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「紛争がどこかで沈んでいる」民事訴訟減少の背後にあるものは?(司法シンポ報告1)
民事司法の現状と課題を考えるシンポジウムで話す一橋大学大学院の山本和彦教授

「紛争がどこかで沈んでいる」民事訴訟減少の背後にあるものは?(司法シンポ報告1)

いま司法は国民の期待にこたえているか――。そんな問いかけのもと、日本の「民事司法」の現状と課題について考えるシンポジウムが6月20日、東京都内で開かれた。

主催したのは、日本弁護士連合会と東京の3つの弁護士会。弁護士の数が増えているのに民事訴訟の件数が減少している現状に危機感をもつ弁護士たちが、各界の論客を招いて、民事司法がかかえる課題について議論した。

パネルディスカッションで、民事司法を取り巻く社会の実情を語ったのは、一橋大学大学院の山本和彦教授だ。山本教授は「いまの日本の社会では、紛争がどこかで沈んでいて、司法の場に十分に表れてきていない」と指摘しながら、「司法が、現実の社会の中で十分に機能していない可能性がある」と述べた。

●山本教授「司法は目に見えないが、社会を支えている」

今日は、「いま司法は国民の期待にこたえているか」というテーマでのシンポジウムですが、そもそも、国民は司法に何かを期待をしているのでしょうか。みなさんの多くは、司法というのは非常に遠いもの、自分には関係のないものだという印象を持っているのではないでしょうか。

しかし、司法というものは、目にハッキリと見えないけれども、この社会を背後からしっかり支えています。

たとえば、空いている建物を誰か貸そうという場面を考えてみましょう。それを誰に貸すのかということは重要で、貸す相手がどのような人かということを調べるでしょう。ただ、最初はいい人に見えたけれども途中で人が変わってしまう、あるいはお金がなくて途中で家賃を払ってくれなくなる事態は当然起こります。

そのような場合に、仮に司法というものがうまく働かず、家賃を払わない人を追い出すことができなかったり、時間や費用がものすごくかかったり、ということになると、どうなるでしょうか。おそらく、建物を貸そうと思う人は少なくなってしまうでしょうし、貸すとしても家賃がすごく高くなってしまうでしょう。

つまり、司法がうまく働くか働かないかによって、社会全体のありかたが大きく変わってしまう。それは、お金を貸す場合や物を売る場合などほかの場面でも、さまざまな形で問題になります。

少し難しく言い換えると、司法は社会における「法の支配」を支えている、ということができます。

つまり、社会における人や企業の行動が「法の定めるルール」に従って行われていて、もしそれに違反する行為があれば、法にもとづいて是正される状態が保たれていることを意味します。

このような意味での「法の支配」は、社会生活・経済生活における不可欠のインフラストラクチャーと言ってよい。法の支配が成り立っていない社会では、人々は安心してモノを買ったり、お金を貸したりすることができませんし、結婚したり、子供を産んだりすることも、不安でできないということになりかねません。

司法はまさに、その「法の支配」の支えです。日ごろ普通に生活している分にはその重要性に気が付かないかもしれませんが、それなしでは生きられない空気のようなものです。目に見える形で法の支配を支えているものとして、警察などがありますが、司法は透明人間のような形で背後から支えている。

司法がうまく働かない社会を想像してみると、その重要性がよく理解できると思います。

●「訴訟利用者の半数が、訴訟の開始を躊躇していた」

では、いまの日本はどうでしょうか。もちろん、法の支配は行われているとされています。しかし、それは本当なのか。問い直してみる余地があるように思います。

たとえば、最近の現象として、民事訴訟の事件数が減少しているという事態が生じています。地方裁判所の民事訴訟事件は一時、年間23万件を超えていましたが、昨年は15万件を割り込んでいて、ほぼ10年前の水準に戻っています。

社会の中で起こる紛争が減れば、それに応じて訴訟が減るのは当然です。しかし、社会の中の紛争は本当に減っているのでしょうか。消費者問題や高齢化に伴うさまざまな紛争を見ると、むしろ紛争自体は増加し、複雑化しているのではないかという疑問を抱きます。たとえば、消費者相談は年間100万件近くあり、その背後にはその10倍の案件があるとも言われている。

そうだとすれば、社会で起こっている紛争が、司法の場に表れてきていないのではないか。はたして、司法は十分に「法の支配」の支えとして機能しているのだろうか、という深刻な疑問が起きてきます。

私はかつて、鹿児島の種子島で、市役所や裁判所の調停委員に話をうかがったことがあります。それによると、けっして種子島に紛争がないわけではない。市役所の法律相談には、多数の市民が訪れるということでした。しかしそれが、裁判所における調停や訴訟といった「司法の場」には表れてこないという実態がありました。

そこでは、「紛争がどこかで沈んでいる」あるいは「蒸発している」といった表現が使われていました。

司法の統計を見ると、日本全国のかなりの場所で、このような事態が生じている可能性があります。2011年に我々が実施した、民事訴訟を利用した方々に対する調査においても、注目すべき数字が出ています。

それは、訴訟を利用した人の約半数が、訴訟の開始にあたって躊躇を覚えている。その理由として、訴訟にかかる時間や費用をあげている人が多い、ということです。このように躊躇したけれども最終的に訴訟に踏み切った人々の背後には、何らかの理由で訴訟の利用を断念した人が、おそらくその何倍もいる。そのことを推測させるデータといえます。

言い換えれば、いまの司法の利用者は、多くの高いハードルを越えて、ようやく裁判所にたどり着いた人たちです。そのようなハードルを越えることができずに司法の場に表れてこない人たち、泣き寝入りしてあきらめている人たちをどうするのか。

それは、「法の支配」を現実の社会で貫徹させ、公正な社会を実現していくために、解決しなければならない課題と考えています。

(弁護士ドットコムニュース)

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