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現地ルポ、米国主導の「開戦」から22年…今もイラクは危険なのか?
バグダットの日常(織田朝日撮影)

現地ルポ、米国主導の「開戦」から22年…今もイラクは危険なのか?

イラクに大量破壊兵器があるとして、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)が戦争を仕掛けたのが22年前、2003年3月20日のことである。

戦闘状態にあるイラクに復興支援として自衛隊が派遣されて、物議を醸したことも忘れられているかもしれない。

イラクではその後も不安定な情勢が続き、現在も外務省の海外安全ホームページでは首都バクダッドをはじめ広範な地域で「レベル4 退避勧告」が出ている。

イスラム過激派組織「イスラム国」が残っている地域もあるとされており、先日も米軍の空爆があった。

22年前の開戦は、世界はもちろん日本でもメディアで大きく騒がれて、市民による戦争反対運動や、戦争を止めるために人間の盾として現地に入った人もいた。

それから長いときを経て、日本人の記憶から忘れ去られてしまったイラクは、今も危険な国なのだろうか。たしかめるべく、現地へ向かった。(ライター・織田朝日)

●日本人バックパッカーが入国している

画像タイトル 「レベル4 退避勧告」が出ている(外務省の海外安全ホームページより)

イラクに行くのであれば、季節は2月が望ましい。気候は過ごしやすく、飛行機の往復チケットが比較的安いからだ。

首都・バグダッドの空港にたどり着けば、アライバルビザ(80ドル/2025年2月現在)で簡単に入国ができる。

あらかじめ米ドルを持って行き、イラクに着いたら空港か街中で、イラクの通貨「ディナール」に両替するといい。

中国人は団体で観光に来ている様子だった。日本人のバックパッカーは多くはないが、それなりに入って来ているようだ。

●驚く光景が広がっていた

バグダッドの中心部では、ティグリス川の横にある大きな公園がにぎわっていた。

広く青い空の下でレジャーシートを敷いて、家族がおやつを食べながらピクニックを楽しんでいる。

イラクの弦楽器「ウード」を披露する人たちがいたり、子どもが元気に走り回ったりしている。驚くほど「平和な光景」そのものだった。

日本人は珍しいので、スマホで一緒に記念写真を撮ろうとたくさん寄ってくる。店に行けば、無料でお菓子もくれる。

日本人に対して非常に好意的な印象を受けた。

●治安の悪いところもある

もちろん市井の人々は優しいが、人気のない路地など、治安の悪いところもあるので注意は必要だ。

基本的には良い人たちばかりだが、たまに悪い人もいるのはどの国も同じだろう。

道路にも注意したほうがいい。信号がほとんどないうえ、車の運転が荒くスピードも出ているので、横断するのは非常に危険だ。

ただし、街のいたるところに警察官がいるので、頼めば一緒に渡ってくれる。

●フロントにひびが入った車

米軍機に投下された爆撃の跡なのか、単に老朽化が進んでいるのかわからないほど、どの建物も今にも崩れそうだった。

停電も一日に何度もあり、最初はびっくりするが、だいたい1分くらいで復旧するので、冷静に待っていれば問題なかった。

トイレにも注意が必要だ。決してきれいではないし、外出するとなかなか見つけることができない。

食堂とかにもトイレはないので出かけるときは十分気を付けてほしい。モスクで頼めば快く貸してくれる。

車は、日本や韓国からの中古車が多く、かなり年季が入っている。日本では考えられないが、フロントガラスにひびが入っている車が当たり前のように走っている。

やはり再建はこれからといった感じ。

●フセイン像が立っていた広場

画像タイトル フィルドス広場。サダム像は跡形もない(織田朝日撮影)

バグダッド中心部にある「フィルドス広場」にも行ってみた。

フィルドスとは「天国」という意味である。かつて独裁者と恐れられたサダム・フセインの銅像がその権力を誇示するかのようにそびえ立っていた場所だ。

2003年、米軍とイラク人によって銅像が引きずり降ろされたニュースは大きく報道された。今や見る影もなく、いったいどこに立っていたのか、当時の写真を見比べないとわからない。

人気のない閑散とした公園となっており、「兵どもが夢の跡」と言うべきか、もの悲しさが感じられた。

近くにいた警察官に声をかけてみた。銅像が倒れる瞬間を目の当たりにした「歴史の証人」だった。

「銅像が倒れる瞬間はうれしかった!サダム政権は安全ではなかった。何かあるとすぐ殺されてしまう。いつも恐怖におびえていた」

だからといって、彼はアメリカも好きではないという。アメリカのあとはイスラム国がやってくるなど大変だったが、2018年あたりから一掃されて、やっとのことで落ち着いたそうだ。

「今では外国人が観光に来ても大丈夫だと思う」

なお、この人物はシーア派だ。イラクでは宗派や立場によって、こうした政治的・社会的な意見が異なっている。

●激戦地ファルージャの今

画像タイトル 戦闘の傷跡が残るファルージャ(織田朝日撮影)

バグダッド以外でも、イラクの街は「それほど危険ではない」と言われたが、イラク戦争最大の激戦地ファルージャに行くことはやめておいたほうが良いかもしれない。

どちらにせよ、警察の検問で「危険だから日本人は引き返せ」とパスポートを取り上げられるので、一般の外国人観光客には入ることが難しい。

ファルージャは、米軍の攻撃のあと、イスラム国の支配が強い街だった。現在は解放されたが、支持者がまだ残っていると言われてるため、観光客には危険が及ぶと言われている。

街の建物には、銃撃や爆破の跡などがたくさん残っていて、復旧のめどが立たない様子だった。

ここでは特に日本人が珍しいようで、遠巻きに見る人も多かったが、ある高齢の男性は「日本人?家でお茶でも飲まないか」と誘ってくれた。

歩いていると長い市場がいくつもあったが、男物の服や靴の店がいくつも立ち並ぶ。買い物に来る人も男性しかおらず、異様な雰囲気を感じ、市場の写真を撮ってはいけないような空気があった。

バグダッドでは、ヒジャブを被らない女性は多かったが、ファルージャではたまにすれ違う女性たちはみなヒジャブで身を包み、厳格な雰囲気を醸し出していた。イスラム国支配の名残なのだろうか。

何が起きるかわからない街を緊張しながら歩き続けたが、無事にバグダッドのホテルに戻ることができた。ファルージャには、雄大なユーフラテス川が流れており、夕日がとても美しかった。

●戦争ばかり続いた歴史

イラン・イラク戦争、湾岸戦争、イラク戦争、その後にイスラム国が入り、戦争ばかり続いた歴史の中で、イラク人たちはとても苦労した。

あるイラク人は「もともと石油のあるイラクは、これから発展していくだろう」と語る。食事はどれも非常に美味しく、これも観光の売りとなっていくだろう。

まだまだ危険な地域は残っており、あくまで筆者が覗いたイラクの一部ではあるが、気軽に観光できる時代が近くまできているかもしれない。

人懐っこいイラク人たちはそんな未来が来ることを待ちわびている。

この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいています。

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