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虐待・マルチ・陰謀論、ぜんぶ親のせいで「終わらせてはいけない」 菊池真理子さんが描いた「生きづらい家族」の物語
菊池真理子さん(本人提供)

虐待・マルチ・陰謀論、ぜんぶ親のせいで「終わらせてはいけない」 菊池真理子さんが描いた「生きづらい家族」の物語

漫画家・菊池真理子さんはこのほど、児童虐待やマルチ商法、陰謀論などで家族崩壊の危機に直面した10人・9エピソードを描いた『うちは「問題」のある家族でした』(KADOKAWA)を上梓した。「親が悪いせいで終わらせてはいけない」。自身も宗教2世である菊池さんは、生きづらさを抱える人たちを取材してそんな感想を持ったという。菊池さんに聞いた。(成宮アイコ)

●「親が変だった」では済まされない

画像タイトル 『うちは「問題」のある家族でした』より

──取材とエピソードを選んでいく作業はとても大変だったと想像しますが、描き上げてみての率直な感想を教えてください。

児童虐待、きょうだい児、ギャンブル依存症、貧困、DV、ヤングケアラーは難しい問題ですが、制度や専門外来など、いろいろな形で社会的にできることがあると知ったので、自分自身の中では、より問題意識が強まりました。

逆に難しいと思ったのは、陰謀論や反医療、マルチ2世の問題です。まだ専門家がおらず、考えれば考えるほど、どうしたらいいんだろうという気持ちも強くなったのが正直な気持ちです。

──問題のある家族がもつ「問題」は、当事者だけのものではなく、家族の外側にある社会に原因があるのではないかと考えるようになったのはいつからでしたか。

親子問題を取材した『毒親サバイバル』を描いてから、家族の問題は、ただ単に「親が変だった」では済まされないと思うようになりました。

その後、『「神様」のいる家で育ちました〜宗教2世な私たち〜』を描き、家族の問題をただのトラブルで片付けるのではなくて、家族の後ろで進行している問題を解決するにはどうしたらいいのかという目線で考えてなくてはいけないと思いました。「宗教にハマった個人が悪い」で終わってしまっては、社会や他人が関わることができないんです。

自分一人だけで考えていたら、「自分が悪いせいだ」、あるいは「親が悪いせいだ」と思うだけで終わっていたかもしれません。自分と似て非なる人たちの話を聞いて、自分自身を振り返り、気付きが深まりました。

──自分にとっては当たり前に過ごしている環境が、実は社会から見たらおかしな状況にあることはなかなか気づきにくいと思います。各エピソードにはそれぞれの「問題」に気づいたきっかけが描かれているので、読んだ人がこれは自分も同じかもしれないと驚くはず。その意味でこの本は、砂糖玉や祈りのステッカーと違い、具体的な救いになると感じます。

実際に漫画を描いているときは、いま苦しんでいる人に気づいてほしいというよりも、この問題に自分は関わりがないと思っている人に読んでほしい気持ちが強かった気がします。

関心を持って一緒に考えてほしい。今回は9パターンを並べているので、特定の問題を抱えている人は手にとりにくい本かもしれないですが、結果的に、いまその状況にある人の気づきにもなることができたらうれしいです。

画像タイトル 『うちは「問題」のある家族でした』より

●加害者を「悪」と呼んで終わりにしないためには

──「問題」を抱える当事者/加害者側は決して幸せそうではなく、それぞれに悩み苦しんでいるように見えます。そういった加害者側の表情や葛藤も丁寧に描かれていますね。

加害者を「悪」と呼んで終わりにしたくない気持ちが強くありました。

以前、アルコール依存症の取材をしていたときに、(アルコール依存症の家庭で育った)自分と同じようなアダルトチルドレン側だけではなくて、依存症者、親側の人とも話をしたのですが、心の中にある不安や生きづらさが自分と似ていると知った経験があります。その人たちを単にダメな家族として描きたくなかったですし、その人たちが抱えている苦しさにも差し伸べられることがあるのだと描きたかったんです。

もちろん家族の立場として憎しみには共感します。そんな親を許そうとはまったく考えていないけれど、加害者となった人から見れば、また別の生きづらい物語がそこには存在しているのだよなとは思っています。

──人間の心は白と黒だけではないですし、親子もパートナーも人の関係性はグラデーションだと実感しました。そういった意味でも被害者と加害者の2人の心の動きを追ったDV問題を取り扱う回はとても印象的でした。

加害者の自助グループ「GADHA」を主催している中川瑛さんに取材をお願いしたところ、2人のことを紹介してくださいました。DV問題で被害者と加害者の2人に話を聞ける機会はなかなかないことでした。

取材はZoomでおこなったのですが、そこで驚くことが起こりました。自分と編集さんとそれぞれ2人の4画面が出てくると思ったら、立ち上がったのは3画面でした。2人は一緒の画面の中に並んでいたんです。いまはまた一緒に住んでいるそうです。

DV被害者は、理不尽に被害を受けた側であるのに、現実的にはそこから逃げる一択になると思いますし、加害者の考え方は変わらないという前提で、被害者がどうやって生きていけばいいのかと考えがちです。

今回のように加害者側が自分の暴力性に気がつき、勉強をして、変わることができるのは本当に驚きでした。2人以外には見たことがないので、相当なレアケースかもしれませんが、ご本人が「誰にでも変わる可能性はあると思います」とおっしゃっていたので、その姿を描く意味があると思いました。

●社会が変わるとはまだ思えないけれど、描き続ける

──菊池さんは、これまでにもさまざまな生きづらさについて取材をされてきていますが、今回の本で描くことが難しかったテーマはありますか。

きょうだい児ですかね。当事者でない自分が取材して、この問題を描いてもいいのか悩みました。

個人的には、きょうだい児の友人がいたので、もともと関心のあるテーマだったのですが、あらためて自分がその子に対してちゃんと考えてあげられていなかったと気づきました。たとえば恋愛や結婚の面でも、自分のきょうだいを気にかけてくれる相手かどうかを考えなくてはいけない。わたしは身近にいたのに理解しきれていませんでした。

──10人の話を聞いて、これまで気づかなかったことや考えさせられたことはありましたか。

何に関しても、自分の知識が足りていなかったなと気づきました。たとえば、アルコール依存症については実体験があり、知識としては知っていたのですが、ギャンブル依存症との違いに関しては今回初めて触れました。

ギャンブル依存という呼び方と事象は多くの人が知っていても、意思が弱いからやめられないのだと思われがちです。ですが、それは意思の問題ではなくて、ギャンブル依存症という病気なのだという認知は足りておらず、社会からは99パーセント誤解されていると感じました。

──実体験を含めて、社会に存在するたくさんの問題を漫画として発信し続けることで、ご自身の変化はありましたか。

自分自身にだけに関して言うと、人の話を聞けば聞くほど気持ちが楽になりました。

話を聞かせてくれる相手に対して、この問題は家族や社会が起こしたのであって、この人のせいではないよなと思って聞いていると、同じような体験をしている自分だって自分のせいではないのだなと感じられました。

ただ、そう考えられるようになっても、またすぐに自責の念や罪悪感が出てきてしまいます。それでもまた取材をして人に会って話を聞くと、苦しみ自体はゼロにはならなくてもリセットをしてもらえる機会が増えました。

──ご自身の変化を感じる反面で、社会が変わったと思うことはありますか。

模範回答ではないのですが、社会が変わったとは思えていないです。それでも漫画を描いているのは、希望を持っている人や頑張っている人を知ると、どうせ社会は変わらないと思っているのが申し訳ないし、まだやりようがあるのでは…と思えるからかもしれません。

病院でアルコール依存症に関わる方々にお会いすると、スタッフのみなさんは患者さんの心に本気で寄り添って働いていらっしゃいます。退院後にスリップ(再飲酒)をして何度も病院に戻ってきてしまう。それでも人間同士として会話をして人間関係を作っている。

わたし自身は希望を持てる要素がまだ見つけられないながらも、こんなに頑張っている人たちがいる限りはもうやめたと言わずに描き続けていく気がします。

●自分の身の安全を第一に、言える時に言える場所で話してほしい

──問題を抱えていそうな人が身近にいた場合、家族の問題だからと放っておくのではなく、どのように関わっていけば良いでしょうか。

まずは話を聞けばいいと思っています。専門家じゃないとわからないこともありますし、話を聞いて専門家につなげるのが理想的ですが、声をかけて気にかけていることを伝えることが大切だと思います。

相手が子どもの場合、本人が言えないことを大人が代わりに言ってあげられるかもしれないし、必要なケアにつなげてあげられるかもしれない。できるだけアンテナを張って子どもたちを見ていてほしいです。

──「問題」のある家族に悩んでいる読者にメッセージをお願いします。

声をあげるときは、どうか安全な場所で話してほしいです。匿名でなんでも書いてしまうこともできますが、SNSは本当に安全な場所ではないかもしれません。そして、自分は声をあげられていない…とコンプレックスに感じている人もいるかもしれませんが、決して言った人が偉いわけではないので、自分の身の安全を第一にしてください。言える時に言える場所で言えばいいと思います。

画像タイトル 『うちは「問題」のある家族でした』(KADOKAWA)

この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいています。

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