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ジャニーズ性加害問題、元ジュニアの石丸志門さん「触られる感触を思い出して眠れない」 40年前の記憶とPTSD
石丸志門さん(弁護士ドットコムニュース撮影)

ジャニーズ性加害問題、元ジュニアの石丸志門さん「触られる感触を思い出して眠れない」 40年前の記憶とPTSD

「ジャニーズ性加害問題当事者の会」の副代表として精力的に活動する石丸志門さん(55)。今年5月に自身のブログで、ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏(享年87)からの性被害を告白してから、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされている。

「夜、電気を消すと、足の先から太ももへと徐々に手があがってきて触られていく感触を思い出すんです。気持ち悪さと鳥肌が立ちゾワゾワする。足をさすっていないと眠れなくて」

石丸さんが被害にあったのは14歳からの3年間。これが現在に至るまで心身に深刻な影響をもたらしている。長年、記憶に蓋をしていたが、それは消えてなくなるものではない。発症して20年になるうつ病も、性被害によるものだと告白後にようやくわかった。

「薬を飲めば忘れられるとか感覚がにぶるとかないんです。記憶が残っている限り、このPTSDとの戦いは続いてしまう。ずっと何かでごまかして生きていかなければいけない」

画像タイトル 石丸志門さん(弁護士ドットコムニュース撮影)

●長年良くならないうつ病

今から20年ほど前、石丸さんは学校教材の営業職として朝から晩まで働いていた。次第に体調がすぐれなくなり、「内臓を悪くしたのかな」と内科で診てもらったが、悪いところはなかった。心療内科に行くことを勧められ、激務によるうつ病だと診断された。

医者からは「ストレスの原因となっている仕事から離れて、3カ月から半年ほど休み、リワーク(復職支援)を受ければ、だいたい治りますよ」と言われた。

しかし、休んでから別の仕事に就いても、またうつの症状が出てしまう。仕事を転々としながら「なんで自分はこんなに治らないんだろう」と不思議でしょうがなかった。

●被害告白後に襲ったフラッシュバック

英公共放送BBCが今年3月、ジャニー氏の性加害に関するドキュメンタリー番組を放送した。これまでジャニー氏の性加害を「表に出してはいけない」と思っていた石丸さんにとって、BBCが報じた世界の見方は衝撃だった。

その後、ジャニーズ事務所の藤島ジュリー景子社長が5月14日、動画で「性加害を知らなかった」と答えたことや、報道番組のキャスターをつとめる所属タレントの話しぶりをみて、「論点ずらしや隠蔽をしようとしている」と感じ、自身の被害をはじめて打ち明けることを決めた。

夜にフラッシュバックに襲われるようになったのは、被害を告白してからのことだ。定期的に通っている病院でそのことを伝えると、性被害によるPTSDだと伝えられた。長年のうつ病も性被害によるものだと言われ、「すべての謎が一本の線につながった」。

「ジャニー氏から被害を受けていたから、夜に抵抗があり不眠に悩まされていた。ハードな日常生活を送っていたのは、無理をしてでもなにかに熱中して意識をそらすようにしていた。無意識のうちにトラウマから逃げるように生活して、心と体が悲鳴をあげ、うつ病になった。そう説明を受けて、これまで治らなかった理由がわかりました」

ジャニーズ事務所が設置した「再発防止特別チーム」が8月29日に公表した調査報告書では、深刻な性被害の場合は回復が不十分なまま長引くこともしばしばあると指摘。いったんは気持ちに「蓋」をして忘れたつもりでも、なにかのきっかけで「蓋」が開くと、再びトラウマ反応が出現し精神的不安が高まることもめずらしくないとしている。

●性加害に耐えるか辞めるかの二者択一

これまでもテレビでジャニーズタレントを見ては、自分の被害を思い出すことはあった。ただ、2006年にはじめたブログでは、ジャニーズのエンターテインメントについて書くことはあっても、性被害については一切触れなかった。

現在は「当事者の会」で代表をつとめ、80年代からジャニー氏の性加害を告発している平本淳也さんに対しても、かつては嫌悪感を抱いていた。ジュニア時代の2年先輩で仲も良かったが、電話で「なに暴露なんかやってるんだよ」と言ったこともある。

これまで性被害は「ジャニーズでは全員が通らなければいけない道」だと思っていた。

「ジャニーズでトップに立つには、性被害は通らなければいけないという先輩方から脈々と受け継いできた図式があった。耐えた人は残っているし、耐えられない人はみんな消えている。耐えるか辞めるかの二者択一だった」

画像タイトル 石丸さんは1982年からの3年間、ジャニーズJr.として活動していた(本人提供)

14歳でジャニーズ事務所に入所。性の知識もなく、事の重大さはわかっていなかった。

「ちょっと我慢すればいいや」と1回我慢すると、2回、3回と続いていく。被害の回数に比例するように、石丸さんのジュニアとしての立ち位置や露出は上がっていった。一方、断ったり避けたりするジュニアは、目に見えるほど露出が減って、レッスン場でもジャニー氏に声をかけられなくなった。格差は明確だった。

「当時はジャニーズが一世風靡していて、他の事務所は男性アイドルを採っていませんでした。アイドルになる最短距離が、ジャニーズ事務所に入ることだったんです。夢がようやく目指せるところまできた。それがどれだけのエサだったか。それをいいことに、どんどん新しいジュニアに手を出して行ったことは卑劣極まりない」

こうした構造について、「再発防止特別チーム」の調査報告書では「ジャニー氏はジャニーズジュニアの生殺与奪の権を一手に握っていた」という表現がなされ、ジュニアが性加害を拒むことは「極めて困難であった」と指摘されている。

●「先頭に立って戦っていかないといけない」

不眠の症状は今も続いており、何種類もの薬を服用している。それでも当事者の会副代表として前に立つのは、「性被害を止められなかった」という自責の念からだ。

「私と同じように心身を病んだり、もしかしたら命を絶っている人もいるかもしれない。性加害の問題に蓋をして、これまで800本もブログを書いてきた罪深さ。大勢の先輩や後輩の解決に向けて、自分が先頭に立って戦っていかないといけない」

この問題は、1年や2年で解決するとも思っていない。被害者の記憶はなくならない中、何をもって救済とするのか。当事者の会としては「事実認定、謝罪、救済の3つを一人一人と話しあっていかなければならない」と考えている。

「再発防止特別チーム」の調査報告書でも、被害者のヒアリングから「少なく見積もっても数百人の被害者がいるという複数の証言が得られた」としている。しかし、被害を告白した人は、まだほんの一握りだ。

石丸さんは、まずは被害者が安心して被害を打ち明けられる場所作りが必要だと感じている。

「男性の性被害に対する社会の認識はまだまだ低いですし、性被害というのは特にセンシティブなことです。すべての被害者が漏れずに告白できるような環境を作らなければいけない。同じ被害を受けた者として、当事者の会が数十年にわたる被害者救済をになっていきたいと思っています」

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