新型コロナウイルスの感染拡大により、雇用や差別など「人権の危機」が生じているとして、日弁連は2月15日、ウェブシンポジウム「新型コロナウイルスと人権~差別・偏見のない社会を目指して~」を開催した。
法律家のほか、医学者や心理学者を交えて、なぜ差別が起きるのか、どのような社会を作るべきなのかを議論した。
●「コロナで影響を受けなかった人権分野はない」
荒中会長は冒頭でシンポジウムの目的について次のようにあいさつした。
「基本的人権の擁護を使命とする弁護士の集まりである弁護士会、日弁連としては、人権の危機と言えるような状況を見過ごすわけにはいかない」
日弁連には119の委員会やワーキンググループがあり、そのうち人権関係のものは44にものぼる。
「コロナで影響を受けない人権分野はないといっても過言ではない」(北村聡子弁護士)といい、日弁連では各委員会でコロナにかかわる人権問題を検討してきた。
たとえば、その一環として、12月の人権週間には「新型コロナウイルスと偏見・差別・プライバシー侵害ホットライン」を実施した。
この中では、
「保健所からコロナの疑いがあるためタクシーで来るように言われたが、乗車拒否された」
「東京に行ったことを理由に受注していた仕事をキャンセルされた」
「葬式に出席したことを理由に、職場から帰宅を促された。職場に出ようとすると話題にされるようになり、辞めざるを得なかった」
など34件の相談が届いたという。
●リスクを正しく理解して
なぜ差別が起こるのか、どう対処したら良いのか。シンポジウムでは、分野の違う研究者3人がパネル対談した。
押谷仁・東北大大学院教授(ウイルス学)は、リスクに対する理解が共有されていないことを指摘した。
「感染性(≒感染力)のピークは発症前にあって、発症後は感染性がすみやかに減弱していく。発症してから10日以降は、ほとんど感染性がないと考えられている。
接触者に関しても、マスクをせずに会話するなど濃厚接触の人がリスクが高い。街ですれ違うようなことでは、ほとんど感染が起こらない」
また、PCR検査が陽性だったとしても、必ずしも感染性が高いとは限らない。場合によっては、ほとんど感染性がないこともあるという。
感染してもリスクがある期間は限られているし、集団すべてにリスクがあるわけでもない。しかし、一般には十分に理解されていないため、集団などに対する差別・偏見が起きているのではないかという。
もちろん例外もある。だが、リスクをゼロにするとしたら、あらゆるものが制限され、人権の問題も起きる。
「誰でも感染するリスクがある。リスクをどの程度受容できるか、社会のコンセンサスが必要」(押谷教授)
●不安になる個人を糾弾するのもNG
逆にリスクを恐れる人たちに攻撃的な言説が飛び交うこともある。
三浦麻子・大阪大大学院教授(社会心理学)は次のような懸念も示した。
「リスクをきちんと認識して、判断できるようになるのは当然望ましい。
ただ、社会的リスクは低くても、個人的な判断のレベルになると、不安をぬぐえないという人がいるのは仕方がない。『リスクを説明しているのに、なぜそんな態度なのだ』と糾弾することはあってはならない。
情報を伝えて、ある程度のリスクを許容しないと社会は維持できないと辛抱強く伝えていくことは必要だが、説明をしたからといって、全部クリアにはならないのが人間の社会」
坂元茂樹・同志社大法学部教授(国際法)は、「感染予防が至上命題であって、感染することが悪いことだという認識が広がっているのではないか」と指摘し、国際人権宣言1条の内容を紹介した。
「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」
この点について、三浦教授も「そこに向かって行く努力が大事。繰り返し訴え、“社会の平均値”を動かしていくことが必要だ」と話した。
●差別・偏見は自分のリスクも高める
誰にでも感染リスクがある状況において、差別や偏見はいずれ自分の首を絞めるかもしれない。押谷教授は次のようにも話していた。
「差別・偏見で、感染者が表に出て来なくなる。社会にとって大きなマイナスになることを理解することが大事。
医療従事者に対する差別・偏見もある。そうすると、医療者が現場を離れなくないといけなくなる。想像力をめぐらせていくこと。
差別・偏見によって、自分たちの感染リスクも高くなってしまう。かかった人をケアしていく体制をつくっていくことも大事だ」