2012年7月、岡山県の名門進学高校に通っていた男子生徒(当時16歳・高2)が自殺した。マネージャーとして所属する野球部監督で同校の教諭から、厳しく叱責されたあとのことだった。
この問題をめぐって、独立行政法人・日本スポーツ振興センター(JSC)は、遺族に対する死亡見舞金を支給しないと判断していたが、このほど一転して、全額支給決定の通知を出した。
JSCの災害共済給付制度は、学校管理下の事件や事故で、病気やケガ、後遺障害、死亡に至った場合、医療費や見舞金が支給される仕組み。2023年度、自殺を理由に死亡見舞金が支給されたのは、計13件だった(小学校1件、中学校10件、高校2件)。
もともと高校生の自殺は「故意の死亡」として支給対象外だったが、2016年9月にJSC法施行令が改正されて、いじめや体罰、不適切な指導でその結果が生じた場合は支給対象となった。
しかし、2016年4月以前の自殺については、新規定が適用されず、支給されるケースは極めて少なくて、「超難関」といえる状況だった。(ライター・渋井哲也)
●自殺から6年後に調査委員会が立ち上がった
男子生徒は2011年4月、県立岡山操山高校に入学。野球部に所属して、選手として白球を追っていたが、翌年マネージャーに転身した。2012年7月26日、警察が亡くなっている男子生徒を発見。遺族によると、すぐには自殺原因が明確にわからなかったという。
「生前、息子からは『しつこいんじゃ、嫌なんじゃ』と野球部監督の言動を嫌がる話を聞いていましたが、それ以外は思い当たることがなかったため、お盆が明けてから、学校に連絡して『息子の学校での様子を教えてください』と伝えました。学校は『調査はしていません。調査してほしいということですよね?』と言いました。何かおかしいと思いました」(父親)
遺族はその後、何度も第三者による調査を要請した。県教委は第三者でない教職員による部員に聞き取りをしたあとで、同年11月に「行き過ぎと思われても仕方のない指導や発言があり、自殺に影響がなかったとは言い切れない」と回答した。
その後も遺族と県、県教委が協議するなどして、第三者による調査委が設置されたのは、男子生徒が亡くなって6年後の2018年8月。調査報告書は、さらにあとの2021年3月に完成した。
岡山操山高校(Googleストリートビューより)
●「もう耐えられない。もう嫌じゃ」と退部した
報告書などによると、野球部の監督は、部員に「ペナルティ」としてランニングやベースランニングをさせていた。
たとえば練習試合でコールド負けした場合、外野のフェアゾーン間を得点差の分、往復で走らせた。野球道具の片付けができていないときも罰として走らせた。
男子生徒に対しても叱責が続いて、体調不良による早退もあった。2012年5月の鳥取県での練習試合前、ノックに参加したときに外野からの返球が監督に当たった。監督が連続して捕球しにくい打球を打つ、恒例の「エンジョイタイム」が始まった。
サードの守備位置にいた男子生徒は、その対象になった。ノックが過酷だったため、バテて声が出なくなると、監督は「声を出せ」「気合いがないのなら帰れ」「いらんわ、おまえなんか制服に着替えて帰れ」などと怒鳴られ、男子生徒は県外から帰ることもできず、ベンチの外で一日を過ごすしかなかった。この日以外にも、プレイでミスをした結果だけで責められた。
同年6月、男子生徒は帰宅後、母親に「もう耐えられない。もう嫌じゃ。もう辞める」と一度退部する。7月になって、3年生が引退すると、不在となるマネージャーとして復帰することを考えた。同学年の部員全員にメールをしたところ、歓迎するような返信内容だったという。
●自殺3日前に「マネージャー」として野球部に戻った
亡くなった生徒が使っていた野球バッグ。今でも家の玄関に置かれている(提供)
自殺の3日前にあたる7月23日、男子生徒は野球部の朝練に顔を出した。監督は当初、マネージャーとして戻る話に取り合わなかったが、もう一度、男子生徒が懇願すると「もうやめられんぞ」と復帰を認めた。
しかし、この日の練習後のミーティングで、何も発言せず座っていた男子生徒に対して、監督は「マネージャーなら自分から気づいて板書くらいしろ。それぐらい気遣いができんとマネージャーじゃねえで」と強い口調で叱った。監督から男子マネージャーの役割についての説明は一切なかった。
7月24日、男子生徒は炎天下の練習に参加。最高気温は33.2℃、午後8時まで30℃を超えるような日で、熱中症の症状となった部員もいた。男子生徒は、その部員を保健室まで連れて行くが、監督は無断で連れて行ったと激怒した。
7月25日も猛暑で、監督によるノックが午後1時30分から3時間続いた。監督は男子生徒に対して、ほかの部員が聞いている中で「男子だし、マネージャーだったら声を出せ。声を出さなかったらマネージャーの存在価値はねーんじゃ」と叱責した。
●「もう俺はマネージャーじゃない。存在してるだけ」
練習後のミーティングが終わると、男子生徒は1人だけホームベース付近に残された。監督から「マネージャーなんだからマネージャーの仕事をしろ」と叱責された。
帰宅途中、ほかの部員との話の中で、男子生徒は「俺はもうマネージャーじゃない。存在するだけだ」と述べ、立ち去った。
午後6時30分ごろ帰宅するが、家族と会うことなく、自転車で自宅を出た。その後、自殺したと思われる。死亡推定時刻は午後8時ごろとされている。
「最後の息子の言葉は存在価値を否定されたのが原因だと思います。監督の悪い行いの調査報告書への反映率は60%くらいでしょうか。
調査委員会の設置が事件発生後6年以上も経過しているため、生徒のみなさんの記憶が薄れたり、息子の死後、同年10月までの態度をやや改めた監督の記憶に置き換わっていたりしているようです。
事件発生直後に私たちが生徒から直接聴き取った情報がすべては事実認定されず、残念でなりません。また、新たな情報はほぼありませんでした」(父親)
●支給決定までの労力は「半端なかった」
報告書が完成した約1年後の2022年2月、JSCに災害共済給付が初回申請された。
「納得できる書類を整えるのに時間がかかりました。JSCへの申請は遺族からではなく、県教委からを選択したためです。学校・県教委とやりとりを繰り返しましたが、なかなか思うような書類を作ってくれません。提出書類をJSCに提出前に何度も確認・修正依頼をしました。
調査報告書にある言葉を使ってはいるのですが、事件加害者としての責任をあくまで認めようとしない姿勢を崩さない状態が半年以上は続きました。そのやりとりを経てようやく申請書を出しました」(父親)
2023年7月、JSCに生前の受診歴がなく、「故意の死亡」とされ、不支給の決定を下されたため、10月に調査委員会の委員である精神科医の意見書を添えた不服審査請求を出した。
その後、JSCへの問合せや開示請求の結果を踏まえ、2024年7月、審査における問題点や新たな精神科医の意見書を添えた遺族意見書を提出した。その結果、同年9月、逆転で全額支給が決まった。
男子生徒が亡くなって12年以上、最初にJSCに申請をしてから2年7カ月が経っていた。
「県教委以外の公的機関が、息子の自死と野球部監督の指導との直接因果関係を認めたことは大変重く、意義深いです。息子と同様の自死事件で、死亡見舞金不支給決定に対する全国のご遺族たちが、長きにわたって苦難の活動を積み重ねたからこそ、逆転決定につながったのだろうと考えています。
しかし、遺族がここまで努力をしないといけないのは大変な苦痛です。労力も半端ありません。時間的にも精神的に徒労に終わることもありました。死亡見舞金の支給を受けるには、苦労がかなりいるだろうと想定していたので、できれば避けたかったのですが、あとに続く遺族の力にもなるという気持ちが大きな後押しになり、最後までやり続けました」(父親)
●遺族の戦いはまだ終わらない
そもそも不適切指導が背景にある生徒の自殺で、調査委員会が設置されるのは難しい。JSCの災害共済給付の支給申請も同様だ。というのも学校側に「加害者的な側面」が出てくるためだ。
遺族側は、県知事に対して、第三者による調査委員会の設置を要望するなど、交渉を重ねてきた。その結果、遺族側が「なんとか我慢できる」という調査委員会の設置が決まった経緯がある。
「JSCの申請も、調査委員会の設置もうまくいっているように見えるかもしれませんが、すんなりできてきたわけではありません。県教委はトータルとしては保身的かつ消極的で、論点ずらしばかりでした。
それと比べると、学校はJSCの支給申請には協力的でした。一方で、学校側が作成する書類を提出前と後にすべて確認していました。とても我慢のいる面倒な作業の繰り返しでした」(父親)
2024年10月、再発防止策の一環として、「教職員による体罰・不適切な指導・ハラスメント防止に係る教育動画」を作成することが県議会で決まり、予算もついた。
男子生徒の母親は12年前から悲願としていたが、ガンを患い、完成前に亡くなってしまった。現在も、県教委の再発防止策案に対して協議中だ。遺族の戦いはまだ終わらない。