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江口寿史さん「トレパク疑惑」から学ぶ"企業の落とし穴"、クリエイターへの『発注の新常識』とは
江口寿史さん(Xから)、デニーズが使用を中止したイラスト(インスタグラムから)

江口寿史さん「トレパク疑惑」から学ぶ"企業の落とし穴"、クリエイターへの『発注の新常識』とは

イラストレーターで漫画家の江口寿史さんをめぐり、トレパク(トレース・盗作)疑惑が浮上した。起用していた複数の企業が、広告や商品の差し替え、使用中止といった対応に追われている。

ただ、「盗作」との指摘が法的にも適切なものかといえば、著作権にくわしい専門家は慎重な見方が必要だとの見解を示している。

一方で、今回の問題が企業に与えた影響は大きく、今後、クリエイターへの依頼や制作体制にも見直しが求められそうだ。ビジネスと著作権にくわしい出井甫弁護士に聞いた。(弁護士ドットコムニュース編集部・塚田賢慎)

●「トレース=著作権侵害」とは限らない

——江口さんの作品をめぐっては、元画像とされる写真が多数掘り起こされています。法的に「権利侵害」となる可能性はあるのでしょうか。

たしかに、他人の作品をなぞる「トレース」は、著作権侵害に発展するリスクが高い行為です。

しかし、どんなトレースでもすべてが侵害になるわけではありません。程度や内容によって判断は異なります。

著作権侵害が成立するには「類似性」が求められます。単に「何となく似ている」程度では足りず、双方の共通する表現が「創作的な表現レベルで似ていること」が必要です。

たとえば、ピースをしているポーズが似ているとしても、多くの人がピースをするため、この程度では侵害になりません。

特に写真の著作物の場合、その創作性は、被写体の選択や配置、背景とのコントラスト、陰影、角度、構図、大きさなど、複数の要素における撮影者の工夫によって構成されます。

したがって、単に同じ被写体(たとえば富士山)を描いたからといって、必ずしも富士山の写真と、創作的な表現レベルで類似するわけではない、つまり、ただちに著作権侵害にはならないということです。

●トレースは否定し難い…それでも「侵害」の検討は慎重にされるべき

——レストラン「デニーズ」の広告イラストが、ファッション誌に掲載された女優の新木優子さんの写真だとして比較されています。デニーズは使用を控える対応を発表しました。

たしかにポーズや衣服、バッグの形状などが一致しているように見えます。もっとも、これが著作権侵害になると、例えば、別の女性が似た服装で同じポーズをとると、それも著作権侵害になり得るということです。

こうした現象がどんどん起きていくと、やがてほとんどのポーズが侵害になり得るという状況につながります。よって、先ほどのピースの話にも関わりますが、どの範囲にまで独占性を認めることが、今後の表現活動を委縮させないかを考えることも、著作権法の観点で分析する際には重要となります。

江口さんのイラストが元写真の被写体をトレースしていることは否定しがたいものの、これまでの観点から、それが法的に「権利侵害」と評価できるかどうかは、慎重に検討する必要があると思います。

●法的な問題は別として、知らずに写真を扱われた人は不安を感じるはず

——著作権以外の権利はどうでしょうか。

肖像権侵害も話題に出ているようですが、肖像権侵害が成立するには、そのイラストから「本人を特定できること」が必要です。

江口さんの作品をすべて見たわけではありませんが、顔のパーツをデフォルメしたものも多く、すべてのケースで本人を特定できるかというと、そうとは言い切れないと思います。

ただし、やはり知らないところで自分の姿や輪郭が描かれていたら、不安や疑問を覚える人がいることもわかります。

相互に信頼関係やリスペクトがあることが傍からもわかるのであれば、よくあるファンアートの一環として処理される場合もありますが、そうした事情がない中でトレースする場合は、法的・社会的なリスクが伴うことは避けられないでしょう。

——なぜ今回の件はこれほどまでに「炎上」したのでしょうか。

SNSが普及し、AIによる作風模倣や、オリンピックエンブレム問題、同じくトレース問題が生じた古塔つみさんの件などが取り上げられた経緯から、デザイン盗用に対するネットユーザーの反応は、ネガティブに受け止め、燃え上がりやすいように思います。

その状況において、本人に連絡がなかったこと、イラストが自身の仕事であったこと、掘り下げてみたら過去にも同じケースがあったと拡散されたことなどは、炎上に拍車をかけていると感じました。

● 「見抜けない」納品物チェックがどこまでできる?

——企業側は今後、どのような点に注意すべきでしょうか。

発注の際、被害防止の方法として第一に思い浮かぶのは、契約書によるクオリティ・仕様の設定です。

権利侵害のないものは当然ですが、既存の作品と関係があると誤解を生むような作品ではないことや、万一参考にした作品がある場合には事前にリストを提出させるといった対応も必要になってくるかもしれません。

ただ、そこで問題となるのは、納品物が規定に違反しているかどうかを見抜くことができるかという点があります。

江口さんのケースでも、過去のイラストを掘り下げたら出てきたという投稿が多くみられます。つまり、当時はトレースだと気づかなかったのではないかと思います。

ただし、昨今は画像検索や、AI検知などの技術も登場していますので、契約書に条件を規定しているから問題ないと判断するのではなく、受け取った後の検査の過程で類似チェックを発注側でもおこなっておくことは、後日、権利侵害や炎上に巻き込まれることを思うならば、「注意一秒、怪我一生」ということで確認する体制を設けていてよいように思います。

●「AI時代」における"作品"との向き合い方

——トレースとは話題が異なりますが、AIによる創作も爆発的に増えています。

昨今は、納品物の中にAI生成物が混ざるケースも起きています。現在の技術で見抜くことがなかなか難しいため、悩ましいです。

たとえば中国では、今年9月から生成AIサービスの提供者には、AI使用のラベリング義務が導入され、EUでも来年からディープフェイク使用の明示が義務化されます。

以上を総合すると、納品物に関するリスクの低減においては、「法」「技術」「規範(法以外の慣習などのルール)」の3つの観点から、納品物のリスク低減を図ることが重要だと思います。

法に関しては、たとえば、著作権法は当然として前述のようなAI関連の立法、技術に関しては画像検索などの類似度チェック、そしてリスク予防のための契約書や炎上しやすい傾向などが規範になります。

唯一の具体的な解決策を見つけることは難しいですが、トレースによる炎上・紛争の予防を検討するうえでも、この3つの観点を念頭においておくとよいように思います。

この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいています。

プロフィール

出井 甫
出井 甫(いでい はじめ)弁護士 骨董通り法律事務所
2013年早稲田大学法学部卒業。2015年弁護士登録(第一東京弁護士会・68期)。大手法律事務所を経て、2018年2月骨董通り法律事務所。2023年まで内閣府知的財産戦略推進事務局に出向。主著として、「AI生成物の著作物性に関する議論の現状と今後の法実務」ジュリスト2024年7月号(No.1599)、「AI生成機能の動向と著作権法上の課題への対策」コピライト 2023年1月号など。

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