人気漫画家でイラストレーターとしても知られる江口寿史さんの作品をめぐり、いわゆる「トレパク」疑惑が広がっています。
発端は、江口さんが「インスタに流れてきた」という女性の写真をもとに描いたイラストを、自身のXに投稿したことでした。女性への無断使用が判明し、「トレパクではないか」との声がSNS上で相次いでいます。
しかし、他人の写真やイラストを模倣する行為は、創作の自由と権利の線引きが難しい問題でもあります。法的にはどのように整理されるのでしょうか。著作権法にくわしい福井健策弁護士に聞きました。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
●「トレパク」で問題となる2つの権利
個別のケースは、事情を詳しく存じ上げないため、一般的な説明をします。
一般に「トレパク」と言われる行為には「既存の作品をトレースすれば即アウトで、そうでなければセーフ」という論調も時に見られますが、礼儀やモラルの問題は別として、法的なルールはもう少し複雑です。
人物の写真をもとにしたトレースで問題となるのは、主に次の3つです。
(1)写真家の著作権 (2)被写体本人の肖像権 (3)パブリシティ権
通常、(1)と(2)(3)では別の権利者が存在し、侵害の基準もそれぞれ異なります。
●構図や線を写し取ると著作権侵害になる?
まず、(1)の著作権についてです。既存の写真の「創作的な表現」を無断借用すれば、著作権侵害となるのが世界共通のルールです。
逆に、創作的な表現に至らない「ありふれた表現」や、独創的でも「アイデアの模倣」にとどまる場合は侵害になりません。
人は先人の知恵を模倣する生き物であり、文化は先人から良いアイデアや定型的な表現を学ぶことで発展してきた、という理解が前提にあります。
特に写真をトレースしてイラスト化する場合、通常は構図や描線が写し取られますが、陰影や質感などまでは必ずしも再現されません(ケースによります)。
そのため、構図や描線だけで創作的な表現と言えるかが基準になってきます。
また、同じ描線でもモデルの顔の造作など、そもそも被写体に備わっている形状は、写真家が創作したわけではないので、こうした判断からは落として考えます。そのうえで、写真による「特徴的な表現」がイラストで再現されていれば、著作権侵害と認定される可能性が高まります。
もちろん、細部まで完全にトレースしていれば、その再現性は高くなり、侵害の疑いも強まるでしょう。
一方で、著作権法上は「偶然の類似」は許されます。
明らかなトレースであれば、偶然ではないと判断されやすいものの、それだけで侵害になるとは限りません。あくまで「写真の特徴的な表現が再現されているか」が決め手です。
どの程度似ていると「アウト」とみなすかは、いわば文化がどの程度の模倣を許容するかという、その時代ごとの社会的な選択にも関わっています。
●「トレパク」は肖像権侵害になる?
次いで(2)肖像権です。肖像権とは、無断で自分の容貌を撮影されたり、公表されたりしない権利です。明文の法律はありませんが、裁判を通じて認められてきました。
しばしば「たとえわずかでも肖像が写し取られていたらすべて肖像権侵害」という誤解が見られますが、裁判所はそのような判断をしたことはありません。
リーディングケースといえる2005年の最高裁は、いわば「程度問題だ」と言っています。社会生活を営む以上、ある程度は、自分の姿が人目に触れることを我慢すべきだが、一般人基準で我慢できないレベル(受忍限度)というものを超えれば侵害だというわけです。これはイラスト化された場合にもあてはまります。
そして、どの程度でこの我慢の限界を超えるかというと、「6要素の総合考慮」と述べています。「誰が写されたか」「どこで写されたか」「何をしているところか」「どう写されたか」「何のために写されたか」「それは必要だったか」といった要素です。
既存の写真をイラスト化する場合も、基本的には同じように考えるでしょう。
「総合考慮で受忍限度」というと、ちょっと判断に困りそうですが、デジタルアーカイブ学会ではこれをポイント制で整理した肖像権ガイドラインを公表しています。
本来は、写真のアーカイブ利用についてのガイドラインで、イラスト化に直接あてはまるものではありませんが、よろしければ考え方の参考になさってください。
●トレパクがパブリシティ権に抵触するケースは?
最後に(3)パブリシティ権です。これは、いわば芸能人などの名前や肖像の人気・魅力(顧客吸引力といいます)を無断で利用されない権利です。
典型例は、芸能人やスポーツ選手の写真を無断で使って写真集を出したり、商品化したり、広告に使ったりする、といった3類型です。
他人の肖像の持つ「顧客を惹きつける力」を利用することばかりを狙って肖像を無断利用すると、この侵害にあたります。これも、イラスト化でも成立します。
トレパクでも、用途などに照らして、もし被写体としての一般的な受忍のレベルを超えるようなイラスト化をしたり、もっぱら肖像の持つ顧客吸引力だけを狙って利用した場合には、写真の著作権に加えて、肖像権・パブリシティ権の侵害に該当する可能性が高まります。