「従業員の個性を尊重するため、制服の自由化に取り組んでいます」ーー今、ドラックストアやスーパーなどの小売店や市役所、銀行など制服自由化に取り組む企業が増え始めている。
こうした取り組みが広がりつつある一方、特に、人材不足が逼迫する医療・介護・教育現場では、制服の利点である清潔性や合理性とは別に外部からの反発も強く、制服自由化の議論が俎上に乗りにくい状況が続いているのではないだろうか。
「社会生活の基盤となる職種なのだから、信頼を損なう服装が禁止されるのは当然」という声も聞こえてきそうだが、こうした制服着用規定により、能力や意欲があっても就労先が限られてしまう人たちの存在はあまり知られていない。
それは、家庭トラブルやいじめ、受験ストレスなどを理由に、過去に自傷行為をした経験があり、腕や手首など体の見える場所に傷跡が残っている人たちだ。彼らは、制服があるせいで意欲があっても働けない現実に直面し続けている。
本記事では、自傷行為の傷跡治療に関わってきた形成外科医・村松英之氏に話を聞き、「自傷行為を乗り越えた人たちのその後」に起きている、厳しい現実を追う。(取材・文:遠山怜)
●患者の10人に1人は「自傷の傷跡」治療を希望
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「半年後までに傷跡を消せますか」
東京・豊洲にある「きずときずあとのクリニック」では、傷跡で悩む患者に専門的な外科治療を行っている。やけどや外傷のほか、自傷行為の傷跡も診ており、来院する患者の10人に1人は自傷痕の治療を希望しているという。
これまで約1000件以上の自傷痕治療を行ってきた村松氏はこう話す。
「当院に自傷痕の治療目的で来院する患者さんは、主に20代〜30代の女性です。治療を希望する理由は、大きくわけて二つあります。一つは結婚や出産を控え、家族への見えを気にして治療を希望する場合。そして二つ目は、制服が義務付けられている職場なので消したいという場合です。来院する患者さんの多くは、今は自傷行為をやめているケースがほとんどですが、それでも傷跡があることで社会的な不利益を感じているのです」
「当院の調査では、ほとんどの場合、自傷行為は10代から始まっています。理由としてよくあげられるのは、家庭環境や学校での人間関係。患者さん全体のうち、6割ぐらいが人とのトラブルを原因として自傷行為に及んでいます。残りは受験ストレス、うつや発達障害など精神疾患からくる生きづらさに起因しています。これらは生育家庭や学校、閉じた人間関係の影響が大きい。ですから、親元を離れたり、学校を卒業し就労することで、徐々に自傷行為を必要としなくなり、やめられるケースがほとんどです」
筆者が取材の際、自傷行為について調査したところ、特に90年代〜00年代の自傷行為を取り扱った一般向け書籍には「自傷行為は(当時の成人年齢である)二十歳になれば治る」という趣旨の記述が散見される。医療従事者の側がそう捉えていることもあれば、当事者がそう信じていることもある。
年齢を経ることで、養育者と義務教育による固定的な環境から解放され、ストレスが減り、自傷行為に頼らなくても済むようになる、というのは一つのパターンではあるのだろう。
●資格の上に君臨する「制服」という見えざるハードル
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大半の事例では20歳以降で自傷行為が見られなくなるものの、それで問題は終わらないと村松氏は語る。
「自傷行為をやめられても、今度は傷跡の存在に悩まされ続けます。当院の特性上、自費診療が中心になるため、治療にお金をかけられる人が来院しやすいという偏りはあると思いますが、少なくない患者さんが看護師や薬剤師、医師、介護士などの職に就いています。あとは事務職や教育関係の仕事をされている方も多い。稀ではありますが自衛隊入隊希望者やキャビンアテンダント希望の方もいました」
「患者さんは真面目で、責任感の強い人が多い。自分が苦しんできたからこそ、誰かを助けたいという意欲のもと対人支援職を志望し、受験も乗り越えて見事資格を取る。しかし、いざ就職先の詳しい雇用条件を見ると、制服のバラエティがない。半袖制服が標準で、春夏はカーディガンやパーカーなど長袖のアウターを着ることが禁止されていたりする。
または、就労時は服装の自由が認められても、実習中や研修中は半袖がマストだったりする。事実、看護学校を卒業して、就労希望先の実習では長袖の着用が禁止されていると知って、慌てて受診した方もいます。または、医師で、外科は手術中は半袖のスクラブを長く着用するため、外科以外の医科を選択した方も」
衣類の袖は、構造上、汚れやすく不衛生になりやすい。服装が統一されていないことで、利用者に誤解を生む恐れがある。
だから、半袖制服やむなしーーという結論になりやすいところだが、その明瞭なデメリットの影には、「その方がスタンダードだから」という理由も、潜んでいないだろうか。合理的に考えれば、「半袖でなくても良い」場面や「素材を選ぶことで問題をクリアできる」部分は、かなり見つかるだろう。
加えて、村松氏は自傷行為の傷跡には強烈なスティグマがあると話す。
●うつ病はOK、リストカットはNG
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「医療職や教職は、権威性のある職業です。“先生”と呼ばれるように、他の職種とは区別され特別視される。資格を持っていて高い技術力があることに加え、精神的にタフで安定していることが求められます。傷跡の存在は、その精神性に疑義を生じさせてしまうようなのです。自傷痕がある、とわかると、その人は精神的に弱くて劣っていると周囲から見なされる。その人の資質や対人能力とは別に、見た目で判断されてしまう」
昨今は、企業のコンプライアンス意識の高まりもあり、見た目でその人を判断したり精神疾患などの有無で差別的に扱うことを、社会の側が是としない風潮になってきた。しかし、傷跡がある人はその社会的倫理の庇護を受けられない。傷跡を理由にメンヘラだから、と敬遠したり、職場の評価を変えることはまだやむなしとされたままだ。
「実際に、不利益を被っている人もいます。傷跡が職場の上司にバレて、査定や評価に影響したという報告は少なくありません。やけどの痕が元で降格させたとなれば大問題になりますが、リストカットの痕があるから役職につけるのはちょっと、という判断はまかり通ってしまう。
今はうつ病などの精神疾患を抱えながら働いている人も多くいますし、障害や疾病を理由に差別することは法的に禁止されています。しかし、リストカットはそれらの正当な権利から締め出されてしまう」
村松氏は、書籍『自分を傷つけることで生きてきた』(KADOKAWA)で、傷跡に悩む人たちを取り上げ、実際の体験談も多数収録している。
塾講師をしていたある患者さんはこう証言する。
「私は10代の頃から自傷行為をしていました。ずっと誰にも言えず苦しんできたから、自分は、そうして苦しんでいる子どもの存在に気づけると思った。だから、子どもに直に寄り添える小学生を対象にした塾講師の職に就いたのですが、ある時、塾長から呼び出されて『リストカットの痕がありますよね』って指摘されました。
事実を認めた上で、だからこそ私は悩んでいる子どもの助けになれる、勉強の仕方だけじゃなく気持ちの面でもサポートできると伝えましたが、『精神的に安定しない人は講師として不適格』とされ、退職を迫られました」
ほかにも、好きな仕事が見つかっても、傷跡が発覚することを恐れてやめざるを得なくなった人もいる。アルバイトや就労先が限られてしまうことで、患者さんはしばしば金銭的な問題に直面したり、人間関係の距離感を掴めずに孤立に陥る。
多様性を認め、誰しもが自分らしく働ける社会へ。そんなスローガンを現実のものにするべく、制服自由化の観点から考えてみるのはどうだろうか。もちろん、社会や企業の側に高い人権意識を求めたいところだが、制服の撤廃や多様化によって、見た目で差別しにくい環境を整えていくことはできるだろう。その議論を進めることで救われる人と、その人たちに救われる人たちは、日本にまだまだいる。