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弁護士、記者、捜査員それぞれの「正義」を知りたい 飯塚事件を追った『正義の行方』を刊行した木寺一孝さん
木寺一孝さん(2024年5月、筆者撮影)

弁護士、記者、捜査員それぞれの「正義」を知りたい 飯塚事件を追った『正義の行方』を刊行した木寺一孝さん

1992年に福岡県で起きた飯塚2女児殺害事件(以下「飯塚事件」)で死刑を執行された久間三千年(くま・みちとし)元死刑囚(執行時70歳)の遺族が起こした第2次再審請求審で、福岡地裁は6月5日、裁判のやり直し(再審)を認めない決定を出した。もし死刑執行後の再審が認められれば日本初の事例となるが、「開かずの扉」は簡単には開かない。

1992年2月、福岡県飯塚市で小学校1年の女児2人が通学途中に行方不明となり、翌日、約30km離れた山中で他殺体として見つかった。94年に久間元死刑囚が逮捕・起訴され、犯行を否認したまま2006年9月に最高裁で死刑が確定。それから2年後という異例の早さで死刑が執行された。

この事件を追った元NHKディレクター・木寺一孝さんの『正義の行方』(講談社)は、再審を目指す弁護団のほか、事件当時の報道で先行し、その後自社の報道を問い直す連載を行った地元紙・西日本新聞の記者たち、さらに捜査に携わった福岡県警の捜査員らにも取材し、多角的な視点から検証している。2022年にドキュメンタリー番組として放送され、文化庁芸術祭大賞を受賞。そしてこのたび映画版の公開とともに書籍化された。

実は筆者も、久間元死刑囚の逮捕当時は通信社の福岡県警担当記者、福岡地裁での一審判決当時は司法担当記者として事件を取材していた。正直なところ、逮捕当時は久間元死刑囚についてクロに近い印象を持っていた。この事件の3年前にも、近くの小学校1年生女児が行方不明となる事件があり、女児が最後に目撃されたのは久間元死刑囚の自宅だった。そのこともあって、怪しいという先入観を抱いていた。ただ、決定的な証拠がない中で久間元死刑囚を犯人と断定した福岡地裁判決には疑問も持った。

当時、この事件で冤罪の疑いを指摘する声はほとんどなかったと思う。それが死刑執行後の今、約40人の弁護士たちがほぼ手弁当で集まって再審請求弁護団を結成し、新証拠を発掘するなど精力的な活動を行っているという。いったい何が起きているのか。10年以上にわたり取材を続けてきた木寺さんに聞いた。(ジャーナリスト・角谷正樹)

●再審請求直前の死刑執行

——ドキュメンタリーが放送されたのが2022年ですね。取材にかかったのはいつ頃から。

2011年ぐらいです。再審請求弁護団の岩田務先生に会いに行ったのがおそらく最初で、撮影は2012年ごろから始めました。放送まで丸10年ぐらいかかっています。

——そもそも飯塚事件に関心を持ったきっかけは。

2011年3月、最高裁は木曽川・長良川連続リンチ殺人事件の上告を棄却し、19歳の少年3人に対する死刑判決が確定しました。当時私は、被害者遺族の話をもとに、死刑制度を浮かび上がらせるという取材をしていた。

飯塚事件は2009年、再審請求が起こされましたが、死刑執行されてからの再審請求は初めてで、これが認められたら大変なことになるなと驚きました。

——久間元死刑囚自身も再審請求するつもりだったのに、その前に死刑執行されてしまった。

ちょうど執行の1カ月前に、徳田靖之、岩田務両弁護士が面会しているんです。そのときに久間さんが、死刑執行の順番を予測したリストを持っていた。これを見ると久間さんは下位だったため「もうちょっと時間ありますよね」という会話をしているらしいんですよ。それから1カ月ぐらいで執行された。

●「日本という国がひっくり返るんだぞ」

——このドキュメンタリーを提案したとき、NHK局内での反応はどんな感じだったんですか。

もう絶対ダメ、100%ダメです。撮影も企画が通らなかったものの、大分で毎月開かれる弁護団会議など2年近く取材を続けていました。2014年になって『クローズアップ現代』で取り上げようという話が出た。そのときの条件が、「福岡地裁で再審開始の決定が出たら」というものだった。

——それはハードルが高い。

高いですね。もう1つ、『ETV特集』にも提案していました。その責任者から、真顔で「この提案の意味分かってるのか。もし、この提案通りになったら、日本という国がひっくり返るんだぞ。そのぐらいのことなんだぞ、この企画というのは。それを覚悟してやってるのか」と説教されました。

死刑執行されたことで再審のハードルも上がり、番組企画のハードルも上がっていた。その後、第1次再審請求が棄却されたので、出しどころがなくなって、いろいろ悩んで提案を何十回も書き換えるんですけど、結局通らない。

そんな中、西日本新聞で2018年から飯塚事件を再検証する連載が始まるんです。読んで、あっと思った。勇気づけられたのもあるし、宮崎さん(宮崎昌治・元西日本新聞記者)が最初のスクープを出したときの裏話や、どういう議論があったかを克明に書いていて、西日本新聞にこういう葛藤があったのかと。この時、西日本新聞も取材の対象にしようと思ったんですね。

提案をさらに書き換えていったんですけど、それでも通らない。ゴールがないとダメだと。ゴールとは何かというと、再審開始だったり、もっと大きなうねりですよね。たとえば再審法が改正されるとか。

今度は、BS1スペシャルというところへ持っていったら、同期が編集長で、「これはやるべき」とすぐ企画を通してくれた(笑)。5分で通してくれました。

●取材対象者はみな腹をくくっていた

——2022年にBS1スペシャルで放送されます。取材対象者の反応はどうでしたか。

山方さん(山方泰輔・元福岡県警捜査一課長)には放送の翌日に電話したんです。ものすごい快活な声で出て、「おーおーおー、見た見た」って。「今も電話が知り合いからかかってきて『あんた、無実の人を死刑にしたのか』と言われた」って明るく言うんですよ。「自分は公平に作られたと思うとる。裁判と一緒で見た人がシロだと思ったのなら、それはそれでいいんじゃないか」と言われて、僕は胸をなで下ろしました。

弁護団の岩田先生、徳田先生にも事前に内容を説明しようとしたら、徳田先生に「見るのがつまらなくなるから説明しなくていい」と止められた。今回の出演者たちには腹をくくって出演していただいた、取材に答えていただいたんだなと感じました。

——警察関係者もよく取材に応じましたよね。

発生から30年という月日と、今回書籍のタイトルになっている「正義の行方」にすべてが込められていて。「裁判の行方とか真犯人は誰かとか、真実の行方や裁判の行方ではなくて、そこに登場する人たち、警察官や弁護士や西日本新聞のそれぞれの正義というのを描いていきます」と説明したんです。

冤罪を暴こうと思っているのではなくて、それぞれの正義というのを知りたい。そこに向けてどんな苦労、悩みがあって、今再審請求になってどんな思いがあるのかを知りたいと手紙に書きました。

なぜあなたは新聞記者になったんですか、刑事になったんですかと、そこからひもといているんです。人間像を知りたいと思っているので、刑事だからどうという迫り方はあんまりしていない。要するに、人間をどう捉えるかで迫っているんです。

●「法廷で丸め込まれた」弁護士の後悔

——再審請求弁護団が手弁当で40人も集まって、新証拠を発掘したり情報発信したりと精力的に活動していることをこの本で知って驚きました。一方で、なぜそういう活動を久間さんが逮捕・起訴された当初からやらなかったのかという疑問もあります。

最初に付いた弁護人2人はもう亡くなっていて、私もお会いしたことはないんですが、当時もものすごく高齢で…。それで、一審の途中で、大分みどり荘事件(1981年、大分市で女子短大生が殺害された事件。1995年6月、福岡高裁で被告は逆転無罪となった)を徳田靖之弁護士と岩田務弁護士が解決したのを、久間さんの奥さんが新聞で読んで、岩田先生に連絡するんです。自分でリクルートして3人目の弁護人として入ってもらって、そこから(弁護側の体勢が)ちゃんとなったというのは聞きました。

それにしても岩田先生はすごく後悔していました。「当時の弁護活動に難点があったんじゃないか」「法廷で丸め込まれた」と。法廷で、DNA鑑定とかおかしいなと思ったらしいんですよ。

●異例の早期死刑執行が火をつけた

——大分みどり荘事件では弁護団が警察のずさんな捜査ぶりを暴き出しましたが、飯塚事件ではそのような動きが最初はなかった。それが死刑執行後になって弁護士たちが再審に向け精力的に活動し始めたのは、何がきっかけだったんでしょうか。

やっぱり(判決確定から死刑執行まで)2年という早さ。あれで火がついたのは間違いないでしょう。それから、DNA鑑定を撮影したネガフィルムが出てきて、筑波大教授が「ねつ造の疑いがある」と指摘する。あの辺ぐらいからですね。

——当初、冤罪を疑う声があまり出なかったのは、なぜでしょうか。

当時取材をしていた記者は「久間がシロだなんていう見方は1ミリもなかった」とおっしゃるんですよ。久間さんが無職だったので色眼鏡で見られたり、独特の雰囲気とか言動のせいもあったのかもしれませんけど。

あと、世論が強かったんだと思うんですよね。2人少女が殺されている。それを絶対解決しろという世論の後押しがあって、それで見つかった犯人なので、そこが揺らぐみたいなことはメディアも警察もしないというか。

●DNA再鑑定に警察庁高官が圧力?

——被害女児に付着した体液のDNA鑑定は、警察庁科学警察研究所では久間元死刑囚と一致、帝京大の再鑑定では一致しないと、相矛盾する結果が出ています。捜査側に都合の悪い鑑定結果を出した帝京大教授が、当時の國松孝次・警察庁刑事局長(のちの警察庁長官)から圧力をかけられたと証言した話は、西日本新聞の検証取材の中で出てきたんですね。

いちばんすごい話ですよね。あれはほぼ認めてますもんね。

——國松さんへの取材は。

そのあたりは今回の取材の中で一番悩んだところで、突撃取材も含めて、会うべきだという意見もスタッフの中ではあったんです。でもそれをやり始めると、番組のスタイルが「正義の行方」から「裁判の行方」に変わっていく。國松さんに当たることで大きな仕組みが変わってしまう。國松さんは新聞記事の中で反論されているので、それで十分じゃないかということになったんです。

●未解決では許されないという空気

——木寺さんは、92年当時の久間さんのイメージを知らなかったからこそ、先入観なしに事件と向き合うことができたんですね。

最初に弁護団の説明を聞いたときは、完全にこれは冤罪だろうなと。まあ真実は分からないまでも、裁判ではこれは無罪なんだろうなと思いました。

—— 一審判決は決定的な証拠がない中で、幾つかの間接証拠の合わせ技で久間元死刑囚を犯人と断定し、死刑を言い渡しました。

検察が起訴した時点で、たぶん有罪が決まってるんでしょうね。日本の裁判はそこが海外に比べてみると、おかしいし、公平性がない。(女児が殺された事件が)足利事件から続いていたので、未解決では許されないという気持ちが警察にも、もしかしたら法務省、裁判所にもあったのかもしれません。

DNAと繊維鑑定(女児に付着していた繊維片が久間元死刑囚の車のシートの繊維と酷似しているとする鑑定結果)も不可思議というか、専門家が誰もいないんです。鑑定は東レリサーチセンターが行ったんですが、果たしてその結果が本当かどうかの検証ができない。科学というのは誰がやっても同じ結果になるという物差しが必要なのに、繊維鑑定についてはそれがない。だから逆に言うと、弁護団にとっても反証が難しいんです。

——DNA鑑定もまだ出始めの頃だった。

当時取材した記者も言っていましたが、DNA鑑定という聞いたこともないけれどすごい科学鑑定があるらしいと。ただ、警察自体もあまりそれを知らないし、弁護団はもっと知るよしもない。研究者もまだまだ少ない。そのためDNA鑑定にメスを入れるだけの知識量がなかったのかなと僕は想像しています。

●捜査側に頼るしかなかった事件報道

——報道する側も捜査情報に寄りかかるしかなかった。

当時は特にそうだったのでしょうね。DNA鑑定も報道にはできないわけで、ほかに手立てがなく、警察からどれだけ情報を取るかの勝負だったのでしょうから。警察にはない、別の証拠をつかまなければいけないが、それも難しい。西日本新聞が検証取材に2人の記者を2、3年にわたって投入しましたが、同じようなことを事件発生当時にやっても、検証取材で出てきたような話がとれたかは分かりません。

——今後も飯塚事件を追い続けるのですか。

やるとしたら、全く別の枠組みを考えないといけない。裁判をそのまま追って出しても、あまり意味がない。だから、全く違う切り口でやっていきたいと思っています。

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