北海道旭川市で、当時17歳だった女子高生を橋から落下させて死亡させたとして殺人などの罪に問われている内田梨瑚被告人(23)の裁判が6月8日に結審しました。
この裁判で大きな争点となっていたのは、内田被告人に、殺意があったかどうかという点でした。検察は、殺意があったと主張していますが、内田被告人は殺意を否認しており、橋から女子高生を橋から落下させていないと主張しています。
判決は、6月22日に予定されていますが、今回のケースで殺人罪が認められる可能性はあるのでしょうか。考え方を整理しつつ解説します。
●殺人の「実行行為」とは何か
まず、内田被告人は、「女子高校生に対する殺意は全くありません」「橋の上で落下させてもいません」と述べているようです。前者は「殺意」の問題であり、後者は「実行行為」の問題と考えられるため、分けて解説します。
殺人罪(刑法199条)が成立するには、人を死亡させる危険性のある行為が必要です。これを「実行行為」といいます。
内田被告人は、被害者を「橋の上で落下させてもいません」と述べているようですが、既に裁判が確定して服役中の共犯の女性は、「内田被告人が(女子高生の)肩甲骨のあたりを両手で押した」と証言した、と報じられており、大きく食い違っています。
そこで、本件では、「手で押して落下させたのか、そうでないのか」が争われているようにみえます。しかし、検察官の主張はそうではなく、橋から転落するまでの一連の行為を実行行為と主張しているようです。
なぜこの主張になったか、ですが、これは検察官の立証の問題と考えられます。
たとえば検察官が、本件の実行行為を「手で押した」ことだと主張した場合、「手で押した」という事実を、検察官側で、合理的な疑いをいれることなく認められるレベルで立証しなければなりません。
仮に「手で押していない可能性が否定できない」ことになった場合、殺人罪の成立が認められないことになります。
検察官としては、そのようなリスクを負う必要はないと考えたものと思われます。
●一連の行為が「実行行為」という主張の意味
実行行為は「直接手で押す」とか、「刃物で刺す」といった1つの動作に限られません。
複数の行為が時間的・場所的に密接に連なり、全体として「死亡させる現実的な危険性のある行為」と評価できる場合は、その「一連の行為」全体を実行行為とみることができます。
本件で検察は「橋から転落するまでの一連の行為」全体を実行行為と主張しています。
ただし、一連の行為を殺人罪の実行行為と主張するのであれば、その一連の行為を通じて、殺人の故意(殺意)が認められなければならない点には注意が必要です。
この場合の殺意は、未必的なものでも足ります。たとえば、「死ぬかもしれないと思ったが、それでもかまわない」というものでも良い、というわけです。
●具体的な考え方の筋道
「一連の行為」を実行行為と主張する場合、その具体的な内容にはいくつかの筋道が考えられますが、ここでは大きく2つ挙げてみます。
1)意思決定の自由を奪った、という考え方
1つめは、被害者の意思決定の自由を完全に奪い、「橋から落下する以外に選択肢がない状態」に追い込んだ行為の流れ全体を実行行為とする考え方です。
たとえば、最高裁平成16年(2004年)1月20日決定は、保険金目的で被害者に岸壁から車ごと飛び込むことを執拗に命令し続けた事案で、被害者を「命令に応じる以外の行為を選択できない精神状態」に追い込んだ一連の行為を殺人の実行行為と認めました。(結果として被害者が生き延びたため殺人未遂罪とされています)
本件では、深夜の監禁・全裸での土下座強要・橋上での暴行・100回以上の「死ね」「落ちろ」という怒号・欄干外側への誘導という一連の経過により、被害者が転落以外の選択肢を事実上失っていたと評価できる余地があります。
このように、被害者を追い詰める行為の流れ全体が実行行為である、という主張が考えられます。
このような主張が認められれば、手で押したことが証明されなくても殺人罪の成立が認められる可能性があります。
2)一連の行為、という考え方
2つめは、核心となる危険な行為(被害者を橋の欄干外側という危険な場所に立たせて落下させる)だけでなく、それに至るまでの暴行・脅迫行為を「殺意が継続する中での一連の行為」として実行行為とする考え方です。
たとえば、東京高裁平成13年(2001年)2月20日判決では、被告人が室内で自身の妻を包丁で数回刺した後、ベランダの手すり伝いに逃げた妻を追いかけ、今度は連れ戻してガス中毒死させようとしたところ、妻をつかもうとしてベランダから転落死させました。
「手すり上の人をつかむ」という行為は通常であれば暴行にとどまります。
それでも裁判所が殺人罪の成立を認めたのは、1)刺突時から「殺す」という意思が継続していたこと、2)つかむ行為は殺害計画の実現に欠かせない行為だったこと、3)刺突行為とつかむ行為が時間的・場所的につながっており、一連の行為とみられること、といった点からと考えられます。
本件であれば、具体的にどの時点から「一連の殺人行為」とするかは難しいところですが、たとえば欄干に着座させ、外側に立たせ、「落ちろ」と怒鳴り続けた行為の時点で殺意が形成され、その後の行為(外側に立たせ続ける・押す)も殺意が継続しているとして、この一連の行為を実行行為であると主張することなどが考えられます。
このような主張が認められれば、やはり手で押したことが証明されなくても殺人罪の成立が認められる可能性があります。
なお、どのような構成を取るかは検察官次第です。
●殺意はどう認定されるか
殺人罪が成立するには、実行行為のほかに「殺意」も必要です。内田被告人は一貫して「殺意はなかった」と主張しています。
「殺意」といっても、「殺してやろう」という気持ちが強くないと認められないわけではありません。
「被害者が死亡してしまうかもしれないが、それでもかまわない」と考えて行為に及んでいた場合であっても、殺意が認められます。
また、被告人が殺意を否認していても、犯行の態様・犯行前後の言動などの間接事実から、被告人が死亡を認識・認容していたかどうか判断し、殺意が認定されることはあります。
本件で殺意を推認しうる間接事実としては、「死ね」「落ちろ」などと100回以上怒鳴り続けたという共犯者証言、全裸で橋の欄干外側に立たせたこと、被告人質問で「泳いで助からないのはわかっていたか」という問いに「はい」と答えたこと、などが挙げられます。
監修:小倉匡洋(弁護士ドットコムニュース編集部記者・弁護士)