コロナ禍が落ち着いて、人が外を出歩くようになったにもかかわらず、従業員の人手不足を理由に、小売店や飲食店が営業時間を短縮し、休業日を増やすケースが目立つ。一方で、失った売り上げを取り戻そうと、営業時間を延ばして、ニーズに対応しようとする店舗もある。
歴史的にみると、近年になるまで、小売店の営業時間は延びていく一方だった。スーパーやコンビニといった新業態の飛躍的発展や、経済成長の実現など、様々な背景があるが、一つには、「お客様第一主義」、「お客様は神様」(※言い出した三波春夫の真意とは異なって広まった言葉、詳しくはこちらの記事)の考え方がある。
利便性を求める消費者のニーズと、売り上げを増やしたい企業の思惑が一致し、労働者にとっては、長時間労働を強いられる形となった。
特に、戦後急成長してきた小売のチェーンストアでは、賃金が上がることと引き換えに、長時間労働から抜け出すことを諦めてきた歴史があるという。消費者と経営者、労働者の関係性はどうなっているのか。チェーンストアの労使問題に詳しい、武庫川女子大学の本田一成教授に聞きながら考えた。(編集部:新志有裕)
●「消費者」「労働者」「使用者」の三角関係で考える
本田氏によると、「お客様第一主義」を考えるうえで、消費者・労働者・使用者の「消・労・使」の三角関係で考える事が重要だという。
「例えば、チェーンストアが広がった『流通革命』は、使用者と消費者がつながって起きたもので、その象徴的な言葉が消費者に奉仕する『お客様第一主義』と言ってもいいでしょう。正直とか忠実とかを店名に入れることがありました」
一方で、近年問題視されるようになった、カスタマーハラスメントのような問題では、逆の構造がある。
「消費者の対応が酷いということで、労働者と使用者がいつの間にか仲良くなって、ハラスメントを撲滅しようとしています。ここでは消費者は悪者扱いされています」
また、労働者と消費者がつながるケースもある。
「例えば、教育産業などにありがちな話ですが、学校や保育園の運営が酷いという話ですね。こういう場合、保護者と労働者が連携して、使用者である学校や保育園を追い込むような構造があります」
●「消費者」と「使用者」がつながって、長時間労働が発生する
「お客様第一主義」が強くなるのは、消費者と使用者がつながる場合で、そこで起きる営業時間の延長や休業日の削減に伴って、人員補充が追いつかなければ、労働者の長時間労働が起きる。
本田氏の著書「メンバーシップ型雇用とは何かー日本的雇用社会の真実」によると、例えば、イトーヨーカドー労働組合の第2回定期大会(1971年9月)では、「お客様の優先度を上げるあまり社員の方は大切にされていないのではないか、お客様優先の美名のもとに社員が忘れられていないか」といった声があがり、営業時間と就業時間への不満が噴出した。
年間最高の売り上げがある年末年始をめぐり、高額な手当を獲得することと引き換えに、令和の今に至るまで正月営業が固定化するなど、「お客様第一主義」の名のもとに「労働者主義」が十分に発揮できない状況にあるという。
もちろん、「お客様第一主義」だけではなく、「流通革命」とも呼ばれた新業態の成長など、様々な要因が考えられるため、一要因にすぎない面があるが、労働者側は、賃金が上がることと引き換えに、長時間労働を受け入れる構図があった。
「例えば、労使関係が安定的な企業の多くは、賃金をどんどん上げる代わりに、労働時間については、我慢して欲しいというスタンスで、労働組合も、長時間労働が固定化されるなら、賃金だけはしっかりと確保しようとしてきました」
この賃金が次第に上がらなくなったことで、長時間労働だけが残り、現在の人手不足の苦境にもつながってくる。
●店舗経験者からバイヤーを選抜していくという「顧客志向」のキャリア形成
さらに、「お客様第一主義」の強さは、キャリア形成のあり方にも影響を及ぼす。
「日本のチェーンストアのバイヤーは、わざわざ店舗に出向いて、棚を見て、売れ筋を確認します。ケチャップがどれくらい売れているかなんて、データを見ればわかるんですが、商品棚で顧客の反応まで見ようとするんです」
海外では、バイヤーと店舗スタッフは分かれていて、それぞれの職務に応じて人をあてはめる「ジョブ型雇用」になっているにもかかわらず、日本では、店舗運営の経験者から、時間をかけてバイヤーを選抜するようなキャリア形成になっていて、人に仕事を当てはめていく「メンバーシップ型雇用」になっているという。
「できる人は商品開発やバイヤーにしていきますよ、という仕掛けなんです。チェーンストアというものは、海外発で非常にシステム志向が強いものなのですが、日本では、商品棚で顧客の顔まで見ようとするほど、顧客に尽くす『商人道』のような考え方の影響も根ざしています」
●長時間労働の正社員を低賃金のパートタイマーで補う構造
このようにして形成された日本の正社員は、賃金の上昇と引き換えに、長時間労働をこなしながら、社内での出世を目指してきた。
しかし、正社員だけでは店舗をまわせないとなると、パートタイマーを増やすことにつながる。スーパーなどではやがて、パートタイマーが大半となり、欠かせない存在となった。
その構造について、本田氏はジェンダー的な問題を指摘する。
本田氏は、正社員の多数を占める男性正社員を念頭に置いて、「M(Male)型」とした。これに対して、女性が多数を占める非正社員を中心とした「F(Female)型」と分類した。アルファベットにしているのは、女性の中にも無限定な働き方をする正社員もいるため、そういった女性を「M型」に区分するためだ。男性の中にも、介護などの事情で「F型」で働く非正社員もいる。
「M型は、賃金上昇と引き換えに長時間労働になっている一方、これを補完するF型は、賃金が上がらない代わりに労働時間が限定されています。時間を奪われるM型と、賃金を奪われるF型に分かれている構造を、私は日本における『労働者の宿命』と表現してきました。 ですから、同一労働同一賃金といっても、なかなか実現しませんでした。最近になって、訓練されたパートタイマーがあまりに中心になりすぎたので、F型のままでも賃金やポジションが上がる仕組みも生まれてきました。評価できることではありますが、そうせざるをえないから、やっているとも言えます」
●外国人労働力で補完しながら、全体を維持しようとするシナリオ
ただし、日本全体で人手不足が発生していて、低賃金のままではF型の人材を確保することは困難な時代になってきている。本田氏は、今後のシナリオとして、F型を補完する外国人労働力が増えていく可能性が高いという。
「どう見ても、外国人労働力頼みになっていきます。流通産業はもともと外国人労働者が多いのですが、これからますます増えていくでしょう。今までのような無限定な正社員を維持するために、非正社員を大事にしつつ、その採用もままならないから、外国人に期待するという流れに向かうわけです」
だからこそ、今後は日本の正社員、非正社員と、その外に置かれた外国人との間で、いじめや差別などの問題が起きる可能性があるという。では、どこから変えればいいのか。
「いつまで経っても、日本の労働者には『正社員がいい』『正社員にならなきゃダメ』という正社員ブランドが染み付いていて、企業も正社員に離脱されることを嫌がり、優遇するので、M型は簡単には変わりません。でも、このままでは持たないので、非正社員が多く、M型をケアしてきたF型のところにもっと注目して、『働き方改革』だけでなく、『暮らし方改革』を念頭に置いて、F型から課題解決を進めていくべきだと考えています」
●人手不足の時代を迎え、労働者は「神様」を超えられるか
それでも、労働者を苦しめてきた「お客様第一主義」が課題解決を阻害してしまうことはないのだろうか。
「そうですね。『これからは労働力不足だから、労働者を大切にしましょう』なんていう理屈は消費者には通用しないでしょうね。そうはいっても、使用者もさすがにこのままでは持たないことはわかっていますから、外国人を雇うなど、様々な手を打っているわけです」
本田氏は、店舗の労働時間は中長期的には、短くなる可能性が高いとしつつ、日本の消費者の力は強いため、そう簡単に労働時間の根本的な構造は変わらないと見ている。
「コロナ禍で様々な問題が露呈しましたが、マスクが足りない、店員が咳をしたといって、消費者が増長してしまいました。悪質クレームについては、労働組合も力を入れていますが、日本の消費者は本当に手強いですよ。 日本のスーパーマーケットなんて、こんなに便利なものはありません。値段も安いし、全部ワンストップで買えて新鮮なものも多いですし。消費者のために、と企業が労働者と一生懸命努力してきたわけです。それでも、消費者は感謝なんてしていませんよ。消費者だって労働者だったり、かつては働いていたはずなのに、自分勝手ですよね。 待遇をよくするために、価格に転嫁しようとしても、牛丼がちょっと値上っただけで不満の声があがる状態です。例えば、人手不足を背景に、USJの入場料が1万円を超えたということを消費者が受け入れられるかどうかですね」
さらに人手不足が加速すれば、「神様」である日本の消費者と、労働者の力関係が変わる日がくるのか。変わらないまま人手不足が進んでも、それでやっていけるのか。その変化に注目したい。
【取材協力】 本田一成(ほんだ・かずなり) 武庫川女子大学経営学部教授・クミジョ応援係長(※クミジョ=労働組合で頑張る女性) 博士(経営学)。主な著作に、「チェーンストアの労使関係ー日本最大の労働組合を築いたZモデルの探求」(中央経済社、2017年)、「メンバーシップ型雇用とは何かー日本的雇用社会の真実」(旬報社、2023年)など。