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今市事件・無期懲役囚の“弟”はなぜ冤罪を訴えるのか? 突然の兄逮捕から11年、紆余曲折の日々を語る
高瀬有史さん(筆者撮影)

今市事件・無期懲役囚の“弟”はなぜ冤罪を訴えるのか? 突然の兄逮捕から11年、紆余曲折の日々を語る

2005年12月に栃木県今市市(現・日光市)で小1の女の子が失踪し、茨城県常陸大宮市の山中で他殺体となって見つかった「今市事件」。2014年6月に逮捕された同県鹿沼市の男性、勝又拓哉受刑者(42)が裁判で冤罪を主張しながら、2020年3月に最高裁で無期懲役判決が確定し、現在は千葉刑務所で服役している。

ただ、この事件については、裁判の結果に疑問を呈する報道も少なくなく、有名無名の様々な人が冤罪の疑いを指摘しており、まだ決着はついていない印象だ。勝又受刑者本人も冤罪の主張を維持しており、弁護団は再審請求を準備中という。

ここで紹介する高瀬有史(ともふみ)さん(34)は、そんな勝又受刑者の異父弟で、兄の雪冤のために名前も顔も公開し、種々の活動を行っている。このほど取材に応じ、兄が逮捕されてから11年にわたる紆余曲折の日々を語ってくれた。(ノンフィクションライター・片岡健)

●台湾出身、日本語があまり話せなかった兄

「兄とは月1回、面会しています。面会室では、以前は事件について私が気になることを色々と兄に質問したりしていましたが、今は事件の話題は出尽くし、普通の雑談をすることが多いです。

最近の話題としては、兄は簿記の勉強しているそうで、日商簿記2級の試験を受けたいと言っていました」

今年1月上旬、喫茶店で向かい合った高瀬さんは勝又受刑者の近況をそう話してくれた。「冤罪を訴えている無期懲役囚の弟」と聞くと、近寄りがたい印象を受ける人もいそうだが、高瀬さんはニコニコして明るく、親しみやすい感じの人だった。

勝又受刑者と高瀬さんは、父親が異なる5人きょうだいの長男と次男だ。

母の勝又イミコさんは、日本に帰化した元台湾人で、母国にいた頃に最初の結婚相手の台湾人男性との間に長女と勝又受刑者をもうけ、来日後に再婚した日本人男性(故人)との間に高瀬さんと次女、三女をもうけた。

高瀬さんの幼少期の記憶では、8歳上の兄だった台湾生まれの勝又受刑者はまだ日本語があまり話せなかったという。

「当時、会話でのコミュニケーションはとりにくかったですが、兄は面倒見がよく、仕事が忙しかった母の代わりにまだ小さかった私や2人の妹に食事を作ってくれていました。私が中学、高校の頃はよく一緒に遊んでおり、兄にドライブに連れて行ってもらったり、一緒に秋葉原にゲームや同人誌を買いに行ったりしていました」

●「殺人」と書かれた捜索差押許可状を見せられ、頭が真っ白に

そんな勝又受刑者と高瀬さんら家族の運命が暗転したのは今から11年前のことだ。

当時、母のイミコさんは骨董商を営んでおり、勝又受刑者はその仕事を手伝っていたのだが、2人は2014年1月29日、偽ブランド品を販売目的で所持したとして商標法違反の容疑で栃木県警に逮捕された。

栃木県警の刑事が高瀬さんに電話してきたのは、それからしばらく経ってからのことだ。

「私は当時、留学していた台湾から帰国し、東京で就職活動中でした。警察には電話で『鹿沼市の実家まで来て欲しい』と言われましたが、用件は教えてもらえませんでした。そして実家に着くと、家の前に警察の人が大勢いて、捜索差押許可状を見せられたのですが、それには(被疑事件名として)『殺人』と書いてあり、頭が真っ白になりました」

商標法違反の容疑で栃木県警に逮捕された勝又受刑者は、起訴後も勾留され続け、検事の取調べで今市事件の容疑を追及されて自白に追い込まれていた。栃木県警はこれをうけ、勝又受刑者が暮らしていた鹿沼市の家を家宅捜索し、高瀬さんに立ち会いをさせたのだ。

同6月、勝又受刑者は今市事件の殺人容疑で再逮捕された。

●当初は兄の無実を信じることができなかったが…

兄が突然、今市事件の容疑者になってから11年。現在は兄のことを冤罪だと確信している高瀬さんは、名前も顔も公開したうえ、自ら開設した『えん罪今市事件』というホームページや、XなどのSNSで事件に関する情報を発信したり、メディアの取材を受けたりして兄の無実を訴えている。現地調査に行ったりするなど、再審請求の準備にも関わっているという。

だが、当初は兄の無実を信じることができなかったそうだ。

「刑事から兄について色々聞かれた中、刑事は兄が今市事件の犯人だという前提で話をするので、私も兄はクロなのだと思ってしまいました。当時の私は警察や検察を疑っていなかったからです。

今振り返ると、2006年(事件の翌年)に話した際に兄は『今日、警察が来て、今市事件のことを聞かれたよ』とニコニコしながら言っていて、本当に犯人ならあんな感じにならないと思います。当時はそのように思い至る余裕がありませんでした」

一方、母のイミコさんは当初から勝又受刑者の無実を信じ、人権団体の人たちや有名冤罪被害者たちと交流したりして、息子の無実を訴えてきた。高瀬さんはそんな母の活動に関わることもなかったという。

●無期懲役判決が確定後、「あれ、おかしいぞ」

勝又受刑者が2016年4月に一審・宇都宮地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けてしばらくした頃、当時勾留されていた宇都宮拘置支所で一度面会したが、その時も兄はシロだという心証は持てなかったそうだ。

「兄は当時、睡眠薬を飲んでいて、メンタルもやられていて、面会中はずっと暗い感じでした。面会時間も15分くらいしかなく、深い話はできなかったのです」

兄に対する高瀬さんの見方が変わったのは、2020年に裁判で無期懲役判決が確定してからしばらく経った頃という。

「どこかの大学の先生が取調べの可視化について書いた論文を母に見せられたのがきっかけです。その論文で兄のことを書いてあるのを読み、『あれ、おかしいぞ』と思うようになったんです」

勝又受刑者は、取調べの録音録画映像で検事に自白している様子が一審・宇都宮地裁の裁判員裁判で有罪の根拠にされた。だが、その自白をする前に別の検事から自白を強要されるような取調べを受けるなどしていたため、自白の任意性に疑問が投げかけられていた。

さらに高瀬さんが自分でも事件のことを調べてみると、被害者の女の子がナイフで身体を多数回刺されているのに、遺体遺棄現場で血がほとんど見当たらないなど、自白内容にも色々と疑問があることもわかった。

被害者の女の子の遺体から勝又受刑者のDNA型が一切検出されていないのに、身元不明の第三者のDNA型が検出されていることを知り、不可解に感じたりもしたという。

高瀬さんはそうこうするうち、兄は冤罪なのだと思うように。そしてホームページやSNSで情報発信するようになったという。

●実名、顔を出して兄の冤罪を訴える理由

ただ、高瀬さんはそのような活動を始めた当初、名前も顔も公開していなかった。

名前や顔を公開したきっかけは、有名無名の様々な人にインタビューしているYouTubeの有名チャンネル『街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜』に母のイミコさんを出演させようと応募したことだったという。

「応募後、監督の三谷三四郎さんとビデオ通話で話したところ、日本語で話すのはあまり得意ではない母ではなく、私が出演することになったんです」

こうして高瀬さんが同チャンネルに顔も名前も公開する形で出演し、兄である勝又受刑者の素顔や事件に関することなどを色々と話したところ、2022年9月に配信された約1時間の動画は100万回を超す再生があるなど好評を博したという。

「それからは、SNSのアカウントによくメッセージが届くようになり、応援してくれる人たちとはLINEのグループチャットで交流するようになりました」

●「再審で無罪になるまで冤罪だと言い続けたい」

明るく話す高瀬さんの様子からは、勝又受刑者を取り巻く状況が好転していることが窺える。ただ、高瀬さん自身は現在のような活動をしていて、家族との生活や仕事に支障はないのだろうか。

「私と妻には子供がいないので、こういう活動ができているところもあります。ただ、地元の顔役みたいな人が『あの事件は冤罪だから』とみんなに言ってくれているので、肩身の狭い思いをせずに済んでいます。

仕事は個人でプログラマーをしていますが、仕事関係の人から兄のことで悪く言われることもありません。プログラマーとは別にアルバイトで働いている職場では、兄のことを隠しているので、バレたらどうなるか少し気にはなりますが」

複数ある支援団体も現地調査や学習会を行ったり、街頭で勝又受刑者の無実を訴えるビラ配りをしてくれたりと精力的にサポートしてくれているという。

「裁判中は暗かった兄も服役生活の中で本来の自分を取り戻し、今は明るい感じになっています。まだ公表できませんが、弁護団では再審請求の方針も固まってきています。

私自身、兄が有罪にされたプロセスに納得できないので、再審で無罪になるまで冤罪だと言い続けたいと思っています」

高瀬さんの話を聞いていると、再審請求が行われたら、また注目を集めそうな事件だと思えた。

この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいています。

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