をしたOBの男性会社員(33)は「馴染みのお店がなくなっていくと人が集まれる場所がなくなってしまう。ネットでクラウドファンディングを知り、その日のうちに支援をした。1万円のリターンを選んだのは、学生の頃を思い出すお皿が欲しかったから。でももったいなくて使えないですね」と嬉しそうな様子だ。

なお、カレー皿を市販して欲しいという要望は変わらずあるが、谷村さんは「せっかくクラウドファンディングをしてくだった方に返礼品としてお送りしたのに、市販するのではその意味がないので断っている」と話す。

●山食に入社して66年

画像タイトル 笑顔で語る谷村忠雄さん。奥に写るのは娘で四代目社長の横山恵子さん。

谷村さんが山食に入社を決めたのは、66年前の昭和30年、中学3年生の時だった。

「就職担当の先生がある日、教室で『慶應で調理師見習いを募集しているけれども、行きたい人はいませんか?』と言ったんです。ラジオで早慶戦聞いていて元々慶應のファンだったこともあり、咄嗟に手を挙げました」

中学を卒業してすぐ集団就職で上京する若者たちを「金の卵」と呼んだ時代だ。山食には谷村さん含め5人の金の卵が入社し、住み込みで朝から晩まで働いた。キャンパスはまだ戦災の跡が色濃く残されていた。

「寝起きしたのは、キャンパスの大ホールの一部を改装したところでした。当時は、親元に帰ると言っても年1、2回程度。校舎内ですが出前もあり多忙でしたし、まだ幼いですからね。親を恋しくなったのか、他の同期は退社してしまいました」

「うちは両親が厳しく、『正月以外は帰って来るな。最低5年は辛抱しないと家の敷居は跨がせない』と言われていましたからね。その5年が、気がついたら65年になっていました」

メニューの中には手作りショートケーキも

その間、コロナ禍ほどの危機はなかったそうだ。

「オイルショックの影響もなかったし、バブルの時もここは高揚感がなかったですね。学生運動のときも授業はやっていたし、一部の学生は参加していたけれども、多くは勉強していましたので影響はありませんでした。早稲田や東大から学生がきて塾監局が閉鎖されていたり、塾長が囲まれて外に出られなくなったりしていましたね」と振り返る。

●「第二の家庭みたいなもの。できることは何でもする窓口」

学生だけではなく、職員も多く利用している

山食の壁には歴代ラグビー部キャプテン、野球部キャプテンのサインが飾ってある。

「以前は体育会ラグビー部が行う山中湖の合宿で、夏の間、休みなく朝昼晩のご飯を作っていました」と谷村さんは話す。さらに、野球部と応援指導部は早慶戦の後、納会を必ず山食で行っていた。

「4年生が卒業となる秋の納会では例年、4年生が抱き合って泣いてなかなか帰らなくて。高橋由伸さんは学生時代も来てくれていたようでしたが、巨人の監督になる時には激励会が山食で開かれ、プロ選手たちも参加していました」

毎年届く沢山の年賀状。青い冊子は横浜初等部の生徒から届けられた応援メッセージが詰まっている

山食を谷村さんは「第二の家庭みたいなもの。できることは何でもする窓口」と語る。毎年沢山の年賀状が届くことも楽しみだ。

コロナ禍となる前、山食には毎日遅くまでロースクールの学生たちが、司法試験の勉強をしていたそうだ。その後「弁護士の資格を取れた」「法律事務所をつくった」と山食に報告しにくる弁護士たちもいるという。

●塾生、塾員の愛で危機を乗り越えた

初めての緊急事態宣言が発令されたから約1年経った今年4月7日。新学期が始まり、5、6割の客が戻ってきた。しかし、またしても緊急事態宣言が発令され、今後はまた不透明な情勢となっている。

マスクで会話は聞き取りにくく、表情も見えないため、以前のような交流は難しい。「コロナ前は、営業時間がすぎてもおしゃべりしている学生がいたらみかんをあげたり、遅くまで勉強し続けている学生がいたら『気が済むまで勉強しな』と声をかけていました。早く日常が戻って欲しい」と話す。   谷村さんの後継者として、娘の横山恵子さんが4代目社長に就任することが決まっている。

谷村さんが高齢になってきた時点で、子育てもひと段落していた横山さんは仕事もしていたため、手伝いながら、ということで週3でパートで働くようになり、一緒に仕事をしていく中で、継いで欲しいという話が谷村さんからあったという。

4代目社長となる横山恵子さん

横山さんは「父は勤続66年が経ちますので、重みはありました。どういう形で、繋げていけるのだろうかと。いなくなったときに、繋げていけるのだろうかという不安はありました」と語る。

「我が子も慶應に入れたい」という卒業生の多い慶應だからこそ、卒業生の子どもが、新たに「塾生」として山食に訪れるかもしれない。その時、提供されるのは父・谷村さんから娘・横山さんに受け継がれた変わらぬ味だ。

塾生、塾員(慶應OB・OG)の愛で危機を乗り越えた山食。これから先もずっと名物「カレーライス」の味は守られていくのだろう。

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