専業主婦から40代で弁護士を目指し、50歳で司法試験に合格した河合祥子弁護士。3人の子を育てながら、法科大学院(ロースクール)を終了後、3度目の挑戦で合格した。40、50代はセカンドキャリアを考えながらも、「なりたい自分」を見つけられず悩む人も少なくない。河合弁護士に目標の見つけ方や、育児と勉強の両立について聞いた。(ライター・国分瑠衣子)
●「小規模店のおかみさん」として夫の事業をサポート
河合弁護士は鹿児島生まれ。高校を卒業後に東京の大学へ進学、大学院生のときに結婚した。大学院で芸術学を専攻し、当時は大学教員になりたいと考えていたという。
ーー弁護士を目指す前はどんな生活だったのでしょうか。
「長男が2歳のときに、専門職の夫が都内で独立開業しました。独立開業といっても妻は、裏方仕事を一手に担う『小規模店のおかみさん』です。スタッフの労務管理や経理といった事務を手伝い、事業を潰さないように必死でした。子どもは長男、長女、次男と5歳差で生まれたので、育児期間も長かったです」
ーー忙しい生活ですね。当時、法律との関わりはありましたか。
「スタッフや事業に関することで法的トラブルがときどきあり、弁護士に相談していました。でも、私は法的帰結を知りたいのに、お金があると思われるのか『お金を払えばいいのでは』という結論で終わってしまうことが多く、残念でした。今は違うかもしれませんが」
ーー当時は仕事をしたいとは思わなかったのでしょうか。
「夫は私の希望を尊重し、勉強したらいいよと言ってくれました。ただ、育児と夫の仕事を考えると、いまは私のやりたいことを抑える時期かなと。それに家事は好きだし、夫の事業のサポートもやりがいがあり、生活に不満はありませんでした」
●「自分の世界を持とう」 周囲のママ友からの気付き
ーー満足度が高い生活の中で、弁護士を目指そうと思ったのはいつですか。
「一番下の子が小学生になったときで、40歳になっていました。わりと教育ママで、長男、長女の中学受験をサポートしてきたんです」
「中高一貫校のママ友たちとの交流も楽しかったのですが、子どもがいい大学に入ることが自己実現になっている方が結構いたんです。それが間違っているということではありません。でも、子どもの大学進学と同時にアイデンティティーを見失い、落ち込む方もいて考えさせられました。自分の世界を持ったほうがいいと思い始めたんです」
ーーなぜ弁護士だったのですか。
「40を過ぎた自分に何ができるか考えました。大学に戻ろうかと思いましたが、今からドクター(博士号)をとるのは年齢的に厳しく、資格かなと。どうせ目指すなら本気でやりたかったので、誰でも知っている難関の国家資格がいいと思いました。国家資格の中でも弁護士は新司法試験になり受かりやすいのかもと、今思えば知識がなく怖いもの知らずでした」
ーー弁護士を目指すと決めたとき、家族の反応はどうでしたか。
「夫に『司法試験を目指してみようかな』と言ったら、『年齢的にさすがに無理でしょ』とボロクソに言われました。夫だけではなく、子どもたちも実家も『えぇ?』というリアクションでした。当然ですよね」
「家族の反応を見て、絶対に合格すると決めたんです。未修者コースでロースクールに通おうと思いました。ローの未修の合格率が低いということを知らず、苦労することになります」
現在、司法試験を受験するためには2つの方法がある。法科大学院(ロースクール)を修了するか(2023年から在学中の受験も可能)、予備試験に合格するかだ。ロースクールは、一定の法学の知識がある「既修者コース」と、法学を学んだことがない人向けの「未修者コース」がある。ただ、ロースクールは留年する人が一定数いるほか、卒業した後には難関の司法試験に合格しなければならない。ロースクールに入れば安心というものではないのだ。
河合弁護士は、2012年に慶應義塾大学法科大学院(ロースクール)に入学した。一番下の子が小学3年生のときだ。
●授業に出ることも綱渡り 厳しかったロースクール時代
ーーロースクールはどんな雰囲気ですか。
「若い人が多く、私はダントツで最高齢でした。社会人は少なかったです。未修者コースといえ法学部出身など『隠れ未修者』の人もわりといました。留年する人も多かったのですが、留年だけはしないと決めました。家族に迷惑をかけるし、留年するレベルでは試験にも受からないだろうと思ったからです」
ーーロースクールと家事・育児の両立はできましたか。
「きつかったです。ロースクールから帰って、家事をして勉強を始めるのが早くて22時から。2時ぐらいまで勉強して、朝は5時に起きて3人の子どものお弁当づくりです。同級生たちが朝7時から23時までフルで勉強する中、最低限の課題しかこなせませんでしたね。睡眠は2、3時間というところです。休日は中学受験する次男の勉強を見ながら、課題を進めました」
ーー聞いているだけでハードです。
「更年期を感じる時間もありませんでした。鍵を忘れた子どもから『家に入れない』と電話がかかってきて対応したりと、私にとっては授業に出ることが綱渡りの連続でした。子どもが40度の熱を出して、早退したら厳しい成績をつけられた悲しい記憶もあります」
「掃除は後回しでしたが、家族の健康のために食事だけは栄養のある料理を心がけました。酢の物は日持ちがして、お弁当にも添えられるので、お勧めです」
ーーそれでも留年しませんでした。
「授業でまともに答えられず、先生から『あなたは無理だ』と呼び出されましたが、なんとか3年で修了しました。私の年は本当に留年が多く、成績表を開くたびに緊張の連続でした」
●周囲に宣言した「絶対合格」 3度目で合格
ーー司法試験の合格率は今でこそ4割ほどですが、河合さんが合格した2017年は25%と狭き門です。合格までにはどんなハードルがありましたか。
「1年目は、ほとんど勉強できずダメでした。短答式試験だけは最低点で通りました。ロースクールの先輩に起案を見てもらったり、ゼミを開いてもらったりと助けられました。厳しい人でしたが彼から法律文書の書き方や、法律の考え方の基礎を叩き込まれました。今の事務所のパートナーです。ただ2年目も長女が体調を崩すなどさまざまな事情が重なり、合格できませんでした」
「司法試験3年目の3月、長女の大学受験が終わりました。司法試験は5月です。『2カ月間だけはフルに勉強させてほしい、2カ月あれば合格できる』と家族に宣言し、図書館の自習室にこもり、朝から夜まで勉強しました。初めての受験生らしい生活でした」
ーー最後の2カ月、伸びていく実感はありましたか。
「ありました。公開模試で成績優秀者に載るぐらいになりました。退路を絶とうと、親しくない人にも『今年は合格できると思います』と宣言したんです。司法試験はみなさん必死に勉強するので、それぐらいの覚悟がないと受かりません。宣言することで、合格できたと思っています。司法試験は受験資格を得てから5年以内に5回まで受験できますが、私の中では3回が節目で、何としてでも3回で合格したかったです」
司法試験受験を決意してから7年後の2017年、晴れて合格。50歳になっていた。
「家族は合格を喜んでくれました。その後、次男は法学部に進学しましたが、ほぼ(司法試験は)挫折しかかっています。覚悟がないならやめなさいと言っています」
●弁護士は女性であることのデメリットを感じない仕事
河合弁護士の事務所は東京、宇都宮、川崎、福岡、宮崎の5カ所にある。
ーー今は、どのような分野の法律相談を中心に受けているのでしょうか。
「離婚などの家事事件と、医療に関する相談が中心です。病院の顧問弁護士をしているので、労務相談も多いです。夫の仕事を手伝った経験から、医師の世界は男性社会だと感じることが多かったのですが、弁護士は女性であることのデメリットを感じません」
「相談者は弁護士というだけで構えるので、威圧感がなく話しやすいほうがいいんです。離婚や面会交流(子どもと離れて暮らす父母のどちらかが、子どもと定期的に会うこと)では、依頼者だけでなく、相手方の信頼も得ることができたら、相手方も代理人を立てなくていいので、まとめてもらったほうがいいという声もあります」
「私は40代で弁護士にチャレンジしましたが、離婚するにしても、女性が40代、50代といった年齢で離婚して仕事を見つけたり生活を立て直したりするのは大きなチャレンジです。相談者のチャレンジを法的アドバイスで応援したいと思っています」