元プロ野球選手で、歴代2位の通算350勝を記録した米田哲也さんが、窃盗の疑いで現行犯逮捕されたと報じられています。
報道によると、米田さんは、兵庫県尼崎市のスーパーで缶チューハイ2本(303円相当)を万引きした疑いが持たれています。警察の取り調べに容疑を認めているそうです。
野球殿堂入りしたレジェンドである米田さんは、87歳という高齢であることから、ネット上では「認知症では?」といったコメントも広がっています。
現時点で、米田さんが認知症かどうかは明らかではありません。もしそうでなかった場合、認知症呼ばわりは「失礼な話」でしょう。
ただ、高齢社会の日本では、実際のところ認知症が問題となる事件・事故も少なくないので、この観点から一般論として法的に考えてみたいと思います。
●米田さんは起訴されない可能性が高い
まず米田さんの場合、そもそも前科・前歴がなければ、被害額がそれほど大きくないことからも、起訴されないケースだと思われます。
一方で、もし仮に、起訴相当と判断されるような事情がある場合で、かつ、実際に認知症の疑いがある、ということであれば、その「認知」の程度を検討することになります。
●「責任能力なし」になるのか?
罪を犯した人の認知に問題があった場合、逮捕・起訴されても「責任能力」がないとして、犯罪が成立しない可能性があります。
刑法上の責任を問うためには、この責任能力が認められる必要があるのです。
責任能力が問題となる場合にはいくつかケースがありますが、今回のようなケースでは、仮に認知症が進んでいたりする場合、「心神喪失」や「心神耗弱」の成立が問題となります。
(心神喪失及び心神耗弱) 刑法第三十九条 心神喪失者の行為は、罰しない。 2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
心神喪失とは、「精神の障害により、事物の理非善悪を弁識する能力又はその弁識に従って行動する能力のない状態」をいいます。
心神耗弱とは、「精神の障害がまだこのような能力を欠如する程度には達していないが、その能力が著しく減退した状態」をいいます。(以上、大判昭和6年12月3日)
ややこしくなってきましたが、
(1)精神の障害があるか (2)事物の是非善悪を弁識する能力(=事理弁識能力)があるか (3)弁識に従って行動する能力(=行動制御能力)があるか
という3点により、心神喪失だったか、心神耗弱だったか、が判断されます。
そして、心神喪失は、事理弁識能力か行動制御能力のいずれかが「欠けている」状態、心神耗弱は、事理弁識能力か行動制御能力のいずれかが「著しく減退している」状態のことをいいます。
心神喪失と認められる場合には、犯罪は成立せず、心神耗弱と認められる場合には、刑が減軽されます。
なお、「事理弁識能力」と「行動制御能力」を厳密に分けて検討することは難しく、厳密に区別しないで判断される場合もあるようです。
責任能力の判断枠組み(弁護士ドットコムニュース編集部作成)
●「責任能力」の判断の具体的な方法とは?
「精神の障害」「事理弁識能力」「行動制御能力」といった責任能力の判断は、あくまでも法的な判断です。
しかし、医学的・心理学的観点を含むため、専門家である医師の判断が必要な部分があります。
そこで、責任能力の有無の判断過程で、「法専門家」と、「医学・心理学の専門家」の役割がどのように分かれていて、どのようなプロセスで検討されていくのか、ということが問題となります。
これに対する一つの案として、「責任能力判断の構造と着眼点−8ステップと7つの着眼点−」という論文(精神神経学雑誌115巻10号(2013年)、岡田幸之)があります。
この論文が絶対的なものというわけではないのですが、責任能力が問題となるケースでは裁判所がこれを前提にすることも多いため、以下簡単にご紹介します。
まず、「8ステップ」は、精神科医と法律家の役割分担に関するものです。
精神障害に関する情報の収集・認定から、最終的な法的結論を導くまでを8つのステップに分けて、刑事事件における責任能力の判断の手順を示したものです。
8ステップ(「責任能力判断の構造と着眼点−8ステップと7つの着眼点−」精神神経学雑誌115巻10号(2013年)、岡田幸之より引用)
次に、「7つの着眼点」は、精神科医が法律家から問われるポイントについて整理したものです。
こちらも詳細は専門的すぎるので割愛しますが、結局のところ、「精神障害が、どの程度犯行に影響したといえるのか」を判断するための目安となっています。
「犯行動機」「犯行の計画性」「行為の意味や違法性の認識」「精神障害によって免責される可能性を認識していたか」「普段の人格と比べて、犯行がどれほど異質か」「犯行の一貫性」「犯行後の行動」といった要素を考慮し、精神障害の影響で犯行がおこなわれたという判断になれば、心神喪失や心神耗弱が認定される方向に傾くでしょう。
なお、この着眼点は、あくまで医師が裁判において法律家から問われるポイントの話であって、責任能力の判断要件そのものではないことには注意が必要です。
これらの事情から、精神の障害により、事理弁識能力を欠いていたり、行動制御能力を欠いていたりしないかを判断する、というわけです。
7つの着眼点(「責任能力判断の構造と着眼点−8ステップと7つの着眼点−」精神神経学雑誌115巻10号(2013年)、岡田幸之より引用)
●「認知症」がどのような影響を及ぼしているか
これまでみてきたように、認知症が問題となるのであれば、まず「精神の障害」の程度の判断のため、病院の診断だったり、脳画像の検査などがおこなわれる可能性があります。
次に、認知症が、事理弁識能力や行動制御能力にどのような影響を及ぼしているのかが、具体的に検討されることになります。
その際には、先に挙げた診断内容のほか、普段どのような生活を送っているのか、なぜ犯行を行ってしまったのかといった具体的経緯や、犯行時の状況、犯行後にどのような行動をとっていたのかなどの捜査がされることになると思われます。
捜査の結果、認知症の影響が大きい犯罪だということになれば、起訴されない可能性もありますし、起訴された場合にも、弁護人が責任能力を争うことが考えられます。