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「運命だと思った」 勝手に彼氏ヅラ、20代女性作家に迫る中年ギャラリーストーカー
写真はイメージです(Graphs / PIXTA)

「運命だと思った」 勝手に彼氏ヅラ、20代女性作家に迫る中年ギャラリーストーカー

ギャラリーストーカー。

画廊や展覧会で若い作家や美大生に、執拗につきまとう人たちのことだ。彼らは画廊に居座り、無料のキャバクラのような接客を作家たちに求める。中には一線を越え、「結婚してほしい」「愛人になれ」と迫ったりもする。しつこいストーキングやハラスメントにより作家は追い詰められ、創作活動が止まったり、身に危険が迫ったりするケースもある。

しかし、彼らは画廊の客であり、コレクターであることから、若い作家や美大生は強く拒否することが難しい。美術業界でも、ギャラリーストーカーの被害は深刻なものと受け止められなかった。取材を進めると、その背景には美術業界の特殊な伝統や構造があることが浮かび上がってきた。

弁護士ドットコムニュースでは、1年以上かけて美術業界における被害を取材。その集大成として、今年1月、書籍『ギャラリーストーカー 美術業界を蝕む女性差別と性被害』(猪谷千香著/中央公論新社)を発刊した。

ギャラリーストーカーや美術業界で起きているハラスメントの実態について、本書の一部を抜粋して4回にわたってお届けする。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)

画像タイトル 書籍『ギャラリーストーカー 美術業界を蝕む女性差別と性被害』

●最初は「美術が好きな温和そうなおじさん」に見えた

「今、真奈美の大学の前にいるんだけど」

美術大学の大学院生、山口真奈美さん(仮名)は、携帯から流れる声に背筋が凍った。美術コレクターの男性、A氏(40代)だった。

その日、山口さんはいつものように大学のアトリエで制作に取り組んでいた。集中していると、A氏から電話がかかってきた。

「真奈美に会いにきたよ」

A氏は恋人でも、親しい友人でも、家族でもない。「真奈美」呼ばわりをされるほど、親しい関係ではない。しかし、A氏は一方的に「真奈美」と呼ぶ。山口さんがどう思うか、気にしている様子もなかった。

山口さんは全身の血の気が引いた。A氏と約束していたわけではない。事前の連絡もなく、突然現れたのだ。

(なんで? どうしてAさんがここにいるの?)

A氏の自宅は、山口さんの大学院から車で半日は走らないと着かないような遠い場所にある。自分の安全なテリトリーである大学にまで、A氏が踏み込んできたことに山口さんはパニックになり、怯えた。

A氏とは、山口さんがあるグループ展に参加していた時に出会った。若手の作家を応援しているコレクターだった。山口さんの参加する展覧会に、遠方からでも足繁く通ってきてくれた。

その姿は、いかにも「美術が好きな温和そうなおじさん」に見えた。20代の山口さんからすれば、父親と同世代といっても良い年齢で、恋愛対象として考えたことは一度もない。あくまで、他のコレクターと同じように作品を購入してくれるお客さんだった。

しかし、いつの間にか、A氏は山口さんを「真奈美」と下の名前で呼ぶようになっていた。

●名前を呼び捨て、勝手に彼氏ヅラ

「真奈美は俺が支えないと」「真奈美が心配で」

山口さんが仕事でお世話になっているギャラリーの関係者の前で、A氏は自分がいかに山口さんから頼られているか、吹聴してまわった。もちろん、山口さんがA氏に頼ったことはないが、A氏はそう思い込んでいるらしかった。

「初めて画廊で会ったとき、俺は真奈美と出会う運命だったんだと思った」「真奈美を愛してる」

A氏は山口さんを2人きりのドライブや食事に誘うようになり、愛の言葉を囁ささやき始めた。

「似合いそうだから買ったんだけど、よかったら使って」

そう言って、バッグをプレゼントされたこともあった。それは、山口さんの好みから外れて いた。若い女性がみたら「ダサい」と見向きもされないようなものだった。

山口さんの微妙な表情に、A氏は一切、気づいていないようだった。

勝手に「彼氏ヅラ」してくるA氏。山口さんは、必死にコレクターの一人として接することを心がけ、一線を引こうとした。誘いも断り続けたが、ギャラリーで展覧会を開けば、必ずA氏は会いに来た。そして、ギャラリー関係者や他の作家の前で、あの「彼氏ヅラ」を繰り返す。

「なんか、Aさんの距離感っておかしくない?」

ギャラリー関係者や作家仲間も噂するようになっていた頃、山口さんは限界を迎えていた。山口さんの対応が素っ気なくなっても、A氏は意に介さずに「彼氏ヅラ」を続けた。

そうしてある日、突然、A氏は山口さんの大学院に押しかけてきたのだ。

「この後、食事に行こうか?」

A氏ははにかんで誘ってきたが、山口さんは身の危険を感じた。相手は、自分の気持ちなど気にせず、勝手にふるまうような男性である。車に乗ってしまい、2人きりになったら何をされるかわからない。

山口さんは「制作が忙しいので」と断った。しかし、「顔だけでも見たい」と食い下がる。仕方なく、山口さんは作業着のまま、A氏が駐車している場所に向かった。あえて絵の具がついたままの作業着で行ったのは、作業で忙しく、脱ぐ時間もないことを暗に伝えるためだった。

「真奈美がちゃんと食べているか心配だから。栄養とってね」

A氏は、さも優しく、作家の彼女を支える恋人のようにふるまい、食料品の入った袋を手渡してきた。中には、ヨーグルトや果物などが入っていた。そのまま、A氏を送り出した山口さんは、すぐに袋を捨てた。どんな異物が混入しているか、わからなかったからだ。

●「カーナビに実家の住所を登録したい」と迫る

「実家の住所を教えて」

「え?」

また別の日、ギャラリーに押しかけてきたA氏は、とんでもないことを言い出し、山口さんは思わず聞き返していた。

「真奈美は体が弱いから、万が一、倒れた時が心配。いざとなったら、自分がご実家に助けを呼ばないといけないから教えて欲しい。ちゃんとカーナビに登録しておくから」

断っても断っても、何度も執拗に実家の住所を知りたがり、しまいには「なんで教えてくれないんだ」と不機嫌になった。支離滅裂だ。いちコレクターが作家の実家の住所を知る必要性が、どこにあるのだろう。山口さんはあまりの気持ち悪さに体が震えた。

「真奈美の一番のコレクター」を自負していたA氏は、そのうち山口さんの作品をすべて買い取らせてほしいと言ってきた。

大学に押しかけたり、実家の住所を執拗に聞いてくるなどの「事件」もあり、山口さんは嫌な予感がして、「考えてからあとでお返事します」とだけ答えた。

しかし、A氏は「これくらいあれば足りるだろう」といって、数十万円もの大金を勝手に山口さんの口座に入金してきた。山口さんは口座番号を自ら教えたわけではなかったが、以前参加したアートイベントを通じて、A氏に知られてしまっていたのだ。 山口さんは驚いて返金しようとした。

「作品は何年でも待つから、制作費だと思って使ってほしい」

A氏は絶対に譲らず、山口さんは押し切られてしまった。距離を取っても取っても、迫ってくるA氏。自分の大事な作品まで、A氏に奪われるのかと恐ろしかった。

●ギャラリーオーナーが被害に気づき…

追い詰められていた山口さんを救ったのは、あるギャラリーのオーナーだった。

山口さんがそのギャラリーで個展を開いた際、直接知らせていなかったにもかかわらず、A氏は姿を現した。山口さんのSNSで発信していた個展の案内を見つけてきたのだ。

幸い山口さんは不在だったが、A氏は初対面のオーナーに、「真奈美は危なっかしいところがあって、自分が支えてるんです」と話し、山口さんととても親しい間柄であることを誇示してみせた。

恋人や親しい友人にしては、年齢が離れ過ぎている。オーナーは最初、年齢差のあるA氏のことを、その話ぶりから、山口さんの父親か、親戚の男性かと思った。

しかし、妙な違和感もある。そこで、オーナーは「もしかして一方的につきまとっている人では」と心配になり、山口さんに尋ねてきた。

山口さんは堰(せき)を切ったように、A氏から被害に遭っていることをオーナーに話し始めた。オーナーの顔色が変わった。当時、A氏は山口さんの自宅住所も入手していた。大学まで来たように、いつ、また自宅に押しかけてくるかわからない。オーナーは山口さんに身の危険が迫っていると判断した。

「できるだけAさんとは離れたほうがいいと思う」

オーナーはそう言って、独りで悩み続けていた山口さんの相談に乗り、親身になってくれた。オーナーの助言に従い、山口さんはもう作品は譲れないことや、入金されていたお金を返すことをA氏にメールできっぱりと伝えた。できる限り、業務連絡のように用件のみに徹した。

A氏はさすがに山口さんの態度から何かを悟ったのか、了承してお金も受け取り、以後、A氏によるつきまとい行為はなくなった。

いくら伝えてもつきまといを止めなかったA氏から逃げ切るまでに、山口さんには2年以上 の月日が必要だった。

●華やかな美術業界の舞台裏で

見上げるような高い壁に、華々しく展覧会のバナーを掲げる美術館。連日がお祭り騒ぎのビエンナーレやトリエンナーレ。一流美術家たちの最新作を展示する都心の瀟洒なギャラリーや高級ブランドの旗艦店。国内外のギャラリーが一堂に会し、活況を見せるアートフェア。人気アーティストたちが集まって展開する注目のアートプロジェクト。

遠くから見る美術業界は、綺き羅ら星のごとく輝いていて、とても眩(まぶ)しく見える。私もそのキラキラした世界に魅了されていた一人だ。国内の有名作家の美術展を見るだけでは飽き足らず、時間があれば画廊にも足を運んできた。注目の美術館がオープンしたと聞けばいち早く訪ねたし、地方でトリエンナーレなど国際美術展が開かれたら休みを利用してまわった。日常の煩(わずらわ)しさから解放してくれる、憧れの世界がそこには広がっていたからだ。

しかし、ひとたび舞台の裏側をのぞけば、華やかだけでは済まされない暗闇が広がっていた。一般的な常識や倫理、モラルでは到底理解できないような行為が、日常的に行われているのだ。その一つが、ギャラリーストーカーである。

山口さんに2年以上、つきまとっていたA氏も、ギャラリーストーカーといえる。多くの作家は、画廊で展覧会を開き、作品を売る。美術大学を卒業したばかりの若手作家でも、作品が海外の美術館の永久コレクションに入るような著名な作家であっても、それは変わりない。作家にとって画廊で展覧会を開くということは、作品発表と販売の場を持つことであり、コレクターやファンとつながる大切な機会になっている。

作家は画廊に滞在し、自ら接客したり、作品の解説を行ったりする。これは「在廊」と呼ばれ、作家にとっては創作活動に加えて行う重要な活動だ。 ギャラリーストーカーと呼ばれる人たちは、そうした在廊中の作家たちをつけ狙って画廊に出没する。どうしたら作家が在廊しているとわかるのか。簡単だ。SNSで「在廊」と検索をかければ、「今日は在廊しています」と発信している作家がたくさん見つかる。狙おうと思えば、簡単に狙えてしまう。

画廊を訪れたギャラリーストーカーは、作家を見つけて話しかける。必要以上に居座り、美術批評のつもりで作家に説教まがいのことをまくしたててマウンティングしたり、セクハラなどの迷惑行為をしたりする。

食事やドライブに誘ったり、アトリエを見せてほしいと言ってきたり、中にはエスカレートして、作品の購入をちらつかせて、男女関係や結婚を求めてきたりもする。最近の作家は、インスタグラムやツイッターを利用して作品や展覧会の情報発信をするが、オンラインでも彼らは現れる。何度もコメントしたり、長文のDMを送りつけたりするのだ。

実際、あるSNSで20代女性画家が個展について投稿したら、中高年男性と思われる人が、「画廊に会いに行きます。作品を全部買いたいです」と何度も独占欲にあふれたリプライを飛ばしていた。その女性画家は最初、丁寧に返事をしていたが、あまりに度重なるのでしまいにはテキストも打たず、ニコニコ顔のスタンプだけで対応するようになった。それでも彼は、彼女が投稿する度に熱心にリプライを送り続けた。

また別のSNSでは、若手の女性作家が憤っていた。展示会場などで3回しか会ったことのない男性からいきなりプロポーズされたのだという。彼女は第三者を通じて接触禁止を申し入れたが、それでもつきまといは止まなかったそうだ。

第三者からみれば、「熱心なファンや客なのだから、大目に見てあげればいいのに」「人気がある証拠だから仕方ない」と思うかもしれないが、パートナーや恋人でもない赤の他人から、仕事場やSNS上でしつこくつきまといを受ければ、誰にとってもかなりの負担になるだろう。

しかし、相手は自分の作品を買った、あるいはこれから購入してくれるかもしれない客である。プロとして売り出していこうという若手作家は、彼らをむげにもできず、仕方なく相手をする。そうすると、ますます図にのってつきまといはエスカレートするのだ。

(『ギャラリーストーカー 美術業界を蝕む女性差別と性被害』より抜粋)

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