エスカレーターに乗る際は歩かず、立ち止まるよう利用者に義務付けた名古屋市の条例が制定から2年を過ぎ、あらためて注目を集めています。
市の公式サイトによると、「なごやかにSTOPしてね」と書かれた大きな「手」の形の看板を背負った「なごやか立ち止まり隊」が、駅構内のエスカレーターの右側に立つなどの啓発活動をおこなっているといいます。
また、テレビ朝日などによると、この右側に立つ人はアルバイト雇用されているといい、立ち止まる人が増える効果が出ているそうです。
名古屋市の条例は、エスカレーターの右側(地域によっては左側)を立ち止まらず歩いたり、走ったりすることで、左側に立っている人とぶつかると大事故につながりかねないことから、制定されました。
Xでは、エスカレーターの右側で立ち止まる人に対する「マナー違反」がしばしば指摘されますが、一方で、右側を歩いてきた人とぶつかってケガをしたといった「事故」や、ぶつかって危うく転びそうになったといった「ヒヤリ体験」も報告されています。
エスカレーターの右側を歩いてきたり、走ってきた人が衝突して、ケガを負った場合、相手に法的な責任を問うことはできるのでしょうか。鉄道にくわしい甲本晃啓弁護士に聞きました。
●ぶつかってケガをさせた人は損害賠償責任を負う
——エスカレーターの右側を歩いてきたり、走ってきた人が別の人に衝突して、ケガを負った場合、相手に法的な責任を問うことはできるのでしょうか。
駅構内やエスカレーターに限らず、歩いたり走ったりして不注意により人にぶつかり、ケガをさせてしまった場合は、「不法行為」として損害賠償責任が生じます(民法709条)。ケガの程度に応じて、治療費や慰謝料を支払う必要が出てきます。
この不注意は、法律上では「過失」と呼ばれます。実際には、どちらに過失があるかは、ぶつかった状況を具体的に見て判断されますが、立ち止まっていた人にぶつかった場合、ぶつかった側の過失が認められるのが一般的です。
●条例は損害賠償に影響しない
——名古屋市のほかに、埼玉県でも同様の条例がありますが、いずれも罰則規定はありません。しかし万が一、「立ち止まったままエスカレーターを利用しなければならない」という義務を破った場合、その法的責任に影響を与えることはありますか。
法的には、事故に過失があったかどうかが問題となるため、エスカレーターでの歩行を禁止する条例があるかどうかは、直接にはその判断に影響しません。
たしかに、条例で禁止されているにもかかわらず事故を起こしたとなると、道徳的には強く非難されるでしょう。海外には、こうした行為について賠償額を引き上げる「懲罰的損害賠償」を認める国もあります。
しかし、日本ではそのような考え方は裁判実務で一貫して採用されていません。そのため、条例の有無によって賠償額が変わることも通常はないといえるでしょう。
●エスカレーター前は「渋滞」が起きやすくなっている
——こういった条例について、エスカレーターでの事故防止以外ではどのような影響が考えられるでしょうか。
2021年に始まった鉄道駅バリアフリー料金制度により、鉄道各社ではエスカレーターの設置が進んでいます。多くの駅では、もともとの階段の一部を使って設置工事がおこなわれているため、通路が狭くなり、エスカレーター前で人が滞留する「渋滞」が起きやすくなっています。
このような状況では、多くの場合「片側を空けて歩く」よりも「2列で立ち止まって乗る」ほうが、利用者全体の流れがスムーズになり、全体の時間的なロスが減ることを示す研究結果もあります(大竹哲士・岸本達也『鉄道駅におけるエスカレーター上の歩行行動に関する研究』2017年)。
駅構内で発生するトラブルの原因の一つは「混雑」にあります。混雑緩和のために「急ぐ人は階段を。エスカレーターは立ち止まって2列で乗る」という新たな習慣を全国に広げていってほしいと思います。