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「青春時代の生きづらさは普遍的」 歌人・小佐野彈さん、性的指向に葛藤した自身を描く
小佐野彈さん(2021年12月/弁護士ドットコム撮影)

「青春時代の生きづらさは普遍的」 歌人・小佐野彈さん、性的指向に葛藤した自身を描く

小説『僕は失くした恋しか歌えない』と歌集『銀河一族』が、11月末に同時刊行された歌人・作家の小佐野彈(おさの・だん)さん。

性的指向に悩み、葛藤し続けていた自身をモデルに描いた青春小説と、政商一族に生まれた自身のルーツを歌った歌集。二つの作品の関係を「小説は歌集の、ものすごく長い詞書(ことばがき)としてあるような気もしています」と小佐野さんは話す。

小説のあいだに詠まれる歌が、情景を際立たせる――。そんな散文と韻文が呼応し合うスタイルは、詩歌に馴染みのない読者にも、歌と感情の強い結びつきを感じさせるだろう。

「小佐野さんの『伊勢物語』を書いてみませんか」。自身が書いたエッセイを読んだ編集者の一言から始まった作品について、小佐野さんに聞いた。(取材・文/塚田恭子)

●「文学はグラデーションにある」

<僕は子供の頃から、二元論が苦手だ。女と男、右翼と左翼、保守と革新、善と悪。あらゆる二元論が、僕たちの生きる世界を息苦しくしていると感じながら生きていた。

擁(いだ)きあうときあなたから匂い立つ雌雄それぞれわたしのものだ>

(「序、ほとりぐらし」)

<儚げなひとが、儚げな笑顔を見せる。
月並みな喩(たとえ)だけれども、なんとなく、散り際の花弁のようだ、と思った。

淡桃(うすもも)の笑顔とろりとこぼしたる君とくだれば坂 なまぬるい>

(「2、アイコちゃんと僕」)

<「俺は俺だよ。ただ、男が好きなだけ。それも、昔から変わらない。ずっと変わらないし、きっとこれからも変わらない。誰のせいでもないし、誰も悪くないよ」
僕の言葉を聞いて母は、
「わかった。安心したわ」
と言って、自室に戻って行った。

われとして生(あ)れていつかはわれとして死ぬだけのこと それだけのこと>

(「七、星月夜」)

――ご自身をモデルに書かれた『僕は失くした恋しか歌えない』、小説と歌が呼応していて、読後、濃い印象を残す作品でした。

今回は自分の中で、小説かエッセイかとか、こういうテーマで書くといったことを一切、定めずに書き始めました。今は散文と韻文の境界がはっきり分けられているけれど、『伊勢物語』の時代(平安時代)、作者が歌と散文のあいだを自由に行き来していたように、本来、文学はグラデーションにあると思うんです。

『伊勢物語』の魅力は、詩歌と散文、あるいはフィクションとノンフィクションのあわい(間)を揺蕩っているところにあると感じていたので、僕も歌という幽玄の世界と現実を行き来するように歌物語を書いてみよう、と。毎回、流れに任せて書いていましたが、散文は小説に見えて、歌の長い詞書だったのかもしれません。

――作中の歌は、新作だけでなく、過去の作品もあるのですか。

第一歌集『メタリック』やそれ以前につくった歌も一部ありますけど、新作が多いですね。昔使っていたパソコンが壊れてしまっているので、高校、大学時代につくった歌は残っていないんです。でも、歌って不思議と思い出せるんですよ。あのとき、こんな気持ちだったとか、学内誌に発表していたレベルの、うろ覚えの歌も使っています。

――そういうときは、かつてつくった歌に手を入れるのでしょうか。

歌人の大先輩、河野裕子さんが「歌はテストの答案と一緒」とおっしゃっていましたけど、歌は直せば直すほど、醜くなっていく気がします。もちろん多少の推敲はしますけど、短歌の場合は、最初に出てきたものが流れやリズムがよくて、直すとたいてい迷走します。

――詩を書く方もそう言いますね。

ただ、今回の小説の中の歌は、読者層を考えて、歴史的仮名遣いではなく、現代仮名遣いを使っています。小説は純粋読者(実作者ではない読者のこと)が多いけれど、短歌の場合、俵万智さんの『サラダ記念日』のような特殊な例を除いて、読者の8割は自分も歌を詠む人で、マーケットが小さいんです。

そういうやや閉ざされた世界で、作者と読者がインタラクティブにやってきたから長く続いた側面はありますが、短歌のすそ野や間口を広げたいという気持ちもある。

それこそ、僕が俵さんの『チョコレート革命』に出会って、歌ってこれだけ正直に自分の気持ちを投じていいんだ、古語じゃなくていいんだ、こんなふうに記号を使ってもいいんだと感じたように、歌に興味を持ってもらえたらいいな、と。

小説に短歌が入ることで、歌に興味のなかった人が「私もやってみようかな」と思うくらい、読者に届くものになればいいと思っています。

●「小説でも自分という人間を出し切りたかった」

小佐野彈さん(2021年12月/弁護士ドットコム撮影) 小佐野彈さん(2021年12月/弁護士ドットコム撮影)

――俵さんから「歌にすると、そのときの感情を保存できる」という話をうかがったことがあります。短歌を詠むのは何か思い出す作業に近いのでしょうか。

歌は口ずさむことができるものなんです。でも、かつて読んだ小説をそらんじることって、できないですよね。

僕の通っていた慶應義塾中等部の1年生は、福澤諭吉の『学問のすゝめ』の一章を暗唱させられるので、この本を死ぬほど読みます。だから当時は覚えていたけれど、今は冒頭の「天は人の上に人を造らず……」を言えるくらいです。

でも、短歌は音楽だから思い出すことができる。「披講」(ひこう)と言って、与謝野晶子や斎藤茂吉、戦前の歌人は独特の節回しで、即興演奏のように自分の歌を声に出して詠じていました。韻律があって、リズムがあって、音楽になっているから思い出せるんです。

――小佐野さんは、思い出せることがたくさんありそうですね。

この本はほぼ私小説ですけど、今後は、たとえば東京、台湾、経済的な豊かさといった自分事ではなく、自分の見ていない世界を書かないといけない気はしています。

ただ、それが書き手にとって良いか悪いかわからないけれど、僕自身の人生が最高に、ネタの宝庫なんです。とはいえうちの母親は、華やかかつ社交的でインパクトの強い人だけれど、他方では慎ましやかな常識人で、家のことや交友関係をひけらかすことをものすごく嫌がる。だから小説に書いたことは、ギリギリのラインでしたね。

――母上は小説を読まれていますか。

ええ。作品自体に不満はなかったようです。ただ、帯が気に入らないとずっと言っていましたけど、それもようやく黙らせました(笑)。

これは短歌をやっていたから思うのかもしれませんが、短歌は「我を歌う文学」で、どう足掻いてもフィクションにはならない、ノンフィクションを前提に読まれてしまう。僕は、自分の心の根っこの部分を短歌で晒してきたので、小説では自分という人間の表層的なところも含んだ全部を出し切りたかったんです。

三島由紀夫は絶筆となった評論『小説とは何か』で、"告白型の小説家を傷つきにくい強い人間などと思ってはいけない。むしろ彼らは他者からの加害を恐れるあまり、先に自分を刺してしまうという倒錯的な変態で、究極の怖がりである"という内容のことを書いていますが、まさに僕はそれです。

度胸はあるけど、ビビりで、人から暴かれるくらいなら、自分から晒してしまえと。今回もそういうつもりで書きました。

●「心の中の自己否定感が少しでも和らげば」

――後ろめたさや恥ずかしさは、書くことで浄化される面もあるし、読者はそこに何か感じることも多いのではないでしょうか。

そうですね。でも、僕はまだまだ誰かに知ってもらいたい自分ばかり書いているので、知られたくない自分を書けるようになることが今後の課題です。

これからも短歌と小説、二足の草鞋でやっていきたいし、いずれにしろ書いている限り「自分」は出てくるもので、「自分」をめぐる作業と無縁ではいられません。もうないだろうとは思っているけど、でも、これだけは人にバレたくないことは、きっとまだあるのだろうと。恥ずかしい自分。最低な自分。ずるくてあざとい自分。そういう自分を書いていかなきゃいけない、と思っています。

――自分に厳しいですね。

今はダイバーシティやポリティカル・コレクトネスが謳われる時代です。インクルーシブな世の中にすることの大切さは、当事者として実感しているし、レインボープライドなどのデモも支持しているけれど、僕自身は右にも左にも与さないノンポリのフリをしているし、今は運動とは少し距離をおいています。

世の中は、少数派の人たちに「あの人たちは正しいことを言っているけれど、面倒な人たち」というレッテルを貼りがちですよね。たとえば、(テレビ番組で)ある脳性麻痺の人が「ファミレスに行くと、お店の人は何も聞かずに自分を禁煙席に案内する」と怒っていたけれど、彼らだって飲酒や喫煙をするし、性欲もあります。

――LGBTQとか障がい者とか、人はカテゴライズされたものに、ついステレオタイプを抱きがちです。

障がい者だって聖人君子じゃないし、自分も含めて僕の周囲のLGBT当事者には、モラル意識や貞操観念の低い人がいっぱいいます(笑)。

以前、親しい弁護士の友人数人に「僕が既婚者の男性と関係を持ったとき、不貞行為になるか」と聞いてみたんです。今はわかりませんが、当時は民法で同性間の不貞については前提とされていなかったらしく、誰も答えを出せなくて。自分はグレーゾーンにいるんだなって思いました。そして、グレーゾーンだからいろいろセーフになるな、とも(笑)

僕自身は、正しいことを言おうとは思っていないし、正しい人間でもありません。そして文芸は毒があるほうがおもしろいと思っています。この物語の先にいる、酒癖が悪くて、弱いくせに強がりで、口も悪くてわがままな、どうしようもないアラフォーゲイの自分とも向き合っていくつもりです。

――性的指向についての悩みはある種、普遍的なものです。とはいえ少数派で、近くに話し相手もいなくて孤立感を持つ人々にとって、この小説は気づきをもたらすと思いました。

たしかに僕は精神的に追い詰められていた時期はあったけれど、ゲイだから苦しい思いをしたかと言えばそうではなくて。青春時代の生きづらさや苦しみは、置かれた環境にかかわらず、ある意味、普遍的なものなんですよね。この小説を通じて「ゲイだから」「金持ちだから」という特殊性より、普遍性のほうに目を向けてもらえたらうれしいです。

――個人的な体験が切実に描かれ、歌の強度によって感情が伝えられるから、読み手に届くのだと思いました。

ありがとうございます。僕は基本、八方美人なんです。本当はノンポリじゃないし、尖ったことをしてみたいけど、左も右も赤も青も敵に回さないのは、人から怒られるのが嫌だし、嫌われるのが怖いから。

主人公はまったく僕と同じではないけれど、分身ではあるので、この本も八方美人なところがあるかもしれません。でもセクシュアリティに悩む人が読んだとき、心の中の自己否定感が少しでも和らげばいいなと思うし、そうなればうれしいです。

――当時の自分に対して、今ならどう言ってあげられますか。

今、この精神状態で作品の舞台である20世紀末に戻っても、あの時代においては同じように、周りの目を気にするでしょうね。セクシュアリティも含めて、人の言動は外部環境、社会通念や空気が決めているので、きっと僕は同じような過ちをすると思います。

それは当時の自分にとって、防衛本能だったんです。だからといって、アイコちゃん(小説の登場人物)のモデルの人にしたことが許されるとは思っていません。

――刹那的なところや疾走感など、作品を読みながら、岡崎京子さんの漫画『リバーズ・エッジ』を思い出しました。

『リバーズ・エッジ』は岡崎さんの漫画の中でもメチャメチャ好きな作品なので、すごくうれしいです。無意識のうちに影響を受けているかもしれません。

●「歌を詠むこと、小説を書くことだけは続けていきたい」

――歌について言うと、小佐野さんの作品には「色」がとてもよく出てきますよね。

それは第一歌集の『メタリック』のときからよく言われました。ただ僕の場合、歌は作為とは無縁で、そこに意図はありません。初句の五音がフッと降りてくる、浮かぶ、あるいは目に入ると、その五音につられてことばが出てくるんです。その結果として、すごく色が多くなっている。

中学時代も美術部で、かたちではなく色だけで風景を描いたり、今もこの髪だし、車もそうですけど、鮮やかな色はすごく好きで、それが歌にも出てしまう。歌って意識していなくても好きなものや、自分の性質をあぶりだすのだと思います。

――台湾も亜熱帯で、原色の世界ですよね。

常緑の島で、花が咲き、果実が実って鮮やかで。そういうものが好きなんですよね。『文學界』2021年1月号に発表した『したたる落果』という小説は、コロナ禍の「台湾という土地そのもの」を主人公に書きました。

――今、経営者と作家の比重はどんな感じなのでしょうか。

2017年にCEOを退き、今は会長職に専念していますから、年に数回、役員会に出席するくらいです。もともと一つのことをコツコツやるタイプじゃなくて、寝る時間も起きる時間もバラバラだし、時間は守れないし、これでよく経営者がつとまったと思います。謝り上手で、許され上手だったので、得していたのかもしれません。

自分の家を見ていても思いますが、会社自体はブランディングされるべきだけれど、会社のトップ、たとえば「小佐野さん」がブランディングされるのはダメなんです。僕は会社がバリューアップしたら売却したいし、ほかの資本が入ることで成長するポテンシャルがあるなら、そうしたい。

社長のブランド力が強すぎると、M&Aや経営移行が難しくなります。小説でも書きましたけど、会社にも縛られたくないんです。自由にさせてもらう分、僕は現場に口を出さないし、我を通さない。失敗も全部許容する。そして責任も僕がとる。創業は好きだけど、経営は苦手ですね(笑)。

――今は書くことにエネルギーを注いでいると。

音楽、絵、スポーツ……僕はいろいろなことが中途半端にできてしまうんです。自分は何になりたいのかわからず、何者にもなれないことへの怖さがずっとあった中で、短歌の新人賞を受賞して、これはもう神様から「この道で行け」と言われたのだと思いました。

中学のときにヒョイと歌に手を出して、人生で唯一不断に続けていて、かつ初めて身になったのが書くことです。今後、興味の対象が移っても、歌を詠むこと、小説を書くことだけは続けていきたいです。

――まだ晒したくない自分が出てくることが、次のステージかもしれませんね。

今、38歳で、青年期の終わりを意識しています。エイジズムやルッキズムは叩かれるけれど、僕はひとから見たらたぶんバリバリのエイジスト、ルッキスト、おまけにナルシストなので、老いることに対してすごい恐怖感があります。

そろそろ自分にもやってくる「時間」という怪物とどう立ち向かうのか、あるいは負けるのか。悩みがセクシュアリティだった時代から自分を吐露する手段は歌だったし、それが老いや病になれば、それを歌にしていくと思います。

歌はつくっているときも、あとから読み返しても、そのときの自分の痛みがえぐられるように、すごく生々しく蘇るものです。小説を書くのは大変だけど、物語を紡ぐことはある意味、楽しいことです。

僕は以前からずっと恵まれていると周囲に言われてきたし、今も歌人でデビューしたけれど、小説も文芸誌に掲載してもらい、何冊か単行本にもしていただいた。自分が恵まれていることは「だからそれはもうわかってるって!」と絶叫したいくらいわかっています。

そのうえで、この二つをやっていくのは「天職」だろうと。天職は向き不向きや上手下手じゃありません。僕は歌も小説もまだまだ下手で未熟ですが、マックス・ヴェーバーの言う「ベルーフ」(ドイツ語で「職業・天職」)、つまり天から降ってきちゃった天職だと信じてやっていくしかないと、そう思っています。

小説『僕は失くした恋しか歌えない』の書影 小説『僕は失くした恋しか歌えない』の書影

【プロフィール】
おさのだん/1983年東京生まれ。慶應義塾中等部在学中に作歌を始め、大学院進学後に台湾にて起業。2017年「無垢な日本で」で第60回短歌研究新人賞受賞。歌集『メタリック』で第12回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」、第63回現代歌人協会賞受賞。著書に『車軸』、最新歌集『銀河一族』などがある。

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