北神 英典 弁護士 インタビュー
弁護士を目指したきっかけ
私は大学を卒業し、共同通信社で22年間働きました。法律を勉強するきっかけは、東京の司法クラブにいた30代の頃、法律というもの、制度というものが現実社会に存在するさまざまな利益を考慮して作られていることや、現実に応じて法律の解釈や裁判の在り方も移り変わっていく、そのダイナミックな点に強い関心を持ったからです。
私は法学部出身ではなく、それまで、まともに法律を勉強した経験はありませんでした。法律に対しては「融通が利かない」「堅い」というネガティブな印象を持っていましたが、最高裁や東京地裁、東京地検の事件捜査などの取材を通じて印象が変わりました。勉強する以上は“形”を残したいと思い、仕事をしながら司法試験に挑戦し、4回目、44歳の時に合格することができました。
仕事と法律の勉強の両立
外勤記者として最後の仕事は皇室担当でした。皇太子ご夫妻に長女が誕生した後、受験勉強に集中するために内勤記者に配置転換してもらいました。残業はせず、お酒の誘いも一切断り、取材先との交流も絶ち、仕事と受験勉強だけという毎日を5年近く送りました。
転職することに迷いはあったか
記者の仕事や共同通信社が大好きだったので正直とても悩みました。司法制度改革に基づき、国策として法曹人口を増やしていく過程にあったので、法曹資格を持った取材記者がいてもいいのではないかとも考えていました。
しかし会社で面倒を見てくれるのは、せいぜい60歳か65歳までです。それ以降、弁護士に転じるよりは、今スタートを切った方がいい仕事ができるし、後悔しない人生を送ることができるのではないかと考え、思い切って会社を辞めることにしました。
修習期の思い出
司法修習はとても楽しかったです。それまでは、記者として外側から司法を見てきましたが、内側から見るという体験ができました。特に印象に残ったのは少年事件です。少年事件は家庭裁判所で扱われます。成人の刑事裁判は公開法廷でやり取りが行われますが、非行に走った少年を健全に更生させることを目的とした少年事件は非公開です。記者の時にはもちろん、審理を直接見ることも記録を読むこともできませんでした。
少年審判では、家庭裁判所の調査官らが少年の生い立ちや家族関係を調査してまとめた社会記録という記録を作ります。そこには、少年が今までどんな人生を歩んできたかが書かれています。修習生として初めて社会記録を見たとき、世の中で不良とひとくくりにされている子供たちも、本質的には、自分と何も変わりがないということをあらためて感じました。
親にほめられれば素直に喜び、虐待されれば反抗し、友達の前ではつい虚勢を張ってしまう-ふとしたきっかけで道をそれてしまった子供も、自分と何も変わりません。私自身、少年時代を振り返って、何かちょっとしたアクシデントがあれば、自分も犯罪に走っていたかもしれないと思います。事件を起こした少年を非難することは簡単です。しかしその子の生い立ちや家庭の境遇を知れば、決してその子を非難して済むという問題ではないことを多くの人が理解してくれると思いました。
メディアの世界を去った私がいうのもおこがましいですが、メディアには、このような日の当たりにくい真実を伝える地道な報道をしてもらいたいと思います。
裁判員制度についての考え
裁判員制度の成果の一つは、職業裁判官だけの裁判がいかに刑事裁判の原則を踏み外してきたかという問題を浮き彫りにした点です。今、違法薬物の密輸事件の裁判員裁判で無罪判決が相次いでいます。
従来の職業裁判官の裁判では、例えば知り合いから荷物を預かり、その中から違法薬物が見つかった場合、どんなに弁解をしても有罪になるという傾向が顕著でした。しかし刑事裁判の原則では、違法薬物と知らなかった人は、犯罪の故意がなく無罪にならなければなりません。
一般人が裁判に加わったことによって「疑わしきは罰せず」という刑事裁判の大原則に忠実な裁判が実現するようになったと言えるでしょう。
関心のある分野
刑事事件や労働事件を多く手がけています。どちらも依頼者の人生がかかっている点で共通します。刑事事件では、初めて逮捕された方は、いつ家に帰ることができるのか分からず、ずっと自分の味方だと思っていた警察から「お前がやったんだろ!」と執ような追及を受け続けます。頭が真っ白になるのは無理からぬことです。
私は基本的に、まず真実が何かを聞き、真実にしたがって対応するようアドバイスします。えん罪であれば、その主張を貫いた時の利害得失を伝え、被疑者によく考えてもらいます。逮捕されたのがサラリーマンであれば会社をクビになるかもしれません。中途半端な対応は絶対にできません。
労働事件は解雇の事件が多いです。仕事は、その人にとって単に収入を得る手段にすぎないものではありません。「職業が人を作る」という言葉があります。仕事を通じてする社会参加は、働く人の生きがいであり、人生そのものとも言えます。その意味で、解雇は、人間の尊厳、人生の破壊を意味します。そのような人と、一緒に悩みながら、裁判や労働審判を戦っていきます。
記者と弁護士の共通点
ともに言葉を大切にする仕事であるということです。記者は、取材して伝えたいと考えることを記事にまとめ、多数の読者の心を動かそうと考えます。一方弁護士が書く書面の読者は、裁判官と相手方に限られていますが、やはり裁判官の心を動かすことができるかを常に考えています。
何よりも事実が大切であるということも、共通点の1つです。記者は、事実を報道するべきですし、弁護士もまた、事実を大切にするべきだと考えています。私は、事実を真実と認めてもらうため「証拠」の重要性を常に意識しています。
依頼者の中には、自分で証拠を集めることができない人もいます。他人に頭を下げることができない人もいます。真実を立証する証拠を集めるため、そういう人の代わりに私が目撃者を捜し、あるいは、証人候補に電話や手紙でアプローチして説得を試みることもあります。
記者の経験があったので、自分が証拠収集に乗り出すということに特に抵抗はありませんでした。常に、敷居が低く、フットワークの軽い弁護士でありたいと思います。