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地下鉄サリン31年、被害は終わっていない 国際基準から問う日本の支援制度
OPCWで発言するさかはらあつしさん(提供)

地下鉄サリン31年、被害は終わっていない 国際基準から問う日本の支援制度

地下鉄サリン事件から、まもなく31年を迎える。

多くの人にとっては、当時のニュース映像の中に残る「過去の出来事」として、記憶の片隅に置かれているかもしれない。

しかし、この事件はいまも終わっていない。後遺症で苦しみ続けている当事者がいるからだ。

映画監督のさかはらあつしさんも、その一人だ。サリンが撒かれた車両に居合わせた彼は、長年にわたり心身の不調と向き合ってきた。

それでもなお、自らの体験と被害の実態を社会に伝えようと声を上げ続けている。さかはらさんに寄稿してもらった。

●これは単なる感情の問題ではない

サリン被害者の声は届いているのか──。

この問いは、政策や制度を決める場で十分に議論されているとは言い難い。これは単なる感情の問題ではない。制度の設計思想そのものの問題である。

ここでいう「制度思想」とは、被害をどのような時間軸で捉え、誰がどの範囲まで責任を負うのかを定める基本的な考え方を指す。

被害を一時的な出来事と見るのか、それとも長期にわたって継続する社会課題と見るのかによって、制度のかたちは大きく変わる。

昨年、1995年3月に発生した地下鉄サリン事件から30年が経過した。節目にあたり、被害者調査がおこなわれた。近く、何らかのかたちで結果が公表される予定だ。

被害者団体の記者会見でも後遺症について言及されることは少なくなったが、時間の経過とともに問われるべきなのは、単なる記憶の継承ではない。制度が被害の実態に適応し続けているかどうかである。

●国際的な人権基準の視点から見直すべし

私は昨年11月、日本を含む193カ国が加盟するOPCW(化学兵器禁止機関)の年次総会に参加した。OPCWは、化学兵器禁止条約に基づいて設立された国際機関であり、化学兵器の廃絶と再発防止を目的としている。

総会では、化学兵器被害者が国境を越えて連帯し、政策議論に参加していた。日本のサリン被害者支援を国際的な人権基準の視点から見直す必要性を強く感じた。

本稿では、日本の支援制度の現状を整理したうえで、国際的な枠組みを紹介し、日本の制度の位置づけを考えたい。

●サリン被害者支援の現状と課題

2008年、「オウム真理教犯罪被害者等を救済するための給付金の支給に関する法律」が施行された。

地下鉄サリン事件および松本サリン事件も対象とされ、死亡、障害、傷病といった類型ごとに定額の給付が定められた。

国が被害者救済に関与する仕組みを設けた点は重要である。加害団体の賠償能力が限定的である中、国が一定の補償を担うことを明確にした意義は小さくない。

しかし、基本的に一回払いの給付を前提としている。慢性的な体調不良や後遺症など、長期にわたって続く影響を継続的にフォローする仕組みとはなっていない。被害を「一定時点で確定するもの」と捉える設計となっている。

また、後述のように救済策の策定と実施に関して、被害者の意味のある参加が配慮されてきたとは言えない現実もある。

●外からは見えにくいサリンの被害

サリンは神経剤であり、急性期には「アセチルコリンエステラーゼ」という酵素の働きを阻害し、呼吸困難やけいれんなどの症状を引き起こす。

その長期的影響については現在も学術的議論が続いている。急性期の検査値だけで、その後の健康状態を十分に説明できるのかについては、必ずしも確定的な理解が共有されているわけではない。

実際、事件から20年以上を経ても、PTSD(心的外傷後ストレス障害)が疑われる人が一定割合存在するとの報告がある。外からはわかりにくい慢性的疲労などが続いている可能性は否定できない。

ここで問われるのは、「当時給付があったかどうか」ではない。時間の経過とともに変化する被害の実態に、制度が追いついていけているかどうかである。

●被害者参加の制度的課題

事件後、複数の被害者関連団体が活動してきた。オウム犯罪被害者支援機構は主に賠償請求を中心に活動し、地下鉄サリン事件被害者の会は主として遺族が中心となって活動してきた。リカバリーサポートセンター(RSC)は検診事業などを担ってきた。

私は一時期、RSCの理事をつとめていた。理事会では、他団体の意向として「報道時間帯への配慮が必要だ」との説明が共有された。その後、献花は報道時間帯の後におこなわれるようになった。その結果、後遺症を含む被害の実態が社会に共有される機会が相対的に小さくなり、当事者の参加や可視化が制度上の論点として残った。

問題は、その意思決定過程がどのような経緯でおこなわれ、どのように記録、共有され、説明されてきたのかという点である。HRBA(人権に基づくアプローチ)が重視する「透明性」や「説明責任」に関わる問題である。

誰が公的な場で可視化され、誰が後景に退くのか。そうした選択は制度的な構造の中で生じる。

各団体の活動は重要な役割を果たしてきた。一方で、被害当事者が制度設計や政策形成の議論に継続的に参加する仕組みが、制度として明確に構築されてきたかどうかについては、改めて検証が求められる。

2021年に私自身も情報発信を始めたが、個人の取り組みに依存する状況では、制度として参加が保障されているとは言い難い。

なお、今回、関係者にHRBAの一般的な枠組みについて見解を求めたところ、NHKからは「総合的に判断している」、公安調査庁からは「利用可能な情報・資料等の中で、同趣旨に適したものを選定した」との返信があった。

いずれもHRBAの枠組みそのものへの踏み込んだ説明ではなく、少なくとも現時点で、HRBAの観点がどの程度意識されているのかは外形的には見えにくいと感じた。

●国際的な枠組みと被害者の位置づけ

OPCWの年次総会では、化学兵器の問題は「過去の悲劇」ではなく、「現在進行形の国際規範の問題」として扱われていた。被害者は単なる支援の対象ではなく、「二度と繰り返させない」という国際規範を支える主体として位置づけられている。

会議では、被害者が自ら証言し、政策議論に参加していた。参加そのものが、被害の存在と重さを国際社会に可視化する役割を果たしている。

総会で出会ったイランの医師シャフリアール・カテリ氏は、1980年代の化学兵器攻撃の生存者であり、現在も被害者支援活動に携わっている。

同氏は、生存者が孤立せず、語り合い、社会参加できる制度の重要性を強調した。

同氏によると、イランでは約6万5000人の被害者が政府登録され、障害率に応じて医療費が公費負担となり、年金制度も整備されている。家族支援や社会参加の仕組みも制度化されているという。

重要なのは制度の優劣ではない。被害を「過去の出来事」とみなすのか、「継続する社会的課題」と捉えるのかという制度思想の違いである。

●HRBA(人権に基づくアプローチ)の視点

帰国後、ニューヨーク大学教授で、元国連特別報告者の国際人権法学者フィリップ・オールストン氏に助言を求めた。

とりわけ、社会保障制度と人権の関係に関する話は、被害者支援の制度設計を考えるうえで示唆に富むものであった。

同氏から国連開発計画(UNDP)のHRBAツールキットや、EUのHRBAツールボックスの一読をすすめられた。

そこでは「人権に基づくアプローチ」は、政策や制度設計に人権原則を組み込む枠組みとして整理されている。その核心は三点に要約できる。

1)参加(Participation)
当事者は善意で配慮される存在ではなく、政策形成に関与する主体である。

2)説明責任(Accountability)
制度は、誰を救い、誰を救えていないのかを検証可能にしなければならない。

3)非差別(Non-discrimination)
象徴化されやすい層のみが代表とならず、脆弱な立場にある人々の声が排除されない制度設計が求められる。

また、国際人権法、とりわけ健康への権利分野における世界的研究者で、国連特別報告者をつとめたエセックス大学教授のポール・ハント氏は「被害者もまた権利主体であり、国家および公的機関は義務主体である」と指摘し、共著論文「健康への権利は、国際的な公衆衛生の基盤をなす」を紹介した。

論文によると健康への権利は、単に医療サービスを受ける機会が存在することのみを意味するものではない。

国連の一般的意見第14号などで整理されているように、利用可能性、アクセス可能性、受容可能性、質(AAAQ)という基準で評価される。

さらに当事者の意味ある参加(participation)および国家の説明責任(accountability)は、その核心的要素と位置づけられ、単なる政策上の指針ではなく、国際法上の義務の具体化として理解されている。

さらに、健康への権利は漸進的実現が認められる一方で、非差別や参加機会の確保などについては即時的義務が伴うと解されている。したがって、単発的措置のみで義務が完結するわけではなく、継続的な検証と制度的改善が求められる構造を持つ。

この観点からすれば、化学兵器被害のように長期的影響が想定される事案においては、給付の有無という一点ではなく、制度が時間の経過に適応し続けているかどうか、そして当事者の参加が実質的に保障されているかが問われることになる。

●日本の制度との比較

これらの国際的整理を踏まえたとき、日本の制度はどのように位置づけられるだろうか。日本の給付金制度は一定の救済を提供してきたことは評価できる。

しかし、その制度設計が長期的な健康影響と当事者参加を十分に制度化しているかどうかについては、なお検討の余地がある。

●沈黙は構造的に生まれる可能性がある

事件や後遺症について語ることは、当事者にとって強い心理的負担を伴う場合がある。さらに、その語りが制度改善につながる見通しが乏しければ、発言への動機は弱まる。

被害を公にすることで誤解や不利益を受けるのではないかという不安もある。

報道では、後遺症を抱える当事者が紹介されることはある。しかし、その語りが制度設計や被害者参加の枠組みにどのように反映されたかは、十分に検証されてきたとは言い難い。

時間の経過とともに語られなくなる被害もある。「後遺症はない」と強く否定する人々。転居し、記憶から距離を取る人々。忘れることが回復である場合もある。

しかし、参加の機会そのものが制度上十分に保障されていないとすれば、それは別の問題を提起する。

沈黙は無関心を意味しない。参加の制度が弱いとき、沈黙は構造的に生まれる可能性があることを忘れてはならない。

●未来に向けて制度をいかに成熟させるか

私はサリンが撒かれた車両に乗り合わせ、生き延びた。当事者としての経験は私的なものである。

しかし、ここで問いたいのは個人の救済の程度ではない。被害者参加が制度思想として組み込まれているかどうかである。

30年を経た今、日本の支援制度を国際人権基準の視点から再検討する時期に来ているのではないだろうか。

問われているのは過去の責任の追及ではない。未来に向けて制度をいかに成熟させるかである。

具体的には、(1)長期影響を前提とした継続的フォローの仕組み、(2)当事者参加の常設枠、(3)意思決定過程の記録と公開──この3点を制度として点検することから始められると思う。

●参考資料

国連開発計画の国際人権法(HRBA)ツールキット(英文)

EUの国際人権法(HRBA)ツールボックス(英文)

論文「健康への権利は、国際的な公衆衛生の基盤をなす」(“The right to health supports global public health”), Carmel Williams, Alison Blaiklock, Paul Hunt, 2021

【著者略歴】阪原淳(さかはら・あつし)
初長編監督作品のドキュメンタリー映画「AGANAI:地下鉄サリン事件と私」(オンライン配信中)はEIDF(EBS International Documentary Festival)にてグランプリを受賞。現在は大阪公立大学の教え子と言語の構造理解を通じて「本が読めても内容が頭に入らない人」や「語彙や文法の知識はあるのに英語や日本語が使えない人」を支援する学習プラットフォーム「ロジグリッシュ」を創業し、CEOを務める。

この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいています。

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