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顔を隠しゲリラ活動…「タテカン」に青春を捧げる京大生たち 「規程違反」でも続ける理由
京大・熊野寮に並ぶタテカン(筆者撮影)

顔を隠しゲリラ活動…「タテカン」に青春を捧げる京大生たち 「規程違反」でも続ける理由

京都大学の名物とされてきた「立て看板」(タテカン)。京都市左京区の吉田キャンパス周辺には、学外からも見えるところに、サークル団体やイベントなどの看板が立てかけられていた。

ところが2018年、京都市から景観条例違反の指導を受けていた大学側が「京都大学立看板規程」を施行し、看板の撤去をもとめる通告書を出したのだ。

そこから裁判に発展。京都大学の教員らで構成する職員組合が、大学と京都市を訴えたが、京都地裁は今年6月、職員組合に立て看板を設置する権利を認められないなどとして、請求を棄却した。

卒業生からは「タテカンに象徴される自由な雰囲気が大学の魅力の一つだった」という声も聞かれる。しかし現地を訪れてみると、今もなお「タテカン」は存在していた。一体なぜ?そして誰が? 現地取材を行った。(ジャーナリスト・肥沼和之)

●「タテカンが町の景観になっていたのに」惜しむ声

サングラス、マスク、帽子で顔を隠した若者たちが次々と現れた。立て看板(通称タテカン)の製作サークル「シン・ゴリラ」のメンバーたちだ。

6月25日正午ころ、場所は京都大学が面する百万遍交差点。彼らはタテカンを次々と運び、石垣に設置していく。通行人の多くは足を止めて見入り、スマホで撮影する。

画像タイトル 学生たちが設置したタテカンに多くの人が見入る(筆者撮影)

学生運動が盛んだった1960年ころから、主に学生が自らの主張を表す手段として用いられてきたタテカン。特に盛んだった京大では近年まで、社会風刺、大学の批判、受験生への応援メッセージ、ネタ的なものやアートなものまで、さまざまなタテカンが掲げられていた。

だが2017年、古都の景観を守るために京都市が制定した「屋外広告物条例」にタテカンが反しているとして、市が京大を行政指導。

それを受けて2018年、京大はタテカンを設置できるのは「公認団体」「大学敷地内の定められた場所」「サイズは縦横2メートル以内」などとする規程を設けた。かつては誰でも当たり前のようにタテカンを設置できたが、実質的に禁止になったのだ。

京大の近くで20年以上飲食店を経営する店主は「タテカンが町の景観になっていたのに、景観を守るために排除するのはおかしい」と指摘。同様の声は学生や職員や近隣住民からも挙がったが、規程は覆らなかった。

●暑いのにマスクや帽子を外さない理由

画像タイトル タテカンが景観になっているように見える(筆者撮影)

そこで、シン・ゴリラは"ルール違反"を認識しつつ、タテカン文化を絶やさぬよう、ゲリラ的に設置を行うようになったのだった。

この日は快晴、気温は30度以上。日影がない場所で、メンバーたちは「タテカン文化を守ろう」と訴えながら通行人にビラを配る。暑いのにマスクや帽子を外さないのには理由がある。

「警備員が私たちを撮影して、規程違反の証拠や脅しに使われるので、この格好で活動するしかない状況です。タテカンを立てたことで処分され、学籍を失った学生もいました」(メンバー)

実際にこの日、大学の警備員がやって来て、彼らの姿を確認し、無線でどこかに連絡していた。かつては当局の職員たちに、有無を言わさずタテカンを奪われたこともあったそうだ。

午後1時過ぎ、昼休みの時間が終わり、百万遍交差点は人通りが少なくなってきた。メンバーたちはタテカンを軽トラックに運び、撤収していった。タテカンが消えた後には、何事もなかったように元通りの風景が広がっていた。

●「純粋にタテカン文化が好き」

シン・ゴリラはタテカンの規程ができた2018年、有志の学生たちによって結成された。活動内容は、月に一回のペースでタテカンを制作し、京大付近に立てること。併せてビラ配りやカンパの募集、拡声器での演説も行う。

ちなみにサークル名は、当時の山極壽一総長が霊長類の研究者であることと、「シン・ゴジラ」にちなんだものだ。

画像タイトル 活動費用は基本的に寄付で賄っている(筆者撮影)

メンバーの「つとむ」さんと「じゅうび」さん(ともに仮名)が取材に応じてくれた。特定されないように、一切の個人情報を伏せることを断っておく。

まず、二人が活動をする理由を聞いた。

「入学前に京大に遊びに来たとき、まだタテカンが自由に立てられる時代で、30枚くらいの板を合体させた巨大なタテカンがあったんです。そこに総長の批判が堂々と書かれていて。京大の顔と言われる時計台やクスノキよりも、タテカンのほうが圧倒的に派手でした。

そんな僕の知っている京都大学が消えてしまったことがすごくショックで、少しでもあのときに近づけたい、という思いがあります」(つとむさん)

「京大に行きたいと思って調べているうちに、タテカンを知って、すごくいいなと。タテカンを作りたい、というモチベーションで受験勉強をしていたくらいなので、憧れというか、純粋にタテカン文化が好きなので活動しています」(じゅうびさん)

●SNSやネットでの発信ではダメ

画像タイトル タテカンの制作現場(筆者撮影)

タテカン文化になじみのない筆者は、デジタルでデザインを作り、ネットで発信するのではいけないのか、と思ってしまった。そう尋ねると、まったく違うという回答だった。

「SNSがまん延している昨今、タテカンは丹精を込めて、工夫を凝らして一生懸命描かれた、この世にたった一つしかないアナログなメディアです。ネットでは好きな情報しか流れてきませんが、タテカンは大きいし、通りかかる人の目に絶対に入って、強制的に情報を伝えるものでもある。情報の発信者と受け手の距離も近いし、ネットとは全然違いますね」(じゅうびさん)

タテカンへの愛がひしひしと伝わってくる。とはいえ、大学は規程を設けた以上、彼らの活動をただ黙って見てはいないだろう。実際に、タテカンを奪われたという話もあったが、当局はどのように妨害してくるのだろうか。

「職員がタテカンをはぎ取りに来ると、『問答無用で持っていくのはおかしい』「規程は事前の折衝もなく定められた一方的なルールじゃないか』『まず説明責任を果たせ』など問答をしたのですが、結局持っていかれたことはありました。

なので、奪われてもいいタテカンの順序を決めて、職員が運んでいる間に残りのタテカンを持って一時避難する、みたいな戦術をしていた時期もありましたね。ここ一年くらいは、サークルのメンバーが多く参加できる日に活動しています。人数が少ないと、弾圧されやすくなってしまいますから」(つとむさん)

「タテカンは石垣に立てかけているのですが、職員が来たら石垣から離して手に持ちます。石垣に触れていると、京大の施設にあるとみなされるのですが、離せば板を持ったただの人になるので、はぎ取ろうとしてこないですね」(じゅうびさん)

●1〜2日でタテカンは完成

職員が強硬手段に出る場合もあったが、最近は減っているという。理由として、タテカン規制に疑問を持つ学生たちが増え、シン・ゴリラを応援する空気も広がっていったことを感じている、と二人は話す。

タテカンを1枚作る期間は大体1〜2日。材料はベニヤ板、角材、ペンキなどで約3000〜4000円かかる。月一の活動で10枚前後を作るため、費用もバカにならない。活動資金は通行人によるカンパや口座への振り込みなどで賄っている。会費は無料、入会資格は「タテカンを愛することのみ」とのことだ。

画像タイトル これまでに制作されたタテカンや材料が並ぶ(筆者撮影)

つとむさんにとって、忘れられない光景がある。

京大の入試のとき、立ち並ぶタテカンを、動画で撮っている人を見かけた。写真ではなくなぜ動画なのか──。そう考えたとき、「タテカンではなく、タテカンのある風景を記録している。この人はタテカンのある風景が好きなんだ」と気づいたとき、感動が込み上げてきたという。

つとむさんは、こうも続ける。「今はタテカンを描く側なので、見る側になりたい。自分のあずかり知らないところで描かれたタテカンを見るのが夢です」

●裁判では敗訴

2018年、京都大学は規程に反したとして、京大職員組合のタテカンを2度にわたって強制撤去。

組合は2021年4月、「表現の自由の侵害」として、京都大学・京都市を相手に訴訟を起こしていた。だが京都地裁は6月26日、請求を棄却し、組合の敗訴となった(その後、控訴)。

シン・ゴリラはこれを受けて「判決は、タテカンという権利を侵害する極めて不当なもの。弊会はタテカンをこれからも立て続けて規制に抵抗します」と宣言。

一方、SNS上では「違法設置なのだから当然」「倒れてくるかもしれなくて危険」など、判決を支持する投稿も散見した。

たかがタテカン、されどタテカン。自由な校風とうたわれた京都大学の文化の象徴は、これからどうなるのか。タテカンのある風景が、京大に戻ってくることはあるのだろうか。

この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいています。

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