名古屋駅近くの交差点で10月15日、横断歩道を渡っていた男女3人が軽自動車にはねられて、女性1人が死亡しました。
東海テレビなどによると、過失運転致傷の疑いで逮捕された高齢の運転手は「人にぶつかっていない」と容疑を否認しており、認知症の可能性もあるとみられるそうです。
ただし、現時点では認知症の有無も、仮にあったとして事故に影響したかどうかもわかっていません。今後、捜査や医学的な検査が進められる見通しです。
報道されている目撃者の証言によれば、軽自動車はかなりのスピードで逆走し、赤信号を無視して交差点に突っ込んだといいます。
運転手は10月16日、危険運転致死傷の疑いで送検されました。こうした高齢ドライバーの事故で、もし認知症が関係していた場合、運転者は罪に問われるのでしょうか。
● 運転者は「過失運転致死傷罪」に問われる可能性
運転者は「過失運転致死傷罪」(自動車運転死傷処罰法5条)や「危険運転致死傷」(同2条)に問われる可能性があります。
前者は運転中に必要な注意を怠って人を死傷させた場合の罪で、7年以下の拘禁刑または100万円以下の罰金が科されます。
後者は人を負傷させた場合には15年以下の拘禁刑、死亡させた場合には1年以上の有期拘禁刑(原則として最大20年以下)となりますが、第2条各号に定められた危険な運転行為を行うという故意が必要となります。
ただし、刑事責任を問うには、本人に「責任能力」があることが前提となります。
責任能力とは、簡単に言えば「自分のしていることが良いことか悪いことかを判断でき、その判断に従って行動できる能力」のことです。
この能力がない人には刑罰を科すことができません。
なぜなら、刑罰は「悪いことをした」と理解して行動した人に対して科すものだからです。善悪の判断ができない状態だった人を罰しても意味がない、というのが法律の考え方です。
● 「認知症=無罪」ではない──厳しい判断基準
ここで注意が必要なのは、仮に認知症があったとしても、自動的に「無罪」になるわけではない、という点です。むしろ裁判所の判断は厳しく、認知症があっても責任能力が認められるケースが多いのが実情です。
刑事裁判では、責任能力がなければ有罪にはできません。認知症が事故に影響していた場合、その程度によって判断が分かれます。
●「心神喪失」と「心神耗弱」の違い
まず、責任能力がまったく認められない「心神喪失」(しんしんそうしつ)です。
精神の障害のため、善悪を判断する能力や、判断に従って行動する能力が完全になくなっていたことをいいます(刑法39条1項)。
この場合は無罪となりますが、「単に認知症がある」というだけでは足りず、事故にどの程度影響したのかが厳密に検討されます。
次に限定的にしか認められない「心神耗弱」(しんしんこうじゃく)です。
精神の障害のため、善悪を判断する能力や、判断に従って行動する能力が著しく低下していたことをいいます(刑法39条2項)。
この場合は、刑が軽くされますが、「著しく」低下していることが要件で、こちらも認知症があるというだけでは認められません。
最後に、仮に認知症の診断を受けていても、運転を自分の意思でおこない、危険を認識できていたなら、責任能力があると判断されるでしょう。
実際の裁判で「認知症がある」と認められた場合でも、心神喪失や心神耗弱とされるのは、ごくまれです。
●どうやって判断するのか
運転者が事故当時どんな精神状態にあったかは、精神科医などによる鑑定などをもとに判断されます。医師が認知症の有無や程度、事故当時の精神状態について詳しく分析し、意見を述べます。
ただし、最終的に判断を下すのは裁判所です。医師が「認知症です」と診断しても、それだけで責任能力が否定されるわけではありません。
医師の鑑定結果は重要な判断材料の一つですが、事故当時の具体的な行動、事故前後の言動、日常生活での様子など、さまざまな事実を総合的に見て、裁判官は「責任能力があったかどうか」を判断します。
●名古屋の事故について
今回の事故では、運転手に認知症があったのか、あったとすればどの程度だったのか、事故との因果関係はどうか、といった点はまだわかっていません。
警察による捜査や医学的な検査が進められる中で、事実関係が明らかになるのを待つ必要があります。報道では「認知症の可能性」と伝えられていますが、これはあくまで可能性にすぎず、確定した事実ではないことに注意が必要です。
●認知症と運転をめぐる問題
高齢ドライバーによる事故は、たびたび報道されています。認知症の兆候がある人が運転を続けないようにすることが重要ですが、現実には「危ないとわかっていても車がないと生活できない」人も少なくありません。
家族が「最近、もの忘れが多いな」「運転が心配だな」と感じたときは、早めに医師へ相談したり、免許の自主返納を検討したりすることも大切です。
ただ、それだけでなく、交通や買い物など、生活を支える社会的な仕組みづくりも欠かせません。悲しい事故を防ぐには、個人の努力だけでなく、社会全体で支える視点が求められます。